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奥さん美容室へ

2011年04月18日 | 音楽
近々友達の結婚お披露目会に出席するので、奥さんが美容室に行きました。
ちなみに、そのお披露目会には僕も出席し、いつものように二人で演奏してきます。
☆イェイ☆

それはさておき、子供が生まれてから奥さんが美容室に行くのはこれが2回目で、前に行ったのはチビが生まれてすぐぐらいの時で、その時はとなりの美容室でカットだけ。
実は、僕らの家のとなりはおしゃれな美容室さんなのです。
でも今回は、少し離れた美容室へ。
というのも、今回はカラーもするので、うちはまだ母乳をあげているから、薬品を使うのではなくて、ヘナっていうハーブの一種で染めてもらえるところを探していったわけです。
そのお店は、姫路の商店街の一角にありました。
もうすぐ2歳になる娘なのですが、先ほども書いたようにまだ母乳なので、基本的に母親といつも一緒なのです。
でも、ジジババが連れ出したり、僕が二人で出かけたりということも時々はあったのですが、今回は奥さんが美容室に入った瞬間から(三人で車で美容室の前まで行って、そこで奥さんを下しました。)、早速機嫌が悪くなり始めました。
だから、いつでも娘を母親のところに連れて行けるように近くにいるようにしていたら、わりとすぐに「ママに会いたい」とぐずりだしたので、とにかく二人で美容室へ。

僕らが美容室に着いたころ、奥さんはまだスタッフの方二人にカラーをベッタリと塗ってもらっているところだったので、お店に入った瞬間からママに抱っこしてほしいと泣き出した娘をなんとかなだめて奥の待合スペースでしばし休息。
泣きわめかせては他のお客さんの迷惑になるし、すでにスタッフの方にはすごく気を使わせてしまっているしで、僕は必至でテーブルの上にあった「太陽の塔のフィギュア」で娘の気を引いていたら、奥さんが髪の毛を一旦まとめてスタッフの方とこっちに来てくれた。
そして、とりあえずチビを奥さんの膝の上に乗せてやると、チビはやっと笑顔をとりもどす。
それからしばらくの間、要するに奥さんのまとめた髪の上になんかあの大げさな機械を翳しているというか、被せているというか、なにせカラーなんでその時間ですよね、娘は奥さんの膝の上で上機嫌で、僕はその隣で雑誌を読んでいました。
つまり、平和な時間を過ごしていたわけです。

ところが、やがて奥さんが次の作業にうつらないといけない時間がきて、つまり娘を奥さんの膝の上から引き離さないといけなくなって、その時娘はとても嫌がって、僕が抱くとものすごく激しく泣き出しました。
お店の中にいてはあまりにやかましいので、とりあえず僕は娘を抱いて外に出たのですが、娘の泣き方が尋常ではない。
そして、初めは
「ママ~、ママ~」
と連呼していたのが、だんだん
「離して~」
になってきて、商店街の中ほどに来た時には
「たすけて~、たすけて~」
とか言い出して・・・

そもそも僕が娘を抱いて歩いているだけでもそこそこ目立ってしまうのに、その僕の抱いている娘が大声で泣きじゃくって「たすけて~」と絶叫しているわけですから、おそろしく不審そうに見つめてきたおばちゃんの視線が、ホントに痛かったです。




では、今日の動画はツーファイブフレーズです。
Gm-C7-F-Fの4小節で基本的に8分音符で弾いている感じです。
5パターンのフレーズを弾いていますが、少し複雑な音使いも出てきたりしますので、譜面が欲しいという方は、下記アドレスまでメール下さい。
gombostyle@gmail.com






最後になりましたが、僕はといえば、かれこれ軽く10年以上は美容室さんで髪を切ってもらっていないんですよね。




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お久しぶりです。

2011年04月14日 | 日記
久しぶりのブログになってしまいました。

結局新型インフルエンザで一週間ほど寝込んでしまい、その後も顔にヘルペスができたり、微熱が続いたり、夕食をもどしてしまったりと、今もまだスッキリとしない体調が続いています。
一度体調を崩してしまうと回復にかなり時間がかかってしまうような年齢になってきたのかもしれません。
体調管理の重要性を思い知らされます。


ところで、僕が体調を崩している間には、汚染水の放出なんていうショッキングなニュースがあったり、ここにきてINESの暫定評価「レベル7」への引き上げが認定されたりなんていう憂鬱にならざるを得ないような震災以後の展開がありますけど・・・

