みゆママんちのゴハン日記♪

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頑張ってます(^^;)

3/15 *大地震*

2011-03-16 19:19:15 | ひとりごと日記

だいぶ更新しなくてすみませんm(__)m


実は、日曜日は、

娘のサッカーの卒団式謝恩会があって、

主催側の私たちは連日準備に追われていました。


無事に卒団式も終え、今度は地震対策に追われるように。



11日といえば、

娘の中学校は、3送会が行われ、私も中学校に見に行き、感動の涙を流していた。

お昼前には終わって、ママ友とランチをしに行き、まだまだ卒団式の準備がある私は

のんびりせずに帰宅。娘も最後の給食を食べて帰ってきた。

娘はコタツでテレビを見ながら、セラと遊んでいて、私はパソコンで作業中・・・

静かに、ゆらゆらと地震が。

「あ、地震。」

「・・・長くない?」

そのうち揺れが強くなってきて、パソコンやテレビ、まだしまってなかったお雛様などを押さえ

だけど棚からはばらばらといろんなものが落ちていく。

娘が、「これヤバくない!?」

その瞬間、恐怖に変わり、本当に、関東大震災が来てしまった!と思った。

娘がリビングの窓を開け、2人でそこから外へ飛び出した。

夜勤明けで寝ていた息子も飛び起きて2階から駆けおりてきた。

セラを忘れて、急いでセラを抱いてまた窓から出ようとしたとき、地震がおさまってきた。

庭の前に流れる静かな川が、波打ちうねっている。


怖かった。 足が震えていた。


とにかく、関東大震災ではないだろうとは思ったけど、

付いてたテレビもすぐにニュース速報に変わり、東北関東で大地震があったことを知る。

仕事に行ってる旦那に電話をかけると、つながらない。携帯も、家電も、まったくつながらない。

災害時だからだ!と思ったけど、それでもかけ続ける。

一応、メールしておこうと思い、メールはなんとか送れたけど、はたしてちゃんと届いているのか?

「大丈夫?」 とだけ送って。

しばらくしたら、「大丈夫。」と返事が来た。 

やはり旦那も、仕事の手をとめて、みんなで会社の外に飛び出したようでした。

外にでると、ビルがすごい揺れていて、酔ってしまうぐらい気持ち悪かったそうです。

まわりの会社からもみんな外に出てきて、女の人たちがキャーと叫んでいたりしたそう。

幸い、私は、たまたま子供たちと家にいたので、連絡がつかないとかは無かったですが

あの状況で連絡つかないとかでは、本当に心配になるだろうし、不安でいたたまれないだろう。

家族はなんとか大丈夫だったけど、

実家の母が仕事で銀座に居た! 妹も赤羽に! 弟は地方に!

結局、母は、帰宅困難者となり、東京駅八重洲口そばの学校に避難し、一夜を過ごして

少しの食料も頂いていたそうです。


大地震のあと、大きな余震も続き、ずっとテレビから離れられずに見ていると、

旦那が帰ってきました。

火を使うのも怖かったし、子供たちと一緒に車で買出しに。

コンビニはすごい混雑、しかも、食べ物がほとんど売り切れ状態。

お弁当屋さんもすごい混んでる。 閉店してしまったスーパーも。

DVDを借りたいという子供たち、レンタルビデオショップに行ったら、店はやってるものの

DVDが落ちて散乱状態。

でも、まだこっちは物が落ちる程度。

東北はひどい。テレビを見るたびに切ない。涙も出る。


企画停電も行われ、ほんの数時間だけど電気の無い生活。

ガソリンスタンドもスーパーも長蛇の列。

今日、やっとガソリンも灯油も買えた。しかし、米が売り切れで買えなかった。

卒業式のあとの謝恩会も中止。



東北の惨事、私たちの今の生活とは比べ物にならない。

いくら不景気とはいえ 物があふれてあたりまえのこの世の中にどっぷりつかっている私たち。

これでも大変と思う。

小さな額しか募金できない 小さな私。

小さな力だけど、小さな力もみんなで力を合わせたら大きくなるよね。


娘のチームは、塩釜に遠征に行ったこともあるけど

その塩釜も壊滅。

その人たちは、今どうしているんだろう。無事なのか・・・




阪神淡路大震災のあとは、ちゃんと地震対策したんだけど

ひとは月日が流れると 忘れてしまう

でも、やっとかなくちゃな~と思う気持ちはある

でも、明日でいいや 今度でいいや。

きっとみんなそうだと思うけど、やっぱちゃんと日々考えておくべきだね。

地震大国に住んでるってこと、忘れちゃだめだよね。


海外からも、たくさんの支援が。ありがたいことです。

東北の各地

1日も早く、物資がきちんんと届いたり、仮設住宅ができたり、復旧してほしいです。