声を上げたベトナムの漁民たちと連携する市民社会:海洋汚染めぐり7875人が台湾・日本の企業を提訴

2019年10月30日 | マスゴミは駄目だ!!
声を上げたベトナムの漁民たちと連携する市民社会:海洋汚染めぐり7875人が台湾・日本の企業を提訴
巣内尚子 | ジャーナリスト
10/30(水) 12:04


フォルモサ・ハティン・スチールによる海洋汚染に抗議するベトナム人(ハノイ)

 台湾系フォルモサ・ハティン・スチール(FHS)の事業活動で海洋汚染が引き起こし、生計手段を奪われたとして、ベトナムの漁民が声を上げている。さらに漁民を支援する市民たちの連帯も始まっている。先には、ベトナムの漁民7875人が損害賠償を求め、FHSの親会社の本拠がある台湾で訴えを起こした。

 「問題となっているのは、台湾と日本の企業が出資する会社が引き起こしたベトナム北中部ハティン省周辺での海洋汚染問題です。海洋汚染により多くの漁民は生計の手段を失い、今も苦しい生活を強いられています。そのため、今回の7875人にも上る大規模な集団訴訟となったのです」

 9月後半、台北市内のオフィスで筆者にこう語ったのは、漁民の訴訟を支援している財団法人環境権保障基金会の弁護士、黄馨ウェン(※ウェンは雨冠に文)さんと台湾在住のフランス人研究者、ポール・ジョバンさん(中央研究院=Academia Sinica=准研究員)だ。

 
漁民の訴訟を支援している財団法人環境権保障基金会の弁護士、黄馨ウェン(※ウェンは雨冠に文)さんと台湾在住のフランス人研究者、ポール・ジョバンさん(筆者撮影)

 

 ハティン省では2016年、魚の大量死が発生した。これは、台湾のフォルモサ・プラスチック(Formosa Plastic)と台湾・中国鋼鉄(China Steel)、日本のJFEスチールが出資するFHSが出した排水が原因であるという。

 

 これを受け、FHSは2016年6月30日、漁民らに補償として計5億米ドルを支払うと発表した。そして、その1年後、ベトナム政府は被害者すべてに保証が支払われたと明らかにした経緯がある。

 

 一方、事はそう簡単には終息しなかった。

 黄さんは「被害を受けた漁民の多くがいまだにきちんとした補償を受けとっていません。一部に2万台湾ドルだけ受け取った漁民がいますが、中には一切、賠償金を受け取っていない人もいます。そのため事件が起きてから一定の時間がたっているにもかかわらず、被害を受けた漁民の経済状況は悪化しているのです」と説明する。

 
海洋汚染の被害を受けたベトナムの漁村((ジョバンさん提供)

 海が汚染されたことで、漁業ができなくなった漁民の多くはこれまでに、船を手放している。そして、生計手段を失くしたことにより、多数の漁民たちが、フォルモサ・プラスチックが本拠を置く台湾や中国、シンガポールといった海外へ移住労働に出るといった事態が生まれているという。海洋汚染により奪われた仕事を家族と離れて海外に働きに行くことで補うというのだ。

 
海洋汚染の被害を受けたベトナムの漁村(ジョバンさん提供)

 黄さんは「大半の漁民が困窮している状態です」と、漁民の苦境を説明する。
◆台湾と日本の企業に損害賠償支払い求める
フォルモサ・ハティン・スチール(FHS)の拠点(ジョバンさん提供)

 こうした中、海洋汚染により生計手段を奪われたとし、ハティン省の漁民7875人が2019年6月11日、フォルモサ・プラスチックとFHSを含むその関連企業15社、中国鋼鉄、JFEスチール、さらに、FHSのトップ、陳源成氏をはじめとするこれら企業の役員を台北地方裁判所に提訴するに至った。

 原告団のうち第一グループの51人は計950億ドン(約4億米ドル)の損害賠償の支払いを求めている。

 第二グループとなり残り7824人に上る原告は、1人当たり3台湾ドルの支払いを求めているという。これは、訴訟に必要な証拠が十分準備できていないものの、時効が迫っているため、少額からスタートした格好だ。

 ジョバンさんは「すべての証拠がそろえば、全体の損害賠償金額はもっと高くなるでしょう」と話す。
◆5億米ドルに上る賠償金はどこへ?

 今回の件について、JFEスチールを傘下に持つJFEホールディングスは筆者の質問にメールで回答し、「フォルモサ・ハティン・スチール社は、ベトナム政府の指導に従って5億ドルの賠償金を納付し、以来、ベトナムにおける厳しい排水・排ガス基準値を順守すべく、各種環境対策を講じてきました。現在でも、常にベトナム政府のモニタリング環境下で操業を行っております」と回答した。また「フォルモサ・ハティン・スチール社による賠償金納付後の、ベトナム政府から市民への支払いの件について、当社としてはコメントする立場にございません」とする。

 とすると、賠償金は支払われているにもかかわらず、それがきちんと支払われていない状況があるのだろうか。

 

