狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

ある宴の献立

2007-01-13 21:03:14 | 本・読書

これは三島由紀夫「宴のあと」の一節である。
霞弦会という、それはむかしの同期の大使たちのいわばクラス会で、年に一度十一月七日が例会の日であるが、今までいい会場に恵まれてゐなかったので、ある大臣が見かねて口をきいたのだ。という設定である。

 まず第一章は「雪後庵」の説明から入る。

 
雪後庵は起伏の多い小石川界隈の高台にあって、幸ひに戦災を免かれた。三千坪に及ぶ名高い小堀遠州流の名園と共に、京都のとある名刹から移された中雀門も、奈良の古い寺をそのまま移した玄関や客殿も、あとに建てられた大広間も、何一つ損なはれてゐなかった。
 戦後の財産税さわぎの只中に、雪後庵は元の持主の実業家の茶人の手から、美しい元気な女主人の手に渡って、たちまち名高い料理屋になった。
 

 その日の雪後庵の献立は次のようであった。

 汁  松露、胡麻豆腐、白味噌
 作  烏賊細作り、防風、橙酢、
 鉢  あま赤貝、青唐、橙酢、出汁
 八寸 鶫附焼、伊勢海老、貝柱、千枚漬。甘草芽
 煮  相鴨、筍、葛餡かけ
 鉢肴 鰉二尾、甘鯛塩焼、橙酢
 椀  ぜんまい、栗餅、梅干

かづは藤鼠の江戸小紋の着物に、古代紫地に菊花菱の一本独鈷の帯締め、錆朱の帯留に大粒の黒真珠をつけた。かういう着物の選び方は、豊かな体を引きしめて、すっきりと見せるのに役立った。

ボクがなぜこんなところを興味深く引用したかというと、古い(97年)町の広報紙の「町長コラム」に皇太子殿下ご夫妻との昼食会に臨んだ時の献立が記されていたのを見つけたので、何となくその両者を比べてみたかったからである。

 しかしボクは、昨日物置内の片付けに丸一日を費やしてしまった。東京に住む倅を動員して、欅や銀杏の落葉で、すっかり詰まってしまった物置の雨樋や、排水溝のゴミを取り浚らわせた。
 物置内には、運送屋をやっていた時の、工具や機材が散乱したままになっている。あまりはりこみ過ぎて夜は草臥れて酒を煽って寝てしまった。
 今朝、起きてすぐブログ更新作業に入ったところであるが、 皇太子殿下ご夫妻と共にした御献立表を、謹記し終わったところで、家内が朝食の準備完了のお迎い。

 拙宅の朝食は概ね次ぎのようなものであった。

 汁…蜆汁。赤味噌仕立て、妻・ねぎ
 煮物…切干大根人参さつま揚げ和え(昨夜の残り物)
 椀…自家製沢庵漬けもの、焼き海苔
 雑…サラダ(これも残り物であろう)・鰹塩辛
 飯…電気炊飯
 揚…農協緑茶
味噌汁はお代わりを頂戴した。(14日追記) 




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