今日は新聞の休刊日、私の情報はテレビのみ。
初めに飛び込んできたのは、イラクで2か所でテロがあり英軍兵士に犠牲者が出たという。
力の論理では平和は来ないと言うことをイラクに派兵している国家もテロをしているイラク人も肝に銘じるべきで、泥沼化してきたのは確実で、宗教が絡んだもめ事は他国の人間が口出しても解決はなく、解決はイラク人に任せておけばと何だか腹が立ってきた。
今朝も、二人の児童と校長、裏金で問題になっている岐阜の自殺の報道があった。
自殺した方にはそれぞれ死にいたる経緯は違うと思う。私も終戦直後、自殺未遂の経験があるが、今はあの時死ななくて良かったと思っている。
このブログの何処かに書いたと思うが、飽食の時代、何不自由なく自分の思う通りに育って何の抵抗もない環境で育つとちょっとした事が、もの凄く子供の精神に傷を付けるのではないかと感じることがある。
といって苛めを肯定しているのではない。
30年ほど前、姪が小学3年生くらいから何故か「のぐそ(糞)」と言われて虐められていたようで、学校で注意すると陰湿になり中学卒業まで続いていたが、地元の高校ではと地方の私立校に行って問題は解決した。だが虐めで本人は自殺など考えてはいなかったようだ。
結婚後、苛めの同級生に会った時、「あんたはに良く虐めてくれたな」と言うと当の本人は「虐めた覚えがない」と言っていたと、虐められた時より、後年に「虐めた覚えがない」と言った事に姪は腹をたてていた。
恐喝してお金の請求は完全に犯罪だが、30年前でもそのような状態だから、現在の子供たちは虐めはゲーム感覚になっているのではないだろうか。
虐めを無くすのも大切だが、精神的に強い子供を育てるのも大切だと感じている今日この頃だ。
また,虐めに関係ないようなに見えるが、核家族と少子化が子供たちの成長に何かに関わっているような気がするのは私だけだろうか。
校長さんが亡くなった。何だか別の意味で悲しくなる。
記者会見していた教育長を見ていると虫酸が走る。言葉では綺麗ごとに話しているが全く他人事だ。
テレビで色々聞くが校長は中間管理職のようなもので、都合の悪いことは全部中間管理職に押し付けている感じは拭えない。知事とて口の出せない教育問題。社保庁と同じく教育委員会は無用の長物だ。校長を社長に教職員は部長に昇格すべきだ。
考えると校長も行政に虐められている感じは拭えない。
この問題で感じる事は何故かPTAの話は出てこない。教師が注意すると親が怒鳴り込んでくるという話はよく聞く。教師が精神を煩って休職しているのも知っている。私は犠牲になった親の話しか表にでないのが不自然に感じてならない。
最後に安倍内閣は教育改革を旗印にしている。
お偉い方で、お金に困らず、大学を出て、子供や学生に勉学を教えたことのない議員や官僚が考えた教育改革をしても絶対に改革はできない。改革できたように見えてもすぐ後戻りするだろう。
教育再生会議もあるが、改革は現場の教師も集めて創ったものでなければ、絵に描いた餅だろう。
社会や親が学校に格差を付ける現代社会の教育の難しさが表面に吹き出てきたのが平成18年の後半を象徴している。