狸便乱亭ノート

抽刀断水水更流 挙杯消愁愁更愁
          (李白)

米騒動の頃

2006-10-15 09:58:21 | 怒ブログ
日本の経済界は明治の末頃、不況に陥っていたが、第一次世界大戦は、この不況と政府の財政難を一挙に吹き飛ばした。すなわちヨーロッパの列強が死闘をくり返していたのに対し、日本はわずかな犠牲で、しかも大きな利益を得た。
アジアの市場は、ヨーロッパ列強の手が及ばなかったので、日本はアメリカとともにこれを独占した。その上世界的に船舶が不足していたので、海運業が空前の好況にめぐまれ、いわゆる船成金がぞくぞく生まれた。
産業界も従来ドイツからの輸入に依存していた、薬品・染料・肥料などの輸入が途絶えたため、新たに化学工業が勃興し、紡績工場はイギリス製品が東洋市場から姿を消したので、日本がそれに代わり、製糸業などはアメリカが好景気のため、糸価が上がり輸出が急伸した。

 このような空前の好景気は当然物価の物価の値上がりを来たし、労働者や小作人の生活をおびやかし、小作争議や労働争議の原因となったのは別記の通りである。とくに米価はシベリア出兵などで軍用米の需要がふえ、それを機会に米商人の買占めで、大正7年夏ごろには1石は50円台にはね上がった。(この年1月の堂島の米相場1石23円78銭)
このため富山県の1漁村の主婦たちは、米価の引き下げを要求して暴動を起こした。これが有名な米騒動で、またたく間に全国に広がった・

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