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私は娘の育て方を間違えた! 「大塚家具」創業者が吐露した“親ばか” 悔恨記

2018年09月24日 | 日記
私は娘の育て方を間違えた! 「大塚家具」創業者が吐露した“親ばか” 悔恨記
9/24(月) 5:58配信 デイリー新潮
私は娘の育て方を間違えた! 「大塚家具」創業者が吐露した“親ばか” 悔恨記
(左から)父・勝久氏、久美子社長
 父娘の確執は、思わぬ局面を迎えつつある。「大塚家具」創業者の大塚勝久氏(75)と、長女・久美子氏(50)との諍い。3年前に父を放逐して“家業”を手中に収めた長女は、あろうことか苦境の只中にある。今回、勝久氏があらためて騒動を振り返り、娘への思いを余さず吐露した。

 まさか、たった3年でダメになるとは思いませんでしたよ。自分たちの方針が間違っているのは、久美子は誰よりも先に気づいていたはずなのに……。

〈現在「匠大塚」の会長職にある勝久氏は、訥々と語り始めた。久美子氏が率いる大塚家具は不振を極め、先月には身売り交渉が進行中と報じられたばかり。8月14日に発表された中間決算では20億円の赤字を計上、12月期通期でも最終損失34億円との見通しで、3年連続の赤字は確実となっているのだ。〉

 2015年3月27日、私が久美子によって追放された時点で、会社には100億円を超える手元現金や、数十億円にのぼる有価証券など換金可能な資産が200億円近くありました。だから久美子が社長になって多少事業が上手くいかなくても、20億円の赤字で10年間は持ち堪えられると楽観視していたのです。

 ところが、やはり商売は難しい。大塚家具は従業員、取引先、株主、そしてお客様のどれが欠けてもいけない「円」なのに、全てがガタガタになってしまいました。現在では手元現金が十数億円にまで減ったと聞きますし、いつ底を突くかも分からない。もう私にも手の打ちようがありません。

〈父と娘が株主の委任状争奪戦を繰り広げる「プロキシーファイト」は、骨肉の争いとして世間の耳目を集めた。結果、久美子氏は“社外取締役”や“ガバナンス”を武器に勝利を収めたのだった。〉

 当時、すでに久美子との間にコミュニケーションはありませんでした。それどころか今思えば、久美子の画策はもっと昔から始まっていたのです。世間では3年前に突然、私を解任したように思われていますが、それは違う。例えばこんなこともありました。

 13年3月に行われた取締役選任を行う取締役会で、久美子は弟の勝之(現「匠大塚」社長)を取締役にする決議に頑なに反対し、自分の知り合いの弁護士を社外取締役に加えるよう主張しました。朝の10時に始まった取締役会が、夕方になっても終わらない。私はその弁護士に会ったこともなく、そんな人間を社外取締役にするわけにはいかない。すると久美子は「受け入れられないのなら会社を辞める」と言い出し、最終的には久美子の案だけが承認されたのです。

 私と二人三脚で会社を盛り立ててきた弟が取締役になれば、私の味方が1人増えることになる。それが久美子は嫌だったのでしょう。


毎日一緒に昼食を
〈勝久氏には2男3女があり、第1子の久美子氏は一橋大卒業後、富士銀行を経て1994年、大塚家具に入社。営業畑でなく、企画や広報などを担当した。そんな娘を、父はどう見ていたのか。〉

 久美子が入社したのは、ちょうど私がアメリカ家具の買い付けを始めた頃で、有明ショールームの開店など、大塚家具の礎が作られたといえる時期でした。同時期に入社した長男が営業畑を歩んだ一方、久美子は管理畑。方向を誤ったのは、営業の現場にあまりいなかったことも関係しているのかもしれません。

 04年に会社を離れる際、久美子は「まだまだお父さんも元気そうだから私がいなくても大丈夫だね」と、笑顔を見せていた。私も外の世界で頑張る娘を全面的にバックアップしてきたつもりでした。だからその5年後、久美子が「もう一度、大塚家具で頑張りたい」と言ってきた時には快く迎え入れ、私の後継として社長に指名したわけです。

 意見が食い違うこともありましたが、その頃は「会社を良くしようとしているのだろう」と考えて疑わなかった。毎日、昼食も一緒に食べていたし、コミュニケーションは取れているつもりでした。

 ただ、久美子が社長になってから業績は下がり続け、14年7月、私は会長のまま社長に復帰します。正直、会長時代は権限が一切与えられておらず、取締役会で議題を提案するにも「動議」を掛けなければならないような状況。経営者として40年、動議なんて手法は、この時に初めて知りました。

〈父娘の軋轢は、メディアで散々「親子喧嘩」と囃し立てられてきた。〉

 世間からそう捉えられたのが一番の痛手でした。経営手法の正当性も何も主張できないからです。それまで親子仲が悪いなんて思ったことは一度もありません。子どもの頃も毎年のように一緒に旅行していたし、仕事場にもよく連れて行ったものです。

