大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です。多くのジャンルをさすらいます。

高槻と言えば 『お吟様』

2018年06月21日 | 映画

大阪北部地震で、学校の塀が倒れて死者が出て、高槻、高槻と報じられているが、戦国時代は、高山右近の地で、右近と言えば『お吟様』である。

今東光の小説は2回映画化されていて、1978年の熊井啓監督の方が評価が高かったようだが、私は1962年の田中絹代監督作品の方を評価している。

                   

にんじんくらぶなので、主演は有馬稲子で、右近は仲代達矢。お吟の造形について、有馬と田中の確執もあったようだが、そう悪い作品ではないと私は思う。

ただ、宮島義勇がカメラマンで、彼の伝記によれば、実際には宮島が監督したような状態だったと関係者の証言がある。

この映画で興味深いのは、岸恵子が特別出演していて、逃避行の有馬と仲代が、裸馬で連行されてゆく岸恵子を見る場面である。

これは溝口健二の『近松物語』のラストシーンの引用であり、脚本の成沢昌成と合わせ、溝口へのオマージュだと思う。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

陸上も海も同じだった 『小倉昌男 祈りと経営』

2018年06月15日 | その他

森健の『小倉昌男 祈りと経営』を読んだ。ヤマト運輸の社長小倉昌男の経営と家族についてで、非常によく書かれている。

彼の家族がいろいろと問題があり、そこは他の本には書かれていないそうで、よく調べてあり、ノンフィクション大賞になったのもよくわかる。

              

だが、私が一番感じたのは、小倉のヤマト運輸が、1960年代以降に陸上運送事業について行った国(運輸省)との争いのことである。

それは、私が横浜市港湾局に行って感じたものと同じだった。

今は、どうなっていつか知らないが、かつて日本の公共岸壁は、すべて特定の港湾運送事業者に運輸省から事業免許が与えられていた。

それは極めて厳密なもので、横浜市港湾局が所有する公共ふ頭で、横浜市が利用する時でも自由にはできないのである。

私が、この仕組みを知ったのは、中国の上海港との友好交流事業で、「中国工芸・美術作品展」という上海港の関係者の美術・工芸品を横浜三越で展示した時だった。中国の言わば素人の美術・工芸品の展示など意味があるのかと私は思った。

だが、実際は逆で「中国の普通の人の作品が見られるのは珍しい」とのことで大変に好評だった。

物は、中国から運ばれてきて山下ふ頭に上げ、市営の上屋の事務所の倉庫に入れ、その後会場に持っていく手筈だった。

ある日、物が来たというので、上屋の事務所の倉庫に担当者と行った。すると、上組の係長が来て、

「あんたら何をやっているんだ!」と言う。

「ここは市営上屋の事務所の倉庫なので、今度港湾局の事業で使うものを一時置いたのです」と担当が言うと、

「誰の許可を得て、ここに入れたんだ!」と怒鳴られた。

平身低頭し、事情を説明して事なきを得たが、たとえ市営上屋の事務所の倉庫であろうが、運送事業の許可を得た上組の許しを得なければ、誰であってもしてはならないのである。

この時の担当職員は、山下ふ頭にいたこともあるので、問題は十分に分かっていると任せた私が認識不足だった。

事情を理解すると上組はよくやってくれ、会場への往復作業もすべて無料でやってくれた。

要は、話が分かれば気持ちよくやってくれるのである。

こうした仕組みは、野口悠紀雄先生がいう「1940年体制」の一つであり、戦争のための「国家総動員体制」の一つとして、港湾輸送事業法を改正し、「ワン・バース、ワン・事業者」に整理し統制したのであり、それが戦後もずっと続いていたのだ。

新たな事業者が新規に参入するために、「国から事業免許を得るためにはどうしたら良いかと言えば、輸送実績が必要」と言うのだから笑えるではないか。

本来、免許がなければ事業はできないのだから、輸送実績云々は無意味なのである。

この本によれば、佐川急便は、密かに無免許で事業を行って実績を作り、それを根拠に国に免許申請をしたそうだが、さもありなんと思う。そうでもしなければ新規の免許は取れないのである。

