たびたび記録
心に残る風景
 



礼文島から稚内へフェリーで2時間乗船。港近くになるとテンポのゆっくりした3拍子の歌「宗谷岬」が流れる。稚内で宿泊し,夕食はホテルから歩いて行ける稚内駅近くの店で、宗谷牛のすき焼き、ホタテのバタ‐焼、毛ガニを食べた。一匹の毛ガニの食べ方を店の人に鋏で手伝ってもらい、さばいた。美味しいけれど時間がかかり、みんな無言で食べていた。翌日はノシャップ岬、宗谷丘陵、宗谷岬を観光。宗谷岬へ行くまでにバスから見ただけだが、エゾシカがバス道の草むらに角だけ出していたり、一匹エゾシカが道路そばにいた。宗谷丘陵は宗谷牛の牧場地帯である。バスからは牛は遠方にいて黒い点であった。宗谷岬では日本最北端の記念碑がある。北を示すNのデザインが中心に置かれている。間宮林蔵の像があり目線はサハリンの方に向いている。流氷が保存されている部屋を訪れたがマイナス17度とかで部屋には足を少し踏み入れただけで写真は部屋の外から写した。

ホテルから見た北防波堤 戦前日本の領土だった南樺太と稚内を繋ぐ稚泊連絡船の港であった。終戦時は南樺太からの引揚者で混雑していた。やっと着いた稚内よりまた船で、日本海へ出て行った船が魚雷で沈没したとガイドさんが言っていた。

北防波堤ドーム


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利尻島の沓形港から礼文島(人口2500人)の香深港へフェリー乗船40分ほどで着き、船泊港で海鮮の昼食する。新鮮ないくら、ウニ、ホタテ、ボタンエビたっぷりでとても美味しかった。このあたりからスコトン岬とトド島が水平線上に見えた。
午後はスカイ(澄海)岬を観光。海の色が美しいブルーで、南国の海のようであった。、向かう途中には花々が咲いていた。礼文の西側は切り立った崖で道路がないのでバスで同じ道を南下し桃岩展望台へのハイキングへ向かった。ここでは花ガイドと共にゆっくりと歩き礼文の花々を見て歩いた。6月7月の花は見られないが8月でも多くの花が見られた。


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8月上旬羽田から稚内への直通飛行機で利尻島へ行った。利尻山は火山の噴火で生まれた。利尻富士と呼ばれることもあり、、富士山に似た美しい姿をしている。飛行機からでも、稚内からフェリーで利尻島のオスットマリ港に行くときも出迎えてくれるかのようであった。港に着き上陸すると早速利尻山を背にして写真を撮った。アジサイが見事なホテルに宿泊し姫沼 オタトマリ沼 火山噴火の溶岩がある仙法志御崎公園の観光した。昆布漁が盛んで天気の良い日は昆布を干していて昆布の匂いがしていた。
人口4600人で昔より減少しているとバスガイドは話していた。

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イタリアの小さな街々を訪ねる旅に行く。第一日目はミラノからラ・スペツィアの町へ行き電車に乗り世界遺産・チンクエテッレのヴェルナッツァ村へ行く。11世紀の教会がシンボルである。イタリア語でチンクは5を意味し5つの村が海岸に集まっている。昔は船でしか、5つの村に行けなかった。次は再び電車移動でマナローラ村へ行く。カラフルな家が美しい村である。崖にある村は石を積んで畑作り、土の代わりには砕いた石を敷いた。名産はレモン、ブドウであり、「シャッケートラ」は高級ワインである。

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城ヶ島海岸駅は本格的ログハウスで出来ている。駅には足湯があり電車を待つ間使える。伊豆急行の窓から海を見ながら熱海へ。熱海の昼食は生シラスの海鮮丼。新鮮で美味しい。バスに乗り澤田政廣美術館へ行く。玄関ホールのみ撮影が出来た。ホールの天井画は素晴らしい。作者が魂身を籠めた彫刻が展示されているが、作品のスケールの大きさに感動した。

