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なんだよ、アリさんの老衰の記事じゃないのか

2019年09月15日 | Science 科学


アリという昆虫の「最期」はあまりに突然訪れる

9/15(日) 5:50配信

東洋経済オンライン
アリという昆虫の「最期」はあまりに突然訪れる

アリの死にざまを知っていますか?(イラスト:Dachs / PIXTA)

生きものたちは、晩年をどう生き、どのようにこの世を去るのだろう──。
老体に鞭打って花の蜜を集めるミツバチ、成虫としては1時間しか生きられないカゲロウなど生きものたちの奮闘と哀切を描いた『生き物の死にざま』から、アリの章を抜粋する。

■働きアリの移動スピードはオリンピック選手並み

 不幸というものは、ある日突然訪れる。

 アリの巣は、実に巨大な組織である。巣の中には数百匹ともいわれるアリたちが暮らしている。大きな巣には、数十億匹ものアリがいることもあるというから、驚きだ。まさに、巨大国家のような規模である。

 アリの集団の中には1匹の女王アリと、数匹の雄アリがいる。そして巣の大部分を占めるのが、ワーカーと呼ばれるメスの働きアリだ。何しろ働きアリは忙しい。これだけの集団を維持するために、巣の外に餌を探しに出かけなければならないのだ。

 アリが1回餌を取りに行くための移動距離は、往復で100メートルを超えるという。おそらくは、この距離を何度も行き来するのであろう。

 アリの体長は1センチメートルほどだから、アリにとっての100メートルは、私たちの感覚ではおよそ10キロメートルに相当する。これを餌という荷物を運びながら歩くのだから、かなりの労働である。

 しかも、巣の外は危険に満ちている。これだけ遠い距離まで歩いていくとなると、思わぬハプニングに遭うことも多いだろう。巣を出たまま戻らない仲間も、何匹もいるはずである。

 ある日のこと、1匹のアリがいつものように軽快に6本の足を動かしながら、餌場を目指していた。アリの歩く速さは、1秒間に10センチメートル。時速360メートルの速さだ。

 アリの体長を1メートルと仮定すれば、その速度は、時速36キロメートルになる。乗用車並みの速さだ。陸上男子の100メートルの世界記録は、およそ時速37キロメートルと言われているから、働きアリはオリンピック選手と同じくらいのスピードで移動していることになる。




 働きアリの彼女も、一目散に餌場を目指した。

 その日は、いつもより日差しが強い。日なたは焼けるような暑さだった。ここを過ぎれば、後は餌場までは日蔭が続く。

 昨日の餌場が見えてきた。もう少しだ。足取りも軽くなる。

 そのとき、ふっと足を取られたような気がした。気のせいではない。そこにあるはずの地面がないのだ。

 100メートル走を走るアスリート並みの速度での移動中のことである。突然、視界から餌場が見えなくなった。

 どうやら、地面のくぼみに入ってしまったようだ。

 急いで、斜面を登ろうとするが、やけに細かい砂で登りにくい。爪を地面に引っかけて登ろうとすると、足場にした砂も崩れ落ちていく。思うように登れないのだ。

 「あり地獄だ!」

 彼女が気づいたときは、すでに遅い。彼女はすり鉢状のアリジゴクの巣に足を踏み入れてしまっていたのである。

■緻密な作業で「地獄」を作るアリジゴク

 俗にアリジゴクと呼ばれる虫は、ウスバカゲロウという虫の幼虫である。成虫のウスバカゲロウは繊細でスマートな形をしているが、幼虫のアリジゴクは不気味に大きな牙を持ち、ウスバカゲロウからは連想できないほど、醜くグロテスクな格好をしている。そして、地面にすり鉢状の巣を作り、その奥に潜んで、巣に落ちてきたアリを牙で挟んで捕えるのである。アリにとっては、文字どおり「地獄」なのだ。

