民主党政権の絵にかいたような腰抜け弱腰外交ですが、これぞ平和憲法日本の生きる道と喜んでいる人も多いことでしょう。中共も日本はずっとこのまま腰抜けでいくと思っているかもしれませんが、はたしてどうか
戦前をみますと、田中義一内閣から若槻内閣あたりまでは「柔軟」対中外交が何とか貫かれました。例えば日清戦争後はじめての日中武力衝突で大東亜戦争につながる日中軍事衝突の発端となった済南事件の先頭を指揮した斎藤瀏陸軍少将は「国際派」で中国を刺激するのを極力避けていました。幣原外交は言うまでもない「柔軟」対中外交でした
ただこうした「リベラル」で「良識」的な路線が何をもたらしたかというと、日中間の平和なぞではなく、日本の弱腰を見透かした中国側の反日攻勢の激化です。それともっと重要なのですが国内では軟弱外交への反感が高まり五・一五事件、二・二六事件へと進んだのでした。当の斎藤瀏少将も事件後は右翼運動にかかわったすえ、二・二六事件の関与者となったのでした
中共がどう出るかはさておき、日本ではリバウンドの右傾化が進む気がします。ニュースとかでは殆ど報じられませんが、自民党も民主党も、内部の保守派の再軍備・核武装論を懸命に抑えているとかも聞きました
ご意見・お問い合わせは→ golijaf@mail.goo.ne.jp
戦前をみますと、田中義一内閣から若槻内閣あたりまでは「柔軟」対中外交が何とか貫かれました。例えば日清戦争後はじめての日中武力衝突で大東亜戦争につながる日中軍事衝突の発端となった済南事件の先頭を指揮した斎藤瀏陸軍少将は「国際派」で中国を刺激するのを極力避けていました。幣原外交は言うまでもない「柔軟」対中外交でした
ただこうした「リベラル」で「良識」的な路線が何をもたらしたかというと、日中間の平和なぞではなく、日本の弱腰を見透かした中国側の反日攻勢の激化です。それともっと重要なのですが国内では軟弱外交への反感が高まり五・一五事件、二・二六事件へと進んだのでした。当の斎藤瀏少将も事件後は右翼運動にかかわったすえ、二・二六事件の関与者となったのでした
中共がどう出るかはさておき、日本ではリバウンドの右傾化が進む気がします。ニュースとかでは殆ど報じられませんが、自民党も民主党も、内部の保守派の再軍備・核武装論を懸命に抑えているとかも聞きました
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