なぎのあとさき

日記です。

ちょっとさびしい

2005年05月23日 | 日々のこと



ママが早起きして、庭の水遣り、掃除、洗濯をしてくれていた。
昨日植えたばかりの花たちも順調。
私も早起きして、マンションの理事会に出た。
家に戻るとダーが帰って朝ご飯を食べていたので一緒に食べる。

駅までママを送るつもりが、暇だったので一緒に電車に乗り、
弟の家に行くママについて行った。
ちょうどお昼どきだったので、駅の近くの中華屋に寄り、
私はご飯を食べたばかりだったので、お茶と杏仁豆腐。
川べりで一服してから弟の家に行き、
臨月の近いYちゃんにママがいろいろとアドバイス。
Yちゃんはまだ足の骨折が直っていなくて松葉づえ。
その状況でお産なんて大変そうだけど、
ちょっと太ってつやつやした顔で、明るく笑っていた。
弟は二日酔いで全く精彩がない。

帰り、駅でママと別れ、私は鐘終わりのうかうかが始まり、
間違い電車に乗ったらしく気が付けば奥沢駅。
駅を出て交番でフタコの方角を聞いたら、
「すごい遠いよ!」といわれて電車で自由が丘へ。
路上で植木の安売りをしていたので眺める。
マダカスカルジャスミンがあったので匂いをかいでいたら、
お店のおじさん「匂いかいだら買わなきゃ! 
匂いだけで500円」「あんまり匂いしないですよ」
「夜になると匂うの。
この花は夜が好きなの。俺も夜が好きなの」といってニヤリ。
負けてくれるというのでゆっくり見たかったけど、
急に雨が降り出したので家に帰る。

ダーが起きて、シャケ、切干大根、お漬物でご飯。
ダーは校了で再び会社へ。

早起きして長い一日の後わり、
ママと別れた後はちょっとさみしい。
私は、ママや猫たちより長く生きるだろう、
そのことを思うと、さびしくて仕方なくなる。
こういうさみしさって、愛するものがある人は、
誰でも持ってるんだろうな。
ふだんはそんな事考えないで生きていても、
ふとしたハズミでさびしくなる。
このさみしさとは、どう向き合っていいかわからない。けど、
少しは強くならないと、
なにものかを愛する資格なんてないのかも。
猫たちを1匹ずつ心ゆくまで撫でて、ロメールの映画。

エリック・ロメール「春のソナタ」。

教師らしさのない哲学教師ジャンヌが、
パーティーで知り合ったナターシャと打ち解けて、
その日からナターシャの家の居候に。
初対面の女の子とすぐ友達になるのって難しいけど、
ロメール映画ではすごく自然に、
二人の間に親密な時が流れ始める。
ナターシャは開けっ放しの少女で、
ジャンヌは花の世話をする大人の女。
魅力的な女である二人とも、やりたいようにふるまう。
ナターシャはジャンヌを誘っておいて
予期せずボーイフレンドと会い、
ジャンヌをおいてどこかへ。
ジャンヌはそれを恨みもせず、庭で本を読み、
「恋人が相手じゃ仕方ないわ」。
ナターシャパパもいい。
「今は惚れてなくても、そういう可能性はある」
とかなんとか知的な会話でジャンヌを口説く。
肉体が触れ合わなくても、二人は別の何かが触れ合ってる感じ。
フォンテーヌブローの別荘の花と緑がすごく綺麗。
リラの花、リンゴの花。
パリのシーンでも、部屋に活けられる春の花が綺麗。
ラストでは、ベトヴェンのヴァイオリン・ソナタ「春」。

人に依存しないで、
自分のやりたいように生きるパリの人たちを見て、
さびしさも和らいだ。
でもその後でガキ使見てたら、
日曜が終わることを思い出してまたさびしくなってきてSATC、
シーズン6の2、3。
バーガーがいけてないのを極上犬スミスがカバー。

今日の朝はママが早くからバタバタして、
夜になると猫たちはおとなしく寝てばかり。
昨日ママが道端でちょん切ってきた
淡いピンクのバラ(一応人の家のバラではない)は、
今日になって蕾が一つ開いた。
アリストロメリアに続いて、
バラも猫たちに人気で、匂いをかいだり、水をなめたり。

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