 不意を突かれてアリジゴクの巣に落ちてしまった彼女は、必死によじ登ろうとするが、砂が崩れて脱出するのは容易ではない。

 砂を山盛りにしたとき、砂が崩れず安定している際の斜面と水平面の成す最大角度を安息角(あんそくかく)という。実は、アリジゴクのすり鉢状の巣は、砂が崩れない安息角に保たれている。そのため、小さなアリが足を踏み入れただけで限界点を超え、砂が崩れ落ちるのである。

 しかも、安息角は一定ではない。砂が湿ると崩れにくくなるので、砂が崩れるギリギリの角度は大きくなる。そこで、アリジゴクはそのときの湿度に合わせてこまめに巣の傾斜を調整しているのである。


すり鉢状の巣に落ちれば、一巻の終わりだ。アリは必死に足を動かす。はい上がってもはい上がっても足元の砂は崩れ落ちてくる。

 ただ、アリは垂直な壁も登れるほど鋭い爪を持っているので、砂が崩れても崩れても、足を動かし続ければ、アリジゴクの巣から脱出することも可能だ。

 必死にもがいて、足を動かし、もう少しで登り切れるというときである。突然、下から砂つぶてが飛んできた。アリジゴクが獲物を目がけて、頭を上下させながら牙を使って砂粒を投げているのである。

 やっとつかんだ地面が、アリジゴクが投げた砂粒とともに、崩れ落ちていく。砂が崩れてははい上がり、はい上がっては砂が崩れていく。

 不幸というものは、ある日突然訪れる。

 「奈落(ならく)」とは、仏教語で地獄を意味している。

 まさに、奈落の底なのだろうか。必死にはい上がろうとしていた彼女もついには、アリジゴクの爪牙(そうが)にかかり、餌食となってしまった。

■表裏一体のアリの死とアリジゴクの生

 哺乳(ほにゅう)類の場合、時間の感覚は体の大きさによって異なり、大きな動物は時間がゆっくり流れるように感じられ、小さな動物は時間が早く経過するように感じられるといわれている。

 アリの時間感覚は想像することもできないが、アリは体が小さく、せわしなく足を動かしながら早足で移動する。アリにとっては、最後の最後まであがき、もがいた末の死だったのだろう。しかし、アリに比べてずっと体の大きな人間にとっては、すべては一瞬の出来事である。

 働きアリの寿命はおよそ1~2年といわれる。しかし、危険の多い働きアリは寿命を迎えるまでに死んでしまうものも多い。

 アリジゴクは、アリの体に牙を刺し込んで体液を吸い取る。そして、干からびた亡骸(なきがら)は巣の外に捨てるのである。

 恐ろしいアリジゴクの巣ではあるが、単純な落とし穴にたまたま落ちるアリは決して多くない。首尾よく逃げ出してしまうアリもいる。

 アリジゴクの生活はつねに飢えとの闘いである。絶食に耐えられるような体の仕組みにはなっているが、それでも獲物がなければ餓死してしまう。アリジゴクにとっても、生き抜くことは簡単なことではないのだ。今日は、アリジゴクにとっては、数カ月ぶりのご馳走だった。

 アリジゴクがウスバカゲロウになってからは、数週間~1カ月程度しか生きることができない。しかし、幼虫のアリジゴクとして過ごす期間は栄養条件によって異なるが1~3年ほど続く。昆虫にとってはおそろしく長いこの期間は、ずっと飢えとの闘いだ。

 日差しが強くなってきた。今日も暑くなりそうである。

 そしてアリジゴクにとっては、また、アリが落ちてくるのを待ち続けるだけの日が続くのだ。

稲垣 栄洋 :静岡大学農学部教授



なんだよ、アリさんの老衰の記事じゃないのか。





セミは最期を迎えるときにいったいどこを見ているのか

9/13(金) 6:01配信

ダイヤモンド・オンライン
セミは最期を迎えるときにいったいどこを見ているのか

実はあまり生態が明らかになっていないセミ Photo:PIXTA

● セミの最期をセミファイナルと呼ぶ ブラックジョーク

 夏の風物詩であるセミファイナル。虫嫌いの私にとっては恐怖でしかない現象のひとつである。セミファイナルといっても一般的に使われるsemifinal「準決勝」の意ではない。ネット上で使われている下記の意味の言葉である。