ヤマト運輸は、そうではなく国との小倉の堂々たる論争、さらに免許を持っている事業者から免許で買うという方法で、拡大したのだそうだ。

まったく国は、1940年代から変わっていなかったのだなとあらためて思った。

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

昭南島の小津安二郎

2018年06月13日 | 映画

話題の米朝のシンガポール会談だが、予測通り中身には乏しかったようだが、関係ができたことは良いことだと思う。

さて、太平洋戦争中に日本はシンガポールを占領し、昭南島と改称した。

戦時中に、ここに小津安二郎が来ている。

               

目的な、戦意高揚映画『遥かなる父母の国』を作るためのシナリオ・ハンティングだったが、結局何も書けずに終わり、彼らは収容所に入れられ、小津は引き上げの人間の一番最後の昭和21年に戻ってくる。

これは何か意味があったのだろうか。

私は大きな意味があったと思っている。

それは、小津安二郎は、戦前は典型的なアメリカ映画かぶれだった。

だが、昭南島で小津は、多数のアメリカ映画を見た。『風と共に去りぬ』を見て

「こんな映画を作る国と戦争をしてはいけないな」と言ったのは有名だが、それは彼の本音だったと思う。

戦後の小津の映画は、『長屋紳士録』や『風の中の牝鶏』などの戦後の日本の現実を描いた作品の後、『晩春』で日本的な世界へ回帰して成功する。

その後、小津は『晩春』『麦秋』、そして『東京物語』と日本的な世界の名作を作るようになる。

その意味では、小津安二郎が昭南島に行ったのは、非常に意味があった思うのである。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

鬼ではなく、猿だ

2018年06月08日 | 事件

5歳の女児が虐待死し、両親はまるで鬼だとされているが、私は「猿」だと思う。

そして、こういう事件が起きるのは、戦後教育が悪い、日教組の性だと来る。

だが、明治、大正時代から劇団新派の当たり狂言は、継子虐めだった。松竹映画でも継子虐めはヒット作品だったと言われている。

               

さらに、歴史的に見ればギリシャ悲劇の戯曲『王女メディア』は、わが子を殺してしまう王女メディアの悲劇である。ただし、これも前妻との間の子であり、継子虐待である。

なぜ、このようなことが起きるのか。それは人間が猿から分かれた動物だからである。
ハヌマンやチンパンジーでは、前の「妻」や「夫」との間にできていた子を殺すことがよく知られている。
たかだか、50万年前に分岐した人間と猿の本能が似たものであるのは当然であるのだと思う。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

『リオの情熱』

2018年06月06日 | 映画

シネマヴェーラで見た1955年の『リオの情熱』は、日本航空がブラジルへの空路を開いたことを記念した新東宝映画だと思う。

実際に、主演の安西卿子、木暮三千代、藤田進、大木実は、ブラジルに行ってリオで撮影しており、新東宝としては大作だったろう。

                   

話はよくある、長年別々にいた人間が再会し、貧乏人が富豪だと偽って手紙をやり取りしていたように、「情報の格差」で起きる喜劇で、今のようにネットやスマフォですべてがわかる時代ではありえない筋書きである。

ブラジルでコーヒー農園をやっていた藤田進は、冷害で農園を失い、今では三津田健の農場で一労働者として働く身になっている。

日本航空のスチュアデスの安西が、父親の藤田進を訪ねてリオに来た時、三津田や木暮美千代たちは、三津田と藤田の身分を入替えた芝居を考えて、みなにやらせる。

三津田の息子の大木実は、ばかばかしいとは思うが、安西の美しさに惹かれて一日を彼女と付き合う。シュラスコ・パーティーなどもあり、それなりにブラジルのことを上手く取り入れている。

勿論、最後はウソがばれるが、安西は求婚された大木と結婚してブラジルに戻って来て藤田と一緒に生活する言う。

それなりによくできた作品であるが、それ以上に興味深いのは、監督の瑞穂春海である。

彼は長野の善光寺の長男で、東大を出て松竹に入った。渋谷実などの助監督を務め、1940年に『女だけの気持』で監督デビューする。

その後、1955年に松竹を出て、東京映画、新東宝等で多数の作品を撮るがほとんど娯楽映画で、水準以上だが問題作等は一切ない。

これは何を意味しているのだろうか。私は、これは松竹にあった「韜晦趣味」で、本当は知的なのだが、そうしたことを出さないのが都会的とするという考えかたである。

日活や東宝のような、問題作、「テーマ主義は田舎者のセンスでダサい」という考え方で、松竹の城戸四郎の趣味であることは間違いない。

同様な人は、フランス詩の研究家だったそうだが、つまらない娯楽作品ばかり撮った監督原研吉もそうで、松竹大船は人材の宝庫だったともいえるだろう。

 

