狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

反戦運動を続けなくてはならぬ

2006-04-16 22:18:51 | 怒ブログ

今更「愛国行進曲」を小学校児童に教えられるか?

一、
見よ東海の空あけて
旭日(きょくじつ)高く輝けば
天地の正気(せいき)溌剌(はつらつ)と
希望は躍る大八洲(おおやしま)
おお晴朗の朝雲に
聳(そび)ゆる富士の姿こそ
金甌(きんおう)無欠揺るぎなき
わが日本の誇りなれ

二、
起(た)て一系の大君(おおきみ)を
光と永久(とわ)に戴(いただき)きて
臣民われら皆共に
御稜威(みいつ)に副(そ)わん大使命
往(ゆ)け八紘(はっこう)を宇(いえ)となし
四海の人を導きて
正しき平和うち建てん
理想は花と咲き薫る

三、
いま幾度かわが上に
試練の嵐哮(たけ)るとも
断固と守れその正義
進まん道は一つのみ
ああ悠遠の神代(かみよ)より
轟(とどろく)く歩調うけつぎて
大行進の行く彼方
皇国つねに栄えあれ


昭和十三年発表


 ……作詞作曲共に公募された結果、総数5,700余詞、9,500余曲の中から、詞は鳥取県の23才の青年が、曲は「軍艦行進曲」の瀬戸口藤吉が一等当選した。当時70才の瀬戸口は病床にあり、「最後のご奉公」と作曲したという。レコードは6社から発売され、当時としては空前の100万枚を売り切った。
 歌詞の補作に当たった佐々木信綱と北原白秋の意見が衝突し、以後死別するまで一切口をきかなかったというエピソードもある。



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2 コメント

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私はその年に生まれました。 (samu)
2006-04-17 08:00:44
「愛国行進曲」って言うんですか?、でも1番だけは知っていましたヨ。



68年前か~、昭和も遠く成りにけり・・・、平和で有りがたいです、大戦で亡くなられた方々に合掌。
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閑中の忙 (tani)
2006-04-18 08:55:29
samuさま

屋敷中草だらけ。

合羽のズボンを穿き、ビニール紐の刃の草刈機で、重労働。

ダットサンとクラウンのシートを剥ぎました。

毎日竹の子の味噌汁です。

今日も昨日の作業の続きです。
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