 たとえば、投資家向け説明会などに久美子や他の子たちを連れて参加していたし、正月も2日から、一緒に店舗へ挨拶回りをしていたくらい。79年3月に津田沼ショールームが開店した時は、オープニングセレモニーの日を久美子の11歳の誕生日に合わせ、一緒に祝ったこともありましたね。

 私は子どもたちの将来に口を挟んだことはありませんが、久美子は、小さい頃から会社の将来を考えてくれていた。5人の子が成長したら大塚家具を五つの子会社に分割し、それぞれ受け継がせようと考えていた時期もありましたが、久美子は反対していたのです。「家族みんなで会社を支えていきましょう」って。

 それが今の大塚家具は、私にとって何の魅力も無い会社になってしまいました。久美子も経営方針を誤ったことは、早々に気がついていたと思います。だって、無借金の会社が倒産するなんて考えられないでしょう。

 でも、周りに抗えず変えたくても変えられない。プロキシーファイト以降、久美子とはもちろん、向こうについた3人の子たちとも全く連絡が取れない状態が続いている。私のもとに相談に来てくれれば良かったのに、それもままならない状況だったのでしょう。

 商売を知らない社外取締役や社外監査役など、うわべだけの“ガバナンス”に呑まれてしまったのに、それが評価されて久美子が社長になったのだから皮肉なものです。親ばかに聞こえるかもしれませんが、あの子は信頼する人間を見誤ったとしか思えない。何故、ああなってしまったのか……。

 今でも毎週のように、大塚家具を辞めた社員が匠大塚の門を叩いてくれています。全員を救ってやることは出来ないかもしれませんが、うちで雇える限りは雇っている。彼らも気を遣ってか、娘の話は口にしませんけれどね。

 久美子たちの健康も心配ですが、ともかく従業員のためにも「匠大塚」を大きくしなければならない。西武百貨店の跡地を利用した春日部の店舗は、倉庫も兼ねた大型ショールーム。ぜひ足を運んでほしいです。




大塚家具115億円のキャッシュはなぜ消えたのか
9/20(木) 11:00配信 文春オンライン
「現時点では継続企業の前提に関する重要な不確実性が認められる」。大塚家具が8月14日に公表した2018年第2四半期(4-6月期)に添付された監査法人による四半期レビューにそんな「強調事項」の一文が付いた。いわゆるゴーイング・コンサーンと呼ばれるもので、経営破綻の危険性を投資家に注意喚起するものだ。父会長と娘社長の間で経営権を巡ってバトルが繰り広げられた、あの大塚家具が断末魔に陥っている。

【写真】保有株をすべて売却したと見られる前会長

大塚家具115億円のキャッシュはなぜ消えたのか
大塚久美子氏 ©共同通信社
メーンバンクが融資をしない?
 ほんの3年前まで、大塚家具は多額の現預金を持つキャッシュ・リッチな会社だった。「現金及び現金同等物の期末残高」は2014年末で115億円。それが2017年末で18億円にまで激減した。今年の12月期も34億2600万円の最終赤字を見込んでおり、このままではキャッシュが足りなくなってしまう。そんなリスクを監査法人が指摘しているわけだ。

 大塚家具はいざというときに銀行から借金ができる枠である「コミットメントライン」を契約しているので、資金繰りは大丈夫だとしているが、メーンバンクの三井住友銀行から、実際の融資は実行しない旨、通告されているという噂も飛び交う。「文藝春秋」編集部が三井住友に確認したが、「個別案件は答えられない」(広報部)という型通りの回答で、真偽は不明。しかし、大塚家具は出資してくれる相手を探す「身売り」交渉に乗り出している、と報じられている。

 しかし、なぜ115億円ものキャッシュが「消えた」のか。

 2016年に最終赤字45億円、2017年に同72億円という巨額の赤字を計上したことが主因であることは間違いない。だが、同時に2015年と2016年にはそれまで40円だった年間配当を80円に倍増させたほか、2017年には巨額の赤字にもかかわらず40円の配当を実施、社外に資金を流出させた。それだけではない。2016年には100万株の自社株を市場で買い付けている。

一連の騒動の「勝者」
 なぜ、業績が厳しいその時期に、14億円を使って自社株を買う必要があったのか。奇妙なことにこの買い付けは、対立していたはずの大塚勝久・前会長がせっせと保有株を売却していた時期と重なるのである。創業者だった勝久氏は保有していた350万株をほぼすべて売却したとみられるほか、大塚家の資産管理会社である「ききょう企画」に譲渡していた株式の代金15億円も回収している。

 いずれも娘の久美子社長との対立の中で実行されたものだが、勝久氏は総額60億円ものキャッシュを手に入れたとみられている。ビジネスモデルが限界となり、もはや成長が見込めなかった会社の株式の現金化に見事に成功したのである。一族間の対立に見えた大塚家具の騒動の勝者は、実は“大塚家”だったというのが事の真相、というわけである。

 このたび 「文藝春秋」10月号 に寄稿し、大塚家を二分した一連の騒動をふりかえりつつ、真の勝者は誰か、誰が本当の被害者なのかを検証した。大塚家具はこれからいったいどうなるのか。あわせてお読みいただきたい。

磯山 友幸/文藝春秋 2018年10月号

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