 

 

 

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

補習科があった

2018年06月03日 | 東京

昨日は、都立小山台高校の3年の時のクラス会があり、武蔵小山まで行く。

会場は小山台会館で、これはもともと学校内に同窓生が寄付したというプーㇽの用地があった。

そこを約20年前、校舎全体を建て替えた時に、東京都所有以外の財産があるのはまずいとのことで、売却し、その金で武蔵小山に同窓生会館を作ったのだ。

愛校精神など全くない私には、高校に土地を寄付したなど、信じがたいが、昔の城南地区の人にとっては地元の中学(東京府立8中)としての誇りがあったのだと思う。

                                   

さて、出席者は22人で、50人だからかなりの出席率で、死んだ者は2人のみ。

この中で、いろいろと話していて思い出したのは、小山台高校には、「補習科」というのがあったことだ。

これは、卒業して大学受験したが合格できなかった生徒が入れるクラスで、1教室分あった。

ここに行って翌年無事東大に合格した加藤君に聞くとみな「4年生」と言っていたそうだ。

もちろん、私も入学希望の書類は出したはずだが(授業料が異常に安かったのだ)、運よく早稲田に受かってしまったので行くことはなかった。

聞くと、授業は現役の大学の先生で、非常にレベルの高い授業だったとのことだ。

卒業後1年目のクラス会に出ると、浪人した連中が東大や東工大にみな合格しているので、非常に驚いたが、この補習科のお力があったようだ。

今では、到底あり得ない仕組みだろう。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

木村元だった

2018年05月30日 | テレビ

BSフジで、1990年の『斜陽の果て』を見た。

これは、映画監督の石橋蓮司をめぐり、かつての恋人で女優の小川真由美と、現在の若い恋人の美保純が新作映画で共演する。

最後、青森の最果ての駅のシーンで、美保純がホームから転落し進行してきた列車にはねられて死ぬ。

事故か殺人かの取り調べになるが、最後フィルムに小川真由美が美穂純を押した瞬間が写っていて小川の殺人が確定する。

監督の「カット!」の後もカメラを廻していたのはおかしいと思うが、小川と美穂、石橋の演技合戦はなかなか面白かった。

中で、石橋の盟友のプロデューサーは見た役者だと思いつつ誰か分からずにいた。

最後、タイトルで、木村元だと出た。

        

大映などによく出ていた役者で、調べるとご存命のようだ。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

高齢者になっても

2018年05月27日 | その他

先日、女優の朝丘雪路が亡くなったことが結構大きく報じられた。

数年間から認知症だったそうだが、その理由は彼女が生まれついてのお嬢様で、家事等を一切やらない女だったことがあるようだ。

自分で家事をしたのは、宝塚歌劇団にいた時のみだったというから凄いが、その代わり彼女は芸事に精出してきたわけだ。

その彼女が、70代後半以降の高齢から芸事にも出られなくなれば、することはなくなり、その結果が認知症だったわけだ。

また、私の知り合いの人でも、料理、家事等をある事情からしなくなり、次第に認知症になってしまった方がいる。

先日も、ある高名な演出家の新作を見たが、まことに唖然とする出来で、びっくりしてしまった。

それもどうやら、その方が集団の中で「独裁的」で、誰も文句は言えず、勝手に作・演出したことの結果のようだ。

                    

また、元「ミュージック・マガジン」の編集者だった藤田正さんとお会いしたが、彼曰く

「晩年の中村とうようさんは、まわりの取り巻き連中だけに囲まれていて、新しいことへの興味も失い、周囲のことも見えなくなっていたことが間違いだったと思う」

私も、その通りだと思う。

人間、他人との係わりを失ったら、元々は群生の生物である猿としての人類は、劣化するしかないのだろうとあらためて思った。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

『ヒアアフター』

2018年05月25日 | 映画

クリントイーストウッドの監督作品。

        

