指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

『暖流』 吉村公三郎監督版

2020年03月30日 | 映画
別に小池百合子の指示に従ったわけではないが、非常に寒いので家にいて、吉村公三郎監督版の1939年の『暖流』を見る。
1957年の増村保造のは見たことがあるが、これは初めて。
主演は佐分利信、水戸光子、そして高峰三枝子、さらに悪役は徳大寺伸で、これが非常に良い。
この中で、水戸光子は、きわめて好ましい女性に見え、戦後フィリピンの島から30年ぶりに戻った小野田寛郎さんが、好きな女性で「水戸光子」を上げていたのもよくわかる。



話は、志摩病院の改革に乗りこんできた事務長の佐分利信と病院長の娘の高峰三枝子と小学校時代の同級生で看護婦の水戸光子との恋愛劇である。
そこに看護婦に手を出しながら、高峰と結婚しようとするキザな徳大寺の悪役ぶりが上手い。
今見て驚くのは、戦前の日本の社会の格差というか、生活様式の違いの大きさで、ご令嬢の高峰は、家に戻って靴を脱ぐのも女中にやらせている。
まるで、江戸時代のお姫様である。
兄で医者の斎藤達雄は、病院の仕事はせずにゴルフなどで遊びまわっている。
だが、病院の実情は苦しく、佐分利は冗費の削減など改革を進め、水戸は佐分利の「スパイ」を務める。
これはよく考えると、昭和初期の資本主義化の進展の中で、次第に貧困化していく小規模資本家の没落とも思える。
ここで不思議なのは、佐分利は、病院を個人経営から会社にするとのことで、戦前は今日のような医療法人制度はなかったのだろうか。
最後、看護婦を騙して捨てた徳大寺の悪事が暴かれ、佐分利は、やや唐突だが高峰に求婚するが、彼女は断り、水戸と一緒のなるように仕向ける。
この関係は、当時庶民の水戸か、お嬢様の高峰かの議論があったそうだ。
もちろん、佐分利は水戸と結ばれて、それぞれに相応しい相手を得て終わる。
これをさらに極端化したのが、小津安二郎の名作『戸田家の兄妹』でもあるのだと気づいた。
衛星劇場







 

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