 黄さんは「被害を受けた漁民はきちんとした補償をうけていません。ベトナム政府はこれまでに、賠償金の5億米ドルを何に使ったのかを明らかにしていないのです。ベトナム政府は海洋汚染処理にいくら支出したのでしょうか。漁民にはいくら賠償金を支払ったのでしょうか。こうしたことについても、何も明らかになっていないのです」と述べる。

 
漁民の訴訟を支援している財団法人環境権保障基金会の弁護士、黄馨ウェン(※ウェンは雨冠に文)さん(筆者撮影)

 また黄さんは「法的には、海洋汚染を引き起こしたFHSは被害者に賠償を支払うとともに、汚染された海の回復に努めなければいけません。さらに、FHSが支払った5億米ドルに関しては、企業側はまずベトナム政府に対して問う必要があります」と説明する。
◆声を上げることの意味
漁民の訴訟を支台湾在住のフランス人研究者、ポール・ジョバンさん(筆者撮影)

 環境汚染事件が起きたのはベトナムだ。漁民らはなぜ台湾で訴訟を起こしたのだろうか。

 

 ジョバンさんは「ハティン省の漁民がベトナムの裁判所の独立性を信頼していない上、ベトナム政府により圧力をかけられることを恐れているのです。漁民たちがベトナム国内で訴えを起こそうとしたとき、それが阻止されたか裁判所にいくことを阻まれたという経緯があります」と話す。

 このような政治的な状況の下で、漁民が声を上げることは容易ではない。しかし、今回、台湾、米国、カナダ、フランスのベトナム人ネットワークや台湾の環境団体、人権団体、研究者の協力で訴訟が実現した。ベトナムの漁民たちがこうした支援を受けながら、声を上げ始めたことの意味は大きい。
◆台北地方裁判所「われわれの管轄ではない」

 台北地方裁判所は10月5日、この訴訟に関して、「裁判所は訴訟の全体または一部に対する管轄権がないと判断した場合、管轄権を有する裁判所に訴訟を移す」とし、同裁判所にはこの訴訟を管轄する権利がないとし、漁民の訴えを棄却した。

 ジョバンさんは「これは管轄として台湾は相応しくないとの結果です。たった3ページでの判決で、悔しいです。原告にとってはとんでもないものです」と憤る。

 他方、ジョバンさんは「台湾の市民社会、さらには海外でもベトナムの漁民を支援する動きが広がっています。漁民たちの権利回復を求める動きはこれで終わるわけではありません」と述べる。

 実際に、弁護団は先に台北で開催された国際人権連盟で、今回の判決に関する抗議声明を出し、控訴する意向を示した。弁護団は「台北地方裁判所6月13日、今回の提訴を受理し、原告に訴訟手数料として4万米ドルを支払うよう求めた」と説明。さらに「しかし台北地方裁判所は10月3日、この事件は同裁判所の管轄ではないとし、訴えを棄却した」と説明する。

 また弁護団は「私たちは控訴の準備を進めている。今回の裁判は被告への通知または審理なしに下されたものであるため、弁護団は裁判官になぜこの事件が(台湾の裁判所の)管轄になるのか説明することができなかった」とする。その上で、「弁護団は台湾法務部に苦情を申し立てる準備もしている。もし(台北地方裁判所の)管轄外であるとするならば、なぜ原告に訴訟手数料の支払いを求めたのか」と指摘している。
◆国境を越えて支援を広げる市民のネットワーク

 そもそも、今回の原告7875人の集団訴訟が実現したのは、台湾における市民の支援によるところが大きい。

 

 当初は、台湾在住のベトナム人神父、グエン・バン・フンさんと、フンさんの立ち上げた「Vietnamese Migrant Workers and Brides Office」のスタッフやボランティアらが、ハティン省の漁民の支援をスタートさせた。その後、こうした動きに足並みを合わせる形で、台湾の環境団体の環境法律人協会と環境権保障基金会、人権団体の台湾人権促進会、人権公約施行監督連盟が支援に加わった。

 支援の輪は台湾だけにとどまらない。

 アメリカとカナダを中心に、環境団体と弁護士、海外ベトナム人協会などがハティン省の漁民の支援に名乗りを上げた。とりわけ米国で設立されたNPO「Justice For Formosa Victims」が積極的な支援を行っている。これまでに同NPOは漁民の訴訟を支援するために50万米ドルを集めたという。 

 ハティン省というベトナムの一地方での環境汚染問題について、各国に広がるベトナム人のネットワークやそれぞれの地域の環境団体、人権団体などが連携することで、国境を超える支援ネットワークが構築されてきた。ローカルな問題だったはずのものが、国際的な課題として扱われているのだ。国境を超えるビジネス活動による環境問題に対し、国境を超える市民のネットワークが対抗軸として存在していると言える。(了)

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巣内尚子 ジャーナリスト

ジャーナリスト。インドネシア、フィリピン、ベトナム、日本で記者やフリーライターとして活動。2015年3月~2016年2月、ベトナム社会科学院・家族ジェンダー研究所に客員研究員として滞在し、ベトナムからの国境を超える移住労働を調査。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)。現在はカナダ在住で、ケベック州のラバル大学博士課程に在籍。著書に『奴隷労働―ベトナム人技能実習生の実態』(花伝社、2019年)。

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