僕は、ネットのいろんなところで東電や政府の対応や処置に対する一般の方々の不満の声を目にするたびに、少し寂しい気分になります。

というのも、東電という組織の問題点や原発の安全面に対する管理体制の不備の問題点なんかは、日本の組織においてはおなじみのといってもいいぐらい、今までに何度も同じような例でいろんなところで目にして失望させられてきた記憶があります。
だから、おそらく多かれ少なかれ今あるどこの組織も、ある種そういった問題点(危機管理の徹底ができていず、組織としての意思疎通・情報の共有などもできていなくて、古い体制が維持されたままであることから起こる不合理の排除もできていないといったことなど)をほったらかしにしていて、問題が起きた時にだけ、その組織のそういった点が明るみに出るといった状況なのではないかと僕には思えるのです。
もちろん、組織運営の難しさといったことに関しては僕もそれなりに承知してはいるつもりですが・・・
とにかく、つまりは、積極的に批判しているような人の中にも、実際自分自身はそういった危なっかしいところを含んだ組織に属しているといった人もたくさんいるはずなんです。
そういう自分の状況はとりあえず脇へおいて、問題が明るみに出た企業の批判だけをするなんてことになっていたりするんだとしたら、それはとても寂しいことではないかと僕には思えます。

そしてもう一つ、放射能汚染の問題というのは世界的な問題であって、世界の目から見れば福島原発の問題というのは我々日本国民の問題なわけです。
マスコミ報道などから事態を見つめ、正しい見識を持とうとするということはもちろん大切であるとは思いますが、東電や政府対自分という視点だけでなく、事態を自分たちの問題であるとして捉えて、日々の自らの行動を考え直すということのほうが、一般市民である僕らにはより重要ではないかと僕には思えるのです。

今回の花見の自粛や風評被害なんかの問題においても、結局はそういった認識の仕方を多くの人ができていない結果だと思えるので、そのことも僕には、とても寂しく思えます。
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インフルエンザ

2011年04月04日 | 
久しぶりに本格的に体調を崩してしまいました。

ものすごい悪寒と手足の痺れなんかをそろそろ寝ようかなってころに感じて、体温計を脇に挟んだら、38.9度。次の日は仕事があったので、これはヤバイかもと思って寝室のオイルヒーターの目盛りを最強にして(最近は使わなくなってたんだけど)掛け布団三枚、毛布二枚、パジャマの下にラクダの上下(真冬の僕の寝る時の必需品、これも最近着なくなっていた)さらに、首にタオルを巻いて、背中と手に使い捨てカイロ、靴下はもちろん履いたままでマスク。その掛け布団の塊(掛け布団3枚、毛布二枚)を奥さんにかけてもらって、首のところをぎゅう~っと、要するに布団の中の暖気が首のところの隙間から逃げないようにしてもらって、体を丸めてじっとしていても一向に体の芯は温まってこない。

次の日、内科に行って診てもらったら、新型インフルエンザでした。

昨日まではホントに辛かったですが、今日になってやっと体温も平常時に近くなりましたし、体も楽になりました。

とはいえ、娘にうつしてはいけないと奥さんに言われており、今も二階の一室に隔離されています。



それでは、熱が治まると同時に出てきたできたてホカホカの作品です。



「私の住む世界」


私には大切な人がいて、大切な場所があり、大切な猫がいる。
だから、いつも私にとって世界は晴れ晴れとしておるし、通りをあるく私の背筋は、これでもかと言わんばかりにピンと伸びきっておる。

ある時、昼間から酒を飲み働きもせず路上に寝そべっては惰眠を貪るような輩が、歩いている私の前に空き缶を転がしおった。
踏んづけようか、相手にせず避けようか、それとも空き缶ゆえに思いっきり蹴飛ばしてやろうか迷いかけたのだが、こんな輩のつまらぬ行為に付き合う己がばかばかしくなって、空き缶なぞは、はじめから終いまでなかった物として自分の歩みを続けることに決めた。
空き缶がたまたま私の足の下にくれば踏んづけるし、空き缶が私の歩幅に合わずば、素通りするのみである。
ところが、私が空き缶のすぐそばまで来たところで、空き缶を放り投げた男の「踏むな!」という地響きがするほどの大声を聞かされた。

人間というのは驚かされると体がビクッとなってしまうものなのだが、それもある程度までの驚きの時の話であると私はその時知った。
というのも、その男の声はあまりに大きく、私の驚きは峠を超えており、ビクッどころかその声を聞いた瞬間から、私の一切の体の動きは止まってしもうた。
ただ、目だけは大きく見開いておったようで、その時の目の前の光景は魚眼レンズで覗いたように常よりディフォルメされて記憶されておる。

その時、驚きのあまり身動きできずにおる私の目の前の空き缶から、ピョコンとカエルが飛び出した。
男が空き缶を放り投げたのではなくて、カエルが何かの拍子に空き缶に頭を突っ込んで飛び跳ねたというわけだったのである。
男は右足が不自由で、立ち上がるのに時間がかかる。男にとってそのカエルは大切なカエルだったのであろう。
誤って道に飛び出したカエルを連れ戻しに行きたいが、己の右足が不自由で、すぐにとはいかない。そこへ私が通りかかる。まさにカエルの入った空き缶の転がっている上をである。男はほかに選ぶ方法もなく大声を張り上げたというわけだ。

どうですかな、これが私の住む世界ですがのう。











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