blogギター小僧の径

ギター小僧の私生活

中学校野球部の後輩たち

2011年10月29日 | レビュー

中学の同窓会ランチバージョンに行ってきた。小学校も同じのカメの実家が成城で割烹料理店を営んでいて、うな重ランチということで13人集まった。カメんちは昔魚屋だったと思ったんだが、今は成城じゃ老舗のふぐと活魚料理屋で、カメの兄貴が切り盛りしているらしい。

相変わらず昔話に花が咲いたが、ナナナント、そのカメと同窓会の幹事のいざわっちがめでたく婚約したんだと。四十路の同級生の結婚とはハテハテ。そして同じく来ていたナカジも結婚とのこと。相手はぼくらが中学を卒業した年に生まれた28歳。みんな幸せなことでよかったですなー。

15時からぼくらの中学校の野球部が秋季大会のベスト8をかけての試合があると聞き、急いで駒沢公園にひとり向かった。酒臭いオッサンが野球の観戦をしている姿というのは、ぼくらのガキンチョの頃よく見かけたものだが、今は逆の立場になってしまったなー、と缶ビール片手にそう思った。

秋季大会というのは、まず区での大会がありそれに勝ち残った中学校が、東京都の大会に出場できる。世田谷区では我が母校と駒沢中が選ばれたようだ。ぼくらは中学3年の時、2年生をイジメ倒しPTAの間で問題になり秋季大会に出場停止になってしまっていたのだ。中学生活最後の大会だ。ぼくと数人の悪ガキはチームメイトに相当恨まれた────。

野球部のユニフォームはぼくらの頃と違っており、極めてシンプルな練習用ともいうべきものになっていた。ぼくらの頃の試合用ユニフォームは結構かっこよかったので、ぼくはそれにそでを通せる試合の日が好きだった。

聞くところによると、バッテリーはぼくの小学校時代に所属していた親父が会長を務める成城ヤンガース出身ということだ。ピッチャーをよく観察してみるとさすがベスト16!というべきすばらしい投球フォームだった。キャッチャーも肩がいい。そして少年野球ではサードゴロが多発するものだが、我が後輩たちのチームのサードは小柄ながら何でも無難にこなすいい選手だった。しかし、全体的にみると相手の新小岩中の方がレベルは上だったと思う。とにかくピッチャーは中学生かと疑ってしまうくらい速く伸びのある球を投げていた。案の定、我が後輩たちはまったく打てず、0-0が延々続いた。

延長9回その拮抗した好試合が動いた。9回表、新小岩中が1死でランナー3塁になったが、スクイズの失敗などであっけなく攻守交代。ピンチのあとはチャンス、9回裏四球などで1死満塁のチャンス、レフトフライで2死になったものの、バッターサード君が粘りに粘った。そして────、なんとデッドボール! エラーなどミスも少ない好試合だったが、最後は中学生らしい終わりかただった。新小岩のピッチャーはマウンドで崩れ落ちてしまった。好投を続けていただけに悔しかったに違いない。彼の名前は知らないが、高校生になった暁には相当活躍する選手になるだろう。

そして我が後輩たち(といっても我が子のような世代だが)は公立私立合わせた中学野球でベスト8。つぎは11月3日に日大三中と準々決勝だ。この日は予定があり応援に行けないがぜひとも頑張ってもらいたい。