狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

清流に臨みて詩を賦す

2006-12-20 16:23:21 | 本・読書
聊か旧聞に属することで恐縮だが、秋篠宮紀子妃殿下(紀子さまといった方が一般的みたいなのだけれど…)が、親王様をご出産なされたとき、マスコミの扱いは異常なものであった。新聞の号外は勿論だが、東証株式市場への影響まで取り沙汰されたようだった気がする。

ところでそのとき、紀子さまのご両親である川嶋辰彦学習院大教授夫妻の感想は、「『清流に臨みて詩を賦す』心に重なる感懐を覚えます。お健やかな御成長を謹んでお祈り申し上げます。」と仰っしゃられとの記事が新聞にあった。

それは如何なる心境なのか、一応ネットで「陶淵明」を検索してみた。
登東皋以舒嘯 臨清流而賦詩
聊乘化以歸盡 樂夫天命復奚疑
之は「歸去來兮辭」という長い詩文の終の方にある詩文で、小生が解読するには(解読には一生かかってしまうであろう)凡そ難解、解読不可能なものであった。

ところが、偶然である。
その出典「陶淵明全集(下)」が小生の手元の書棚にあったのである。
意識して頂いたのではないが、今年の文化祭の折、町の 図書館の「整理ポスト」として一般町民に無料払い下げをした本の中から、僕が行列の中に入って頂いてきた、
「ワイド版岩波文庫・陶淵明全集(下)松枝茂夫・和田武司訳注」なのである。

岩波文庫は、最近大きな活字版の文庫に移りつつあるが、それでもわれわれ高齢者の読めるような活字ではない。その点ワイド版は、体裁といい、活字ポイントといい、文句の言いようもない良書である。

この「ワイド版陶淵明全集(下)によって、妃殿下のご両親である、川嶋辰彦学習院大教授夫妻の感想を解読できたのであった。

次が、その訓読みと、平易な現代語訳である。

已矣乎 寓形宇内復幾時
曷不委心任去留 胡爲遑遑欲何之
富貴非吾願 帝郷不可期
懷良辰以孤往 或植杖而耘
登東皋以舒嘯 臨清流而賦詩
聊乘化以歸盡 樂夫天命復奚疑

已矣乎(やんぬるかな)、
形を宇内に寓する 復た幾時ぞ。
曷ぞ心に委ねて去留を任せざる、
胡爲(なんすれ)ぞ遑遑として何くに之かんと欲する。
富貴は吾が願いに非ず、
帝卿は期す可からず。
良辰を懷うて以て孤り往き、
或は杖を植(た)てて耘耔(うんし)す。
東皋に登りて以て舒(おもむろ)に嘯き、
清流に臨みて詩を賦す。
聊か化に乘じて以て盡くるに歸し、
夫(か)の天命を樂しみて復た奚(なに)をか疑わん。

ああ、いかんともしがたい。
肉体がこの世にあるのは、あとくばくもないというのに、
なぜ自らの願うところに従い、自分の出処進退をそれにあわせないのか。
一体この私は、何処へ行こうとして、かくもあわただしくしているのであろう。
富や地位は私の願いではない。復、神仙の世界などというのもあてにならない。
晴れた日が来れば、ひとりで歩き回り、
杖を傍らに突き立てて農作業の真似ごとをする。
また、東の丘に登ってのんびりと口笛を吹き、
清流を前にして詩をつくる。
自然の変化にわが身をあわせ、生命の終わるのを待ちうける。
天命を素直に受け入れて楽しむ境地に入れば、
もはや何の迷いもなくなってしまうのだ。

〈寓形宇内〉身を天地の間に寄せること。
〈心〉心願。ほんとうにしたいこと。
〈去流〉進退、行動。
〈遑遑〉あわただしいさま。
〈帝郷〉神仙のすみか
〈耘耔〉耘は除草すること。耔は土をかけること。
〈乗化〉生命が変化するのに従うこと。
〈帰尽〉死をさす。


最新の画像もっと見る