ママが早起きして、庭の水遣り、掃除、洗濯をしてくれていた。
昨日植えたばかりの花たちも順調。
私も早起きして、マンションの理事会に出た。
家に戻るとダーが帰って朝ご飯を食べていたので一緒に食べる。
駅までママを送るつもりが、暇だったので一緒に電車に乗り、
弟の家に行くママについて行った。
ちょうどお昼どきだったので、駅の近くの中華屋に寄り、
私はご飯を食べたばかりだったので、お茶と杏仁豆腐。
川べりで一服してから弟の家に行き、
臨月の近いYちゃんにママがいろいろとアドバイス。
Yちゃんはまだ足の骨折が直っていなくて松葉づえ。
その状況でお産なんて大変そうだけど、
ちょっと太ってつやつやした顔で、明るく笑っていた。
弟は二日酔いで全く精彩がない。
帰り、駅でママと別れ、私は鐘終わりのうかうかが始まり、
間違い電車に乗ったらしく気が付けば奥沢駅。
駅を出て交番でフタコの方角を聞いたら、
「すごい遠いよ!」といわれて電車で自由が丘へ。
路上で植木の安売りをしていたので眺める。
マダカスカルジャスミンがあったので匂いをかいでいたら、
お店のおじさん「匂いかいだら買わなきゃ!
匂いだけで500円」「あんまり匂いしないですよ」
「夜になると匂うの。
この花は夜が好きなの。俺も夜が好きなの」といってニヤリ。
負けてくれるというのでゆっくり見たかったけど、
急に雨が降り出したので家に帰る。
ダーが起きて、シャケ、切干大根、お漬物でご飯。
ダーは校了で再び会社へ。
早起きして長い一日の後わり、
ママと別れた後はちょっとさみしい。
私は、ママや猫たちより長く生きるだろう、
そのことを思うと、さびしくて仕方なくなる。
こういうさみしさって、愛するものがある人は、
誰でも持ってるんだろうな。
ふだんはそんな事考えないで生きていても、
ふとしたハズミでさびしくなる。
このさみしさとは、どう向き合っていいかわからない。けど、
少しは強くならないと、
なにものかを愛する資格なんてないのかも。
猫たちを1匹ずつ心ゆくまで撫でて、ロメールの映画。
エリック・ロメール「春のソナタ」。
教師らしさのない哲学教師ジャンヌが、
パーティーで知り合ったナターシャと打ち解けて、
その日からナターシャの家の居候に。
初対面の女の子とすぐ友達になるのって難しいけど、
ロメール映画ではすごく自然に、
二人の間に親密な時が流れ始める。
ナターシャは開けっ放しの少女で、
ジャンヌは花の世話をする大人の女。
魅力的な女である二人とも、やりたいようにふるまう。
ナターシャはジャンヌを誘っておいて
予期せずボーイフレンドと会い、
ジャンヌをおいてどこかへ。
ジャンヌはそれを恨みもせず、庭で本を読み、
「恋人が相手じゃ仕方ないわ」。
ナターシャパパもいい。
「今は惚れてなくても、そういう可能性はある」
とかなんとか知的な会話でジャンヌを口説く。
肉体が触れ合わなくても、二人は別の何かが触れ合ってる感じ。
フォンテーヌブローの別荘の花と緑がすごく綺麗。
リラの花、リンゴの花。
パリのシーンでも、部屋に活けられる春の花が綺麗。
ラストでは、ベトヴェンのヴァイオリン・ソナタ「春」。
人に依存しないで、
自分のやりたいように生きるパリの人たちを見て、
さびしさも和らいだ。
でもその後でガキ使見てたら、
日曜が終わることを思い出してまたさびしくなってきてSATC、
シーズン6の2、3。
バーガーがいけてないのを極上犬スミスがカバー。
今日の朝はママが早くからバタバタして、
夜になると猫たちはおとなしく寝てばかり。
昨日ママが道端でちょん切ってきた
淡いピンクのバラ(一応人の家のバラではない)は、
今日になって蕾が一つ開いた。
アリストロメリアに続いて、
バラも猫たちに人気で、匂いをかいだり、水をなめたり。