冒頭、南方の島、多分インドネシアだろう、にいたフランス人ジャーナリストのマリーは、津波に飲み込まれ、そこでの臨死体験から霊能力を得る。ロンドンの生活保護家庭の双子の弟マーカスは、買物に出て不良に絡まれて逃げ道路に飛び出して車に撥ねられて死んだ兄を思い出そうとしている。母親は麻薬中毒患者で、ケースワーカーの手によって施設に入れられ、弟は里親家庭に引き取られる。

マットデイモンのジョージは、幼時に脳の手術をしたことから霊能力を得て、相手の手を握ると、その人が思っている人物が見え、声が聞こえてくる。兄は、彼を使って大々的なビジネスにしていたが、ジョージは次第に虚しくなり、今は倉庫係で働いている。

マリーは、テレビ局に復帰するが上手くいかず、恋人とも別れて、霊能についての本を書く。

マーカスは、兄を見るために、霊能の会に出たりする。イギリスにはこういうも会は今もあるようで、昔アッテンボローが製作した『雨の日の降霊祭』は、こうした霊能会を利用した誘拐殺人事件で、非常に面白かった記憶がある。

ジョージは、リストラで会社を首になり、料理教室で女性と知り合うが、彼が霊能者と知ると上手くいかなくなり、彼は海外への旅に出る。

マリーの本は、ロンドンのブックフェアで紹介されて講演すると、そこにマーカスとジョージが来る。

最後は、ジョージとマリーが街角で会って抱き合うところで終わる。

ここで、ジョージにはマリーの過去が見えるのではないかと思ったが、それはなし。

マリーが治療を受ける施設の医師としてマルト・ケラーが出てくる。『マラソンマン』など、1970年代にはよく出ていた美人女優だったが、やはり年取っていた。

イーストウッドがなぜこういう作品を作ったかは分からないが、アメリカとアメリカ人が本質的に宗教的であることがよくわかる。

BS12

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

「内田監督、内田監督」と言うと

2018年05月24日 | 事件

日大のアメリカン・フットボールの悪質タックル事件で、「内田監督、内田監督・・・」というと、「内田吐夢監督か」と思ってしまう。

                                        

内田吐夢は、戦前から巨匠と言われてきた監督で、戦後に中国から帰国してからも大巨匠として評価されてきた。

一般的には中村錦之助主演の『宮本武蔵』が有名だが、『飢餓海峡』は本当に凄い作品だと思う。

黒澤明や小津安二郎らと同等の評価を与えて良いと私は思っている。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

小津安二郎が結婚しなかった理由は・・・

2018年05月21日 | 映画

先週の土曜日に行われた全国小津安二郎ネットワーク総会で、佐藤忠男先生の講演が行われた。

中で、佐藤先生のご記憶として、「芸術院会員になったパーティの時、小津さんの母親が出て来て、その前では、小津監督も小さくなっていた」 

また、「言い方は悪いが、長男の方は、はっきり言って俗物的でした。小津の記念館を作る話が出ると、即座に小津家はいくら出さなければいけないんですか、と言うような人でしたね」

まあ、よくわかる話である。関東大震災と太平洋戦争によって減ったとはいえ、小津家は深川に財産を持つ相当な資産家だった。

一家の人間は、当然に裕福な階層同士で結婚していただろうと想像する。

対して、小津安二郎に交際していた女性は、戦前から晩年に至るまで、花柳界や映画界の女性だった。

言わば、水商売屋芸能界の女性を、小津家の一員にすることはできなかったのだろうと思う。

大監督の小津先生も、実生活では結構悩みがあったのだとあらためて思った。

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

『摩天楼の男』

2018年05月17日 | 映画

1960年に公開された日活作品、監督野村孝、主演は二谷英明、清水まゆみ。

                   

地方のダム建設現場で事故が起き、現場責任者が死に、後任で二谷がSLに乗ってやってくる。

鳴海三四郎という名で、原作は城戸礼なので、姿三四郎的なキャラクターなのだと思う。

そこは、二谷らの三浦建設と、荒川組(草薙幸二郎)が対立していて、二谷の部下は丹波哲郎、さらに、不満分子の神戸瓢助、柳瀬志郎らもいて不穏な状態。

東京から、グラフ雑誌社長の娘でカメラマンの清水まゆみが、少年と偽ってダムの建設現場に来る。男とするには無理があるが、映画なので良い。当時はダムに女は来てはいけないからだ。現場にいる女は、飯場の飯炊きだけである。

