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楽阿弥

2009-12-23 22:16:53 | Weblog
狂言に『楽阿弥』というのがある。ネットで検索すると
結構演じられている。

「旅の僧が伊勢参りの途中、伊勢の別保村にさしかかると、
何本もの尺八がぶら下がっている松の木があった。村人に
その由来を尋ねると、その昔、楽阿弥というたいそう尺八
狂いの男がいて、その霊を弔う松だという。ならばと、旅
の僧は袖の下より尺八を取り出して「自分も一曲手向けよう」
と短尺八を吹く。すると、それに合わせるかのように低い
音が聞こえてくる。それは楽阿弥の亡霊だった。

「宇治の朗庵主の序(=偈)にも『両頭を切断してより後、
尺八寸中古今に通ず』とあるように、こうして幽明境を異に
する二人が心を通わせられるのも尺八の縁かと言って消えよう
とする。そこで旅の僧が、せめて最期を語らせたまえというと。

「さらば語りなん。楽阿弥は、時と所をかまわず門付けして
尺八を吹くものだから、村人に嫌われて布施ももらえない。
またそれを腹立ちまみれにあちこち行って悪態をつくもの
だから、尺八のように、縄でしばられ、矯められ、炙られ、
のこぎりでひかれ、殺されてしまった。冥土に行っても尺八
への妄執を断ち切れずにいる。この苦しみを救ってくれ」と
言い残して消えた。


狂言だが、楽阿弥の霊が現れて、旅の僧に最期の様を語る
という「夢幻能」の形式になっている。


「1561年に京都の三好邸で演じられた」との記録があり、
狂言の中で最も古く「南北朝頃の作か」と言われている。

しかし、尺八家の目で見ると、いろいろ疑問点がある。

1.「宇治の朗庵主の頌にも『手づから両頭を切断して
より後、尺八寸中古今に通ず』」という台詞が出てくる。
これは1511年頃の『体源抄』に一休作として載っているが、
「宇治の朗庵主の」と出てくるので、「文明丁酉(1477)年
祥啓筆」と記載のある『朗庵像』を見知っていて作られた
ものである。


2. 「われらも持ちたる尺八を、袖の下より取り出だし」
は、1518年成立の『閑吟集』にある。

狂言『楽阿弥』が『体源抄』や『朗庵像』に影響を与えた
とすると、1477年以前の作となる。逆に『体源集』や
『閑吟集』から転用したと考えると、1520年以降の作となる。



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