このコーナーに書くのは、2年前に護憲+の戦時を語るコーナーに、戦前・戦中・戦後に体験したり聞いた事を書いたものですが、再編してお送りしています。
第三章
第一章に書いた級友のこと。私は普段自分の経験しか書かないことにしています。これは聞いた話ですから書くのはよそうと思いましたが、戦後六十年経ったのと、その場にいた多くの級友が同じことを言っていたので、躊躇しましたが、書くことにしました。これは戦後初めて発表することです。
敗戦後、ソ連が駐留して来たある国境の田舎町のできごと。その地区の日本人は警察署に集結していたそうです。
そこに駐留して来たソ連軍の将校から、「女性を集めて、ソ連兵の慰安に差し出せ」と言われ、署長が通訳を通じてその将校と激論。「遊女でもない家庭の奥さんを出すわけにはいかない」と毅然として断った途端、眉間を打ち抜かれ即死されたそうで、そのために、女性の性に対しての犠牲は回避できたそうです。
当時、普通なら強制的に連れ出されるのだが、なぜ無事だったのか判らないと級友達は話していましたが、一つの理由は、日本軍の抵抗か無いというか、軍隊はどこかへ行って居なかったため、ソ連兵には犠牲者が無かったこと。そしてソ連の将校に人の心が残っていたためかと思っています。
しかし、父を目の前で射殺されて友人の精神的ショックはいかばかりか、友人は一時失語症になったそうで、察するに余りあります。
男女同権平等は当たり前、しかし男女は同質ではない。男に子供を産めといってもできない相談。又、女一人でも妊娠はしない。戦争に於いても能動的な男性は、先に書いた元復員兵士が語った、「命をかけた時の一時の休みは女を抱くことしか考えて居なかった」という話は、平常心でない戦争行為の時の精神状態として、異常というより当たり前ではないでしようか。
この問題だけでも、殺戮を省いた戦争でも庶民に与える状況は、悲惨なものだということを書いてみたつもりです。
以下次回
第三章
第一章に書いた級友のこと。私は普段自分の経験しか書かないことにしています。これは聞いた話ですから書くのはよそうと思いましたが、戦後六十年経ったのと、その場にいた多くの級友が同じことを言っていたので、躊躇しましたが、書くことにしました。これは戦後初めて発表することです。
敗戦後、ソ連が駐留して来たある国境の田舎町のできごと。その地区の日本人は警察署に集結していたそうです。
そこに駐留して来たソ連軍の将校から、「女性を集めて、ソ連兵の慰安に差し出せ」と言われ、署長が通訳を通じてその将校と激論。「遊女でもない家庭の奥さんを出すわけにはいかない」と毅然として断った途端、眉間を打ち抜かれ即死されたそうで、そのために、女性の性に対しての犠牲は回避できたそうです。
当時、普通なら強制的に連れ出されるのだが、なぜ無事だったのか判らないと級友達は話していましたが、一つの理由は、日本軍の抵抗か無いというか、軍隊はどこかへ行って居なかったため、ソ連兵には犠牲者が無かったこと。そしてソ連の将校に人の心が残っていたためかと思っています。
しかし、父を目の前で射殺されて友人の精神的ショックはいかばかりか、友人は一時失語症になったそうで、察するに余りあります。
男女同権平等は当たり前、しかし男女は同質ではない。男に子供を産めといってもできない相談。又、女一人でも妊娠はしない。戦争に於いても能動的な男性は、先に書いた元復員兵士が語った、「命をかけた時の一時の休みは女を抱くことしか考えて居なかった」という話は、平常心でない戦争行為の時の精神状態として、異常というより当たり前ではないでしようか。
この問題だけでも、殺戮を省いた戦争でも庶民に与える状況は、悲惨なものだということを書いてみたつもりです。
以下次回
ご健闘を祈ります。
昔から戦の犠牲者は名もない私たちです。
老骨むち打ってがんばります。