清水まゆみは結構可愛かったが、この頃出てきた後輩の吉永小百合に抜かれていく。『疾風小僧』がそうで、初めは清水まゆみに決まっていた役を監督の西河克己が吉永小百合に会って

「非常に小さいけど、この娘がいい」としたために清水は脇に回されたのだそうだ。そのために吉永は、スタッフに冷たくされたと書いている。

二谷と、悪の側のユスフ・トルコとのアクションシーンも凄い。ユスフは本物のレスラーだったので迫力があるが、二谷は、石原裕次郎の『俺は待ってるぜ』のラストシーンでも凄いアクションシーンを見せている。

建設は進みもう一歩というときに、小屋で火事が起き、それは荒川組に買収された者の放火だったが、二谷は、

「そんなことはどうでもよい、働いてダムを作ることが重要なのだ」と労働を賛美する。

脚本は熊井啓で、こうした労働賛美は、彼が支持する共産党のイデオロギーでもある。また、考えると後に熊井啓が脚本・監督する『黒部の太陽』にも続く「ダムもの」だったともいえる。

題名の「摩天楼」だが、摩天楼とは高層普通ビルのことで、ダムサイトを摩天楼というのは少々無理があるが。

衛星劇場

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

『甘い汗』の長屋はどこだろうか

2018年05月15日 | 映画

昨日は、小島豊美さんと両角康彦さんが主催する「よろず長屋 まったりトーク」で、神保町のきっさこで、松竹映画について再評価するトークをした。

私が、高校、大学の頃、一番好きだったのは日活で、東宝、東映、大映はよく見ていたが、松竹は一番バカにしていた会社だった。

だが、映画史を知るようになると松竹は、1920年の松竹キネマ創立時には、非常に新しい考え方を持っていた会社だった。

その1は、女優を使うことで、女形は使わないようにすることだった。当時は、衣笠貞之助、立花貞郎のような女形女優がいて人気だったが、それはやめて女性を使うことにして、俳優養成所を新劇の小山内薫を招いて設立までした。2は、現代劇を作ることで、旧来のチャンバラや歌舞伎劇は作らないとのことだった。

だが、現実は上手くいかず、京都での林長二郎(長谷川一夫)の時代劇の『稚児の剣法』や『雪之丞変化』などがヒットして人気になった。「ミーハー族」も、松竹の大阪が、「林長二郎を見て、みつ豆を食べる若い女」から作った宣伝文句だそうだ。

松竹映画を考えるについて、まず世界の小津の小津安二郎の戦前のサイレント映画、『非常線の女』を見た。これは昼間は商事会社の英文タイピスト田中絹代が実は、ギャングの岡譲二の情婦であるという凄い映画なのだ。ここには、ダンスホールのフロリダも出てくる貴重な作品である。最後、会社社長の息子で専務の男から現金をピストルで脅して強奪し逃亡する。逃げた場所は、横浜山手のカソリック教会の前で撮影されていて、そこで田中絹代は、岡譲二をピストルで撃ち、怪我させて互いに自首して最初からやり直そうという。これは私見では、前年の1932年に蒲田撮影所の隣の大森で起きた、共産党ギャング事件へのメッセージではないかと思う。『生まれてはみたけれど』に見られるように、当時の日本の社会に対して批判的だった小津の、左翼へのメッセージ、「もう一度やり直せよ」ではないかと思うのだ。

松竹からは、島津保二郎、成瀬巳喜男、豊田四郎など東宝に移籍した監督、さらに戦後の日活の製作再開での、中平康、斎藤武市、鈴木清順らの大船撮影所の助監督の移籍に見られるように、多くの監督を松竹は育てている。

私は、渋谷実、豊田四郎らの「風俗映画」が好きで、この日は豊田の監督、京マチ子、桑野みゆき、佐田啓二出演の『甘い汗』を見た。

                          

これは長年、クラブで働いて一家を支える京マチ子の話で、いつもは悪役の山茶花究が善人で、悪役でヤクザの佐田啓二に騙され、その片棒を京マチ子も手伝わされる皮肉な話なのだ。

