にゃんこままの部屋

その時々に感じたことを、日記風につづります。

大地真央さん 宝塚時代から今日まで

2007-06-26 15:22:43 | 舞台 イベント




大地真央さんのミュージカル「マイ・フェア・レディ」の公演も
いよいよ終盤ですが、もう少し彼女のことを語らせてください。
大地真央さんに関することはこちらをご覧下さい


大地さんは、中学生のとき、舞台に立つおもしろさを味わって芸能活動を希望し、軍人だったお父様に相談、
宝塚は軍人なみに規律が厳しいという
お父様の友人の薦めで受験を決意。

実家は淡路島にあり、岩屋からフェリーに乗って明石まで、
それから当時の国鉄で阪神地区まで毎日お稽古事にかよう日々が続きました。

当時は明石大橋はまだありませんでしたから、
お天気が荒れればフェリーは運休、大変だったでしょう。

そして見事合格!

華やかな容姿は、入団当初からスター候補生としての声も高かった
ということです。
月組に配属になり、「ベルサイユのばら」初演では新人公演で、
物語のナレーター役を務める小公子役でした。
歌う場面も多く、劇画の王子様のような風貌もあいまって
スターへの道は約束されたようなものでしたでしょう。

続く、大滝子さんさよなら公演「長靴を履いた猫」では、
新人公演で主役の猫に抜擢され、猫好きの真央さんの本領が発揮されます。

しかし、猫好きの真央さんですが、猫アレルギーとしても有名で
、アレルギーにもかかわらず私生活では猫を何匹も飼っておられます。

このように真央さんは下級生の頃から新人公演で大きな役がつき、
将来は宝塚を背負って立つ大スターにと・・誰もが期待していたのです。

大地さん新人の頃の月組は大人びたカラーを持った組でした。
宝塚の常識をわきまえ、常に大人としての行動を求められる
タカラジェンヌの模範のような月組でした。

その中にあって、もともとおきゃんなところのある大地さんとしては
狭苦しさを感じていたのではと思います。

ほかのスターさんと違い、何が何でも宝塚にはいって
宝塚スターになりたいと思って入ったわけでなく、
芸能活動をしたいのならば、お父様が「規律の厳しい宝塚なら・・。」
ということで容認してもらい、受験したわけでしたから・・。

枠にはめられる窮屈さを感じていたのではと、私は改めて思うのです。

トップになってからの「ガイズ&ドールズ」で、
ミュージカルの醍醐味を味わった大地さんは、
誰もが、彼女はまれなるミュージカルスターだということを
認めざるをえませんでした。

私自身は、真央さんの宝塚退団後の舞台は
「マイ・フェア・レディ」以外観ておりませんが、

17年間、イライザの役を務め続けた真央さんは、
「この記録は誰も破れないでしょう。」
と、先日テレビ番組「笑っていいとも!」のゲスト出演で
にこやかにおっしゃっていました。

かわいいコメディエンヌぶりと、毅然とした美しさを併せ持つ
たぐいまれなるミュージカルスターの真央さん。

その頂点が、彼女のイライザなのでしょう。


ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の舞台は、いよいよ終盤を迎えます・・。




コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第47回「3000人の吹奏楽」 | トップ | PIW大津公演は今年もある... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

舞台 イベント」カテゴリの最新記事