まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

認知症の光景(ファミリーとことん愛してる)

2019-09-28 11:33:35 | 日記
「貧困の光景」著者=曽野綾子

昨日は認知症の勉強会でした。あのねぇ、本当にねぇ、さすが紫苑さんだと思ったのです。というのは、○×クイズがありまして、認知症の方の対応として正しいのはどっち?みたいな。少なくとも僕は、「認知症」という病気を認めていません(ここいらの言葉の使い方、説明がとっても難しい)ので、その「病気」に特化した対応に正解があるとは考えていません。「個人」に特化した正解もどきはあるにせよ、です。ですから、ぜ~んぶ、○にしたのです。するってぇと、紫苑さんは、それはないよ、それをするなら、全部×にすべきでしょうよ、と。で、あぁ・・・確かにそうだなぁ、と思ったんです。

「貧困」を思い浮かべてみて下さい。いくつかの光景が浮かぶますでしょう。僕もですね、45年前くらいの懐かしい光景を思い浮かべることができたのです。例えばですけれども、当時の(その後の)我が家はですね、何度も何度も、つぎはぎだらけの改築を重ねていたのです。さらに、はじめてのカラーテレビ。初めてのクーラー。あぁ、今にしてみると、なんと幸せな月日だったことか!

一方で、身近な貧困についても思い浮かべています。つまりは、ケーコのことです。働く意思はあるにせよ、肉体的な制約(交通事故の後遺症と腎臓病)があって、厳しい現実があります。

役割を与えることが、役割なのかしら。ねぇ。少なくとも、間違いなく言えるのは、お客さまの存在があるからこそ、僕は生計を維持できているのです。そうして、(幸いなことに)働く場所があること、(今のところ)肉体的に特別な問題がないこと、それだけが担保なのかどうか・・・。「鍵」はやっぱり、家族なんだろうなぁ。
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