撮影場所としては、下北沢の闇市、上野の博物館付近、井の頭沿線の駅での佐田啓二と京マチ子の再会の他、船橋ヘルスセンターなどが出てくる大変に興味深い作品なのだ。

中で、京マチ子と池内淳子が明け方に歩く場所がよくわからず見て貰った。

浅草か足立区あたりではないかとのことだったが、特定できなかった。

これは美術が伊藤喜朔なので、非常に凝ったリアリズムのセットが凄い。これを作った東京映画は、東宝の子会社だが、一応独立なので、5社協定外であり、他社の俳優を出すシステムとして使用された。『駅前シリーズ』も東京映画だが、これは森繁久弥、フランキー堺と共に、松竹の伴淳三郎を出すための工夫だった。

ラストは、1962年の日活の『上を向いて歩こう』で、吉永小百合、高橋英樹、浜田光夫、渡辺とも子、ダニー飯田とパラダイスキング、平田大三郎らの青春映画で、国立競技場をバックのラストシーンのエネルギーが実に素晴らしかった。

 

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

『海を渡る波止場の風』

2018年05月11日 | 映画

1960年、公開された小林旭の主演作品。脚本は山崎厳と大川久男、監督は山崎徳次郎。この人は早撮りだったそうだが、「事件記者」シリーズなど、当時の2本立ての併映作品を多作した。

                           

中には、赤木圭一郎、芦川いずみ、吉永小百合の『霧笛が俺を呼んでいる』などの傑作もあった。

話は、鹿児島で、桜島上空でセスナ機が行方不明になり墜落するが、操縦士の青山恭二は姿を消している。

婚約者だった浅丘ルリ子は、青山の死を信じられず、父親で貿易商の内藤武敏と鹿児島にやって来る。

そこに、なぜか小林旭と宍戸錠もやってくる。それは、「渡り鳥シリーズ」の派生形なので仕方がない。

鹿児島のキャバレーを根城にした悪の一味がいて、野呂圭介などがウロウロするが、そのたびに旭に駆逐される。

もちろん、キャバレーではダンサーの白木マリが踊り、女性3人組のコーラスのスリー・キャッツが歌っている。

スリー・キャッツは、この頃のコーラス・ブームの頃、テレビによく出ていたが、映画は珍しい。

この作品で良いのは、小林旭の登場がびっくりする形であることで、プラスティツクの円天井を破って落ちて来たりし、結構工夫している。

最後、青山恭二はキャバレーの地下に幽閉されていて、麻薬中毒にされている。

最後は、旭とジョーの活躍で悪人は駆逐されて終わり、小林旭は、鹿児島駅から急行霧島で東京に向い、駅で浅丘ルリ子は残されて見送る。

この映画は、他の「渡り鳥シリーズ」と違うところがある。それは浅丘ルリ子が小林旭の恋人ではないことで、彼女は青山恭二の恋人。

さらに、いつもは善人の内藤武敏が本当の悪人であることで、これは意外だった。

旭の『ダンチョネ節』や『おはら節』が聴ける貴重な作品でもある。

チャンネルNECO

 

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

反英国映画について

2018年05月09日 | 映画

先日見た1943年の松竹の『秘話ノルマントン号事件』は、明治時代のことだが、イギリスの悪を暴く反イギリス映画だった。

            

同様に、1943年の東宝には長谷川一夫主演の『進め独立旗』という作品もある。これは非常に奇妙な作品だが、長谷川がインドの藩国の王子で日本に亡命していて、英国領事館に追われるが、それを日本人が助けるという反英国映画である。

また、阪東妻三郎が高杉晋作を演じる『狼煙は上海に上がる』は、中国に渡った高杉が、アヘン戦争とイギリスの悪を目撃する作品である。

さらに、マキノ雅弘監督には、そのものずばり『阿片戦争』もあり、このように反英国の映画は、戦前、戦中に多く作られている。

そして、意外なことに当時、反米映画というのは、実はあまり作られていないのである。

これはどうしてなのか、大東亜共栄圏には、中国、マレイ、インドなど、イギリスが進出していた地域で、日本との摩擦があったためなのだろうか。あるいは、イギリス帝国の大きさを日本は当時は非常に恐れていたということなのだろうか。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加