【この記事の画像を見る】

 “昆虫であるセミ(蝉)が人生の最期を迎える(セミの死骸など)のを指して「セミファイナル」と呼ぶブラックジョークも見られる。仰向けで転がっていたセミが実はまだ瀕死状態で生きていたというパターンもあり、これに接近すると、けたたましく鳴きながら暴れることがままあり、(主に虫嫌いの人の)心臓にダメージを与えてくるトラップとなっていることもある。この状態のことをセミファイナルと呼ぶこともある。この場合、最後のあがき=ファイナルといったところであろうか。別名「セミ爆弾」とも言う。(pixiv百科事典より)”

 この状態のときに転がっているセミたちは最期を迎えるときにいったいどこを見ているのだろうか?彼らが見ているのは澄みきった空だろうか。それとも夏の終わりの入道雲だろうか。セミは仰向けの状態でいるのだから、私はてっきり空のほうを見ているのだと思っていた。しかし蝉の目は背についているので、彼らが最期のときに目にするものは、幼虫の間に長い時間を過ごしてきた地面であるそうだ。なんだか少しせつない。

 「セミの命は短い」とよく言われているが、その生態は明らかにされていないという。成虫になってからは1週間程度の命と言われているけれど、最近の研究では数週間~1ヵ月程度生きるのではないかと言われている。

 短いと言われるのは成虫になった後の話で、成虫になるまでの期間は土の中で何年も過ごす。一般的にセミの幼虫は土の中で7年過ごすと言われているが、実際のところはよくわかってないのが実情である。土の中を観察するのが難しいことと、生まれた子供が小学生になるくらいの年数を観察し続ける研究というのは容易ではないのが理由だ。

 成虫になったセミは子孫を残すためだけの存在である。オスのセミは大きな声で鳴いて、メスを呼び寄せる。オスとメスがパートナーとなり、交尾を終えたメスは産卵をする。これがセミの成虫に与えられた役目の全てだ。繁殖行動を終えたセミには、もはや生きる目的はない。セミの体は繁殖行動を終えると、死を迎えるようにプログラムされているのである。

 そして木に捕まる力のなくなったセミが道路に仰向けになって転がっているのだ。この本を読んで、私は少しだけセミに対して情がわくようになった。しかし仰向けに転がっているセミはいまも怖い。玄関の前に転がっているセミよ、頼むから動かないでくれ……。

● タコ、カゲロウ、アカイエカ、ヒキガエル… 様々な生き物の最期

 セミ以外にもこの本には様々な生き物の最期が描かれている。東洋経済オンラインで紹介されていたタコの話や、成虫になってから数時間しか生きられないカゲロウの話はとても抒情的に書かれている。またアカイエカの話はミッションインポッシブルのようなアクション風に書かれていて、読んでいると少しワクワクする。映画化したらヒット間違いなし?と思ったけれど、蚊の話なので、みなが感情移入できないので無理か。またヒキガエルのように寿命とは関係なく突然最期を迎えるものもいるのだ。また今回のレビューでは触れないが生き物の生態についても、この本を読んでいて様々な発見があった。

 全ての生き物に共通しているのは、みな儚い命を次世代に種を残すことだけに使っているということである。すべては次世代にバトンをつなぐため。そのためには自らの死をいとわない生き物のなんと多いことか……。そういった生き物から学ぶことはたくさんある。また生き物たちの最後の輝きに、その生きざまに胸を打つこと間違いなし。

 (HONZ 田中大輔)



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