狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

天皇・マッカーサー会見

2006-03-20 18:25:19 | 怒ブログ

 私が若い頃、≪『西風とひょうどり』は陽いっぱい≫とよく言われたものだ。『ひようどり(日雇取)』とはヒヤトヒノ人足、ヒヨウカセギの事である。つまり西風と≪「ひょうどり」は日没で終わりになるから、も少しのガマンですョ≫という意味をこめて使った言葉だ。

 実際昔はよく西風が吹いた。我が村からT町に通じる県道を西に向かうのは自転車が漕げず、押していったことが何回もあったのを覚えている。

そうだ、長塚節「土」の書き出し部分はこうであった。
<烈しい西風が目に見えぬ大きな塊をごうっと打ち付けては又ごうっと打ちつけて皆痩せこけた落葉木の林を一日苛め通した。木の枝は時々ひゅうひゅうと悲鳴の響を立てて泣いた。短い冬の日はもう落ちかけて黄色な光を放射しつつ目叩いた。そして西風はどうかするとぱったり止んで終ったかと思うほど静かになった。>

今は日没になっても西風が止まないことが多い。ひようとりを、「パート」に譬えると日没で終わりになるとは考えられない。
そんなことを考えさせられる1日であった。終日風吹きまくり震えあってしまった。

天気図を挿入しておいた。

東北や北海道は20日午前、低気圧が発達しながら北海道の東海上を北上したため、各地で風速18メートル以上の強い風を観測した。気象庁は暴風雪や高波への警戒を呼び掛けている。北海道では21日朝にかけ、日本海側を中心に断続的に雪が強く降り、大雪となる恐れもあるという。
 気象庁によると、各地の風速は襟裳岬(北海道)22メートル、飛島(山形県)19メートルなど。
 21日午前6時までに予想される最大風速は北日本の海上で20-25メートル、陸上で18-22メートル。波の高さは北海道、東北の沿岸で6-7メートルの見込み。予想降雪量は北海道の多い所で50センチ。
                                                   (共同通信) - 3月20日8時52分更新


昭和天皇・マッカーサー会見は45年9月~51年4月、リッジウエー中将(のち大将)との会見は翌年5月まで行われた。いずれも内容は秘密にされたが、マッカーサー会見第1回全文と第4回の前段については、作家の児島襄氏(故人)が通訳の記録を雑誌や著書に公表。第3回記録も国会図書館に保管されているのが見つかった。

45年~47年マッカーサー会見1‐4回
戦争責任―第1回

昭和天皇は敗戦直後の1945年9月27日、米大使館に連合国最高司令官マッカーサー元帥を訪ね、約37分間会見した。ただ一人通訳として立ち会った外務省参事官の奥村勝蔵氏はただちに記録を作った。

少なくとも1部は外務省、一部は宮内省(当時)に保管されたが、いまだに公開されていない。この会見についてマッカーサー元帥は64年の回想記で、天皇が戦争の全責任を負うと言明し、「私自身貴方の代表する諸国の採決にゆだねる」旨を語った、と記している。

だが、作家の児島襄氏が75年11月号の「文芸春秋」誌に公表した奥村氏の要領筆記には、直接天皇が全責任を負うと発言した言葉がなかったため、研究者の間で論議を呼んだ。
松井手記はこの奥村メモを全部転記し、「全責任発言の経緯について新たな指摘をしている。松井手記は、以下のように述べる。

「天皇が一切の戦争責任を一身に負われる」旨の発言は通訳の奥村氏によれば、「あまりの重大さを考慮し記録から削除した」。その発言は、元帥が「滔滔と戦争哲学を語った直後に述べられた」という。(略)

 歴史の空白埋める
49~51年マッカーサー会見第8‐11回
核心―第9回。
(略)天皇は朝鮮半島情勢、ソ連の原爆保有などについて元帥に尋ね、「日本として千島がソ連に占領され、若し台湾が中共の手に落ちたならば、米国は日本を放棄するのではないかと心配する向きがある」と伝えた。
 元帥は「米国の政策は全く不変です。米国は日本に止まり日本及び東亜の平和を擁護するために断固として戦うでありましょう」と決意を示した。

停滞―第10回
(略)その後2人は中国、インドネシア情勢について意見を交わす。天皇は「日本共産党は国際情勢の推移に従い巧みにソ連のプロパガンダを国内に流して国民の不満をかきたてているように見受けられます」と感想を述べた。

元帥は共産党が法律に違反したらどしどし取り締まり、宣伝に対して保守的世論は宣伝をもって応える努力が必要だと言う見解を示した。 会見後、元帥は5月3日に日本共産党の非合法化を示唆。6月6日に共産党中央委員24人の公職追放を指令した。

離別―第11回
情勢は急変する。50年朝鮮戦争が勃発し、元帥は軍の指揮に没頭する。(略)51年4月15日の会見は、マッカーサー元帥がトルーマン大統領に罷免された4日後。これが最後の会見となった。
元帥は「お別れの言葉を申し上げるのは私の惜別おく能わざる」と、これまでの協力に謝意を述べた。
天皇も「誠に残念」と答え、朝鮮半島での米軍人、民間人らの死傷者に同情の気持ちを表した。(略)天皇は「戦争裁判に対して貴司令官が執られた態度に付き謝意を表したいと思います」と語った。(略)


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