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舞子泊の翌日は、明石へ移動し駅から歩いて明石公園になっている城跡へ行く。重文になっている坤櫓(伏見城より移築)と巽櫓の白壁の姿は松の緑と対比し美しい。宮本武蔵が城主の命で作ったとされる庭園があり、写真はその一つの亀島と鶴島である。明石市立天文科学館にも立ち寄る。東経135度の日本標準時子午線の真上に建つ。玄関横には子午線上に「漏刻」が設置されている。天智天皇が671年6月10日に人々に時を知らせたことにより現在「時の記念日」となった。その時使われたのが「漏刻」である。時を計るシステムは上段から流れる水を一番下にある甕に水を溜めその圧力で押し上げるメモリで知る。古代の人の知恵は素晴らしい。明石タコ焼を食べる。

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毎年秋に行われる仲間達の旅は万葉集の故地を訪れるのを目的にしている。今年は兵庫県の舞子と明石を散策する。一泊するのでゆっくり過ごした。明石海峡大橋の「橋の科学館」ではギネスに載った大橋の建設技術を学習した。この辺りは、古くは白砂青松の舞子浜で有名であったが、橋の建設により舞子公園として整備されてる。その中にある「孫文記念館」は神戸の華僑 呉錦堂の邸宅で、孫文が来神した時の歓迎会の会場になった。壁紙は金唐紙、暖炉のタイルは薔薇デザイン、1階の天井中心は「龍」の彫刻 2階の天井中心は「鳳凰」で素晴らしい。孫文の書を目に焼き付けた。明石海峡大橋は「パールブリッジ」とも呼ばれ、夜ホテルの窓より観るとパールが飾られているようであった。夕陽が橋にかかり、夕陽で海が染まるのが美しい。

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秋が深まり寒くなって来た雨模様の日バスツアーへ行く。ゆっくりの旅でした。佐倉ふるさと広場は印旛沼のほとりににあり、オランダで作られた風車がある。春はチューリップ、夏はひまわり、秋はコスモスが見事な広場となる。風車に接近してみるとかつて旅したオランダにいるようであった。DIC川村記念美術館へ移動し5時間過ごす。スマホのイヤホンを使い無料アプリで主要作品26点解説を聴きながら鑑賞した。庭園も見事な美しさで四季訪れたい。

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大勢の友人たちと今回荒川知水資料館を訪れその歴史を学んだ。荒川は自然の川ではなく放水路として建設された川なのである。その理由は江戸・東京は有史以来洪水被害を受けており、特に明治40年、43年の洪水は大きな打撃を受け、その治水対策として明治44年から昭和5年にかけて荒川放水路が建設された。荒川放水路の開削工事に必要な用地は広大で、移転を余儀なくされた1300所帯の協力があった。放水路に携わったエンジニアには、計画した原田貞介、工事を指揮した青山士がいる。彼が基礎工事した赤い色の旧岩淵水門は川底より20mの深さに鉄筋コンクリートの枠を6個埋めて固めてあり、関東大震災でも被害を受けず今も残っている。現在は青い色の岩淵水門が隅田川への水量調節をし東京を護っている。国土交通省の巡視船あらかわ号に乗船し荒川下りを楽しんだ。下流にある荒川ロックゲート(平成17年10月完成。水位差のある荒川と江東デルタ地帯の河川を結ぶ閘門)を経て番所橋船着場で下船した

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自治会のバス旅行で栃木県へ。森永製菓小山工場見学する。見学者は空気清浄機で服の埃をはらい衛生のためキャップをかぶり、手を消毒しサンダルに履き替えて工場の廊下を歩いた。この工場はチョコボール・キャラメル・エンゼルパイなど30種類の製品を作り全国に発送している。小山工場はチョコボールのふるさと。工場見学を終えてお土産にいろいろとお菓子を購入した。昼食後、間々田紐の工房を訪れた。間々田紐は大正中期初代の渡邉浅市が東京の組紐問屋で奉公し実家の間々田に戻り店を構えたのが始まり。真田紐と語呂が似ていることから昭和29年民芸研究家の柳宗悦と近藤京嗣により命名された。草木染の作品は美しい。
とちぎ花センター訪問。大きな温室は一棟建てでは国内最大級。珍しい熱帯の植物や木が育っている。シクラメンの展示があり珍しいシクラメンの花を見た。

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