このコーナーに書くのは、2年前に護憲+の戦時を語るコーナーに、戦前・戦中・戦後に体験したり聞いた事を書いたものですが、再編してお送りしています。
言論の弾圧
子供の頃、二度程特高と憲兵に連れて行かれるのを見たが、人間とした扱いでなく動物以下で、恐かったのを思い出す。そしてその方は獄死したとも聞いた。
考えてみると小泉純一郎は平成のヒトラーかも判らない。要注意人物だ。
【特別高等警察】
明治末期から第二次大戦の敗戦まで、思想犯罪取り締まりに当たった警察。大逆事件を契機として、明治四四年(一九一一)警視庁に特別高等課が設けられたのが最初で、昭和三年(一九二八)までには全国に設置され、国民の思想・言論・政治活動を弾圧した。同二〇年にGHQの指令により解体。特高。
加害者の証言
私の場合は、戦争による被害者的立場ですから、これまでの話を語れました。それでも、弟妹は語るのをいやがります。終戦直後には、加害者とならざるを得なかった話を、復員された方から伺ったことがあります。
白兵戦でしたら、やらなければ自分の死を意味するので、無我夢中で気が付いたら終わっていたが、抵抗をしない者を初めて銃剣で刺し殺すのは物凄く抵抗が有り躊躇した。しかし上官の命令は絶対背くことはできず、もし背けば一番危険な最前線にやられるので致し方なく命令に従った。だが突き刺す瞬間は目を瞑っていたという話でした。
そして最後に「修羅場をくぐり体験をつんでくると、それが何ともなくなる」と言って、一緒に入隊して生き残ったのは三人だけとも話されました。
軍の命令といえども、加害者的立場の方が当時を語るというのはとても難しいことです。平和の現世では、その心の痛みを語ることはできないのではないでしょうか。書けたにしても勇気以上の精神力が必要ではないでしょうか。私がその人の立場に立って考えると、それが社会においてどう取られるか、今の時代では家族のことを思うと難しく感じています。
終戦直後と違い、戦争も知らない人々が増えた中で、このようなことを書くと世間がどの様な反応を起こすでしょうか。当時の体験者が少なくなったことと、平成の時代に加害者的発言をされるのは躊躇されると私は思うのです。
従軍慰安婦の問題でも、私が見たことを書いたことがあります。しかしバッシングをうけました。見た現実を語ってもバッシングを受けるのですから。このことは書くまいと決めています。
戦争というものは極限状態の人間のぶつかり合いです。正常な精神状態ではないのです。戦争は、勝っても負けても人類最大の罪悪というか犯罪だと私は思っていますから、無抵抗主義者なってしまったのです。
私は不器用人間ですから多くのことに手をつけられません。これからは護憲と戦争反対だけの行動だけに絞りたいです。
言論の弾圧
子供の頃、二度程特高と憲兵に連れて行かれるのを見たが、人間とした扱いでなく動物以下で、恐かったのを思い出す。そしてその方は獄死したとも聞いた。
考えてみると小泉純一郎は平成のヒトラーかも判らない。要注意人物だ。
【特別高等警察】
明治末期から第二次大戦の敗戦まで、思想犯罪取り締まりに当たった警察。大逆事件を契機として、明治四四年(一九一一)警視庁に特別高等課が設けられたのが最初で、昭和三年(一九二八)までには全国に設置され、国民の思想・言論・政治活動を弾圧した。同二〇年にGHQの指令により解体。特高。
加害者の証言
私の場合は、戦争による被害者的立場ですから、これまでの話を語れました。それでも、弟妹は語るのをいやがります。終戦直後には、加害者とならざるを得なかった話を、復員された方から伺ったことがあります。
白兵戦でしたら、やらなければ自分の死を意味するので、無我夢中で気が付いたら終わっていたが、抵抗をしない者を初めて銃剣で刺し殺すのは物凄く抵抗が有り躊躇した。しかし上官の命令は絶対背くことはできず、もし背けば一番危険な最前線にやられるので致し方なく命令に従った。だが突き刺す瞬間は目を瞑っていたという話でした。
そして最後に「修羅場をくぐり体験をつんでくると、それが何ともなくなる」と言って、一緒に入隊して生き残ったのは三人だけとも話されました。
軍の命令といえども、加害者的立場の方が当時を語るというのはとても難しいことです。平和の現世では、その心の痛みを語ることはできないのではないでしょうか。書けたにしても勇気以上の精神力が必要ではないでしょうか。私がその人の立場に立って考えると、それが社会においてどう取られるか、今の時代では家族のことを思うと難しく感じています。
終戦直後と違い、戦争も知らない人々が増えた中で、このようなことを書くと世間がどの様な反応を起こすでしょうか。当時の体験者が少なくなったことと、平成の時代に加害者的発言をされるのは躊躇されると私は思うのです。
従軍慰安婦の問題でも、私が見たことを書いたことがあります。しかしバッシングをうけました。見た現実を語ってもバッシングを受けるのですから。このことは書くまいと決めています。
戦争というものは極限状態の人間のぶつかり合いです。正常な精神状態ではないのです。戦争は、勝っても負けても人類最大の罪悪というか犯罪だと私は思っていますから、無抵抗主義者なってしまったのです。
私は不器用人間ですから多くのことに手をつけられません。これからは護憲と戦争反対だけの行動だけに絞りたいです。
<父の謝罪>父の語った戦争、語らなかった戦争
http://www.jca.apc.org/nmnankin/kurahas1.html
戦争の体験のお話は他にもたくさんあるでしょう。しかし縁あって出会った方のお話は、他の人へ伝えていく役割がわたしにあると思うようになったこの頃です。
憂鬱 楽天 嘲笑
で現したものです。しかしある雑誌の編集長に此のような不真面目なペンネームは駄目だというので本名一本でやってきましたが、ブログでは使っても良いかなと再登場。
「父の語った戦争、語らなかった戦争」ざっと流して拝見当時の憲兵は特権意識はすごかったですから、憲兵で心ある人は話したくない事も多々あるのだと推測はできます。
この私でも話したくない事はたくさんありますから。
来週は、家内の心臓の検診。イラク派兵の最終弁論があり二日はブログを休みます。