栗林中将、素顔の手紙 家族らへ300通 硫黄島で指揮
2006年12月08日
太平洋戦争で米軍は1945年2月、小笠原諸島の硫黄島に上陸し、栗林忠道(ただみち)中将(当時53)率いる旧日本軍と戦史に残る激戦を繰り広げた。米軍を苦しめた栗林中将は、9日公開のクリント・イーストウッド監督の米映画「硫黄島からの手紙」の主人公として、家族や部下思いの人物として描かれている。遺族は「軍人ゆえに忘れられた存在だったが、映画でその人間性に光が当たるのはうれしい」と話している。 (アサヒコム)
2006年12月08日
太平洋戦争で米軍は1945年2月、小笠原諸島の硫黄島に上陸し、栗林忠道(ただみち)中将(当時53)率いる旧日本軍と戦史に残る激戦を繰り広げた。米軍を苦しめた栗林中将は、9日公開のクリント・イーストウッド監督の米映画「硫黄島からの手紙」の主人公として、家族や部下思いの人物として描かれている。遺族は「軍人ゆえに忘れられた存在だったが、映画でその人間性に光が当たるのはうれしい」と話している。 (アサヒコム)
私が海兵にいた頃、あの米軍の攻撃の直前の最後の船で、江田島の本校に転属になった教官がいましてね、少しばかり硫黄島の話しはしてくれましたが。江田島から、我々の針尾の方へ転属で来たわけでした。後日又。
兎に角、戦闘場面の描写では、やはり、やっぱり日本映画の比ではないですな。
久し振りで前編・後編を通じて、本物の映画を見たという感じですね。
日本映画の比ではないは、
日本映画は、アメリカ映画の比ではない、でしょうよね。
とにかく、日本映画の及ぶところではない、ということですから。
どうもいくら急いだからといっても、ボケタ。敢えて自己弁護をすれば、映画を見ての感動の故にか?
兎に角失礼。
それは、1㌻全面広告である。
>第2次世界大戦の激戦地・硫黄島の戦いを、クリント・イーストウッド監督が日米双方の視点から描いた2部作が完結する。米国側からの「父親たちの星条旗」に続き、日本側の「硫黄島からの手紙」が9日公開される…(略)<
われわれの世代が、自分史を編むとすれば、あの大戦を抜きにしては語れない。新聞は床屋さんからいただいてきた。
このブログ記事は〝アサヒコム〟の記事をただ貼り付けてしまっただけのことである。