「高知ファンクラブ」 の連載記事集1

「高知ファンクラブ」に投稿された、続きもの・連載記事を集めているブログです。

ゆずの日

2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

ゆず.JPG

今日は、冬至。もはや日も暮れて真っ暗です。

先日、産直市でめいっぱいの柚子皮(なんと100円!)を購入しました。

ジャムの作り方付きでした。1個分は干してお風呂になります。

  

  

  

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吉村虎太郎の銅像

2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

「土佐の銅像」第9回目は、吉村虎太郎です。

  

101215吉村虎太郎.JPG 

  

*吉村虎太郎(18371863

 

*銅像所在地:高知県高岡郡東津野村新田 忠霊園

*銅像製作:川島三郎 昭和431222日建立

 

土佐国高岡郡芋生野の庄屋の長男として生まれる。

11歳:父の跡を継ぎ、庄屋となる。

22歳:梼原村大庄屋となり、治績をあげる。

24歳:武市半平太の土佐勤王党に加盟する。

25歳:土佐を脱藩する。

26歳:大和挙兵に参加すべく、天誅組を結成する。

享年26歳。

  

津野村.JPG 

  

「吉野山 風に乱るるもみじ葉は 我が打つ太刀の血煙と見よ」

辞世の句には、虎太郎がもつ強い決意と行動力が、よく表現されている気がします。

銅像付近には、もみじが植えてあります。

 

吉村虎太郎もみじ.JPG 

  

2005年に訪ねたときは初秋で少しの紅葉でしたが、感慨深かったのを覚えています。

真っ赤な紅葉のときに訪ねたら...。辛い気持ちになりそうです。

  

  

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幡多路の夕日

2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

幡多路の夕日.JPG

 

 

 

先日、AさんとFさん(どちらも女性)の運転で、土佐清水市へ行ってまいりました。

 

 

ジョン万次郎の銅像写真を撮ったとき(2006年)は一家でお泊まりでしたが、今回は日帰りでした。

車から幡多路の美しい眺めが見えました。もっと広い海なのですが...。力不足です...。

  

  

  

  

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  • 中岡慎太郎の銅像

    2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

    「土佐の銅像」第8回目は、中岡慎太郎です。

     

    101124中岡慎太郎.JPG 

      

    *中岡慎太郎(18381868

    *銅像所在地:高知県室戸市 室戸岬

    *銅像製作:本山白雲 昭和1057日建立

     

    土佐国安芸郡北川郷の大庄屋の長男として生まれる。

     

    17歳:田野学館で武市半平太から剣術を学ぶ。

    19歳:父親が病にたおれ、家業の大庄屋職を継ぎ、結婚。

    23歳:土佐勤王党に加盟する。

    25歳:尊皇攘夷への弾圧が始まり、土佐藩を脱藩。長州へ亡命する。

    27歳:薩長同盟締結。

    29歳:陸援隊を結成、隊長となる。

    享年29歳。

     

    大庄屋であった頃には、民の生活が豊かになるようにゆずの栽培を勧めたそうです。

    高知県のゆずは、今や生産量が日本一!!!

    ゆずの特性とか地域の実情とか...きちんと踏まえてこその先見の明という気がします。

     

    101124室戸海岸.JPG 

      

    中岡慎太郎は、正座した眼光鋭い写真と、白い歯がこぼれる笑顔の写真が有名です。

     

    101124室戸灯台.JPG 

      

    笑顔に寄せる白い手が女性のものらしいと知り、驚き、不思議な親近感を覚えました

      

      

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    紅葉はがき

    2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

    紅葉はがき.JPG

    「土佐の銅像」をご購入くださった方から、見事な銅像写真をいただきました。

     

    津野町・堂海公園にある義堂と絶海の銅像を訪ねたそうです。

    あの山が紅葉...。本当に美しかったことでしょう。

      

     

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    維新の門・坂本龍馬

    2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

    「土佐の銅像」第7回めは、維新の門・群像①です。

      

    *坂本龍馬(18351863

    *銅像所在地:高知県高岡郡梼原町 川西路 和田城跡

    *銅像製作:濱田浩造 平成71111日建立

     

     

    維新の門01.JPG 

     

     

     

     

    「維新の門の坂本龍馬」を初めて見たのは、写真だったので、

    「映画製作中???そっくりな俳優さんが現れたものだ」と勘違いしました。

    生きている人間にしか、見えません...でした。

     

    維新の門06.JPG 

    どの角度もサマになります!!!

      

      

     

     

    維新の門02.JPG

    梼原の静かな景色を見つめているかのようです。

     

     

     

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    アロサウルス展

    2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真
     

    アロサウルス.JPG

    越知町「横倉山自然の森博物館」アロサウルス展に行きました。

     

     

    ステゴVS.アロの草食肉食戦は、あり得た組み合わせ。ティラノではなく。

    息子が恐竜も大好きなので、親も少しずつ勉強になっています。

      

      

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    中浜万次郎の銅像

    2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

    「土佐の銅像」第6回目は、中浜万次郎です。

     

      

     

      

    *中浜万次郎(18271898

    *銅像所在地:高知県土佐清水市 足摺岬

    *銅像製作:大谷研 昭和43711日建立

     

    土佐清水市(中浜村谷前)の漁師の次男として生まれる。

    14歳:アジ・サバ漁に出て暴風雨に遭い、鳥島に漂着する。

    15歳:143日間の無人島生活の後、米国捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助される。

    16歳:ホイットフィールド船長に見込まれ、合衆国本土で教育を受ける。

    25歳:11年ぶりに母親と再会する。

    28歳:航海学書を執筆する。4年後には英会話書を編集する。

    33歳:批准使節団の一員として、咸臨丸にて合衆国に渡る。

    享年71歳。

      

    「数奇な運命」としか言いようがなく、ここに全く記述し切れておりません。

    遭遇したことだけでなく、本人の才能と努力においても、並々ならぬものを感じます。

      

     

    撮影は20062月で椿には少し遅かったのですが、足摺岬はいつだって絶景です。 

     

     

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    鏡川こども祭

    2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

     鏡川こども祭

     

    たくさんの親子連れが、川原を満喫していました。

    普段から通ってはいるけれど、新鮮であり、懐かしくもあった鏡川でした。

      

    実行委員会の方々の実践力には、驚きました。ありがとうございました。

     

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    素敵な出会い

    2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

    101006有田焼.JPGさんとYさんのご尽力で、銅像製作者である故H氏の奥さまに会うことができました。

     

     

     

    N

     

     

    故H氏の芸術へのひたむきさ、ご夫婦のあり方、...とても考えさせられました。

    カップは「お揃いではないけれどペアみたいに買った」有田焼だそうです。

      

      

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    岩弥太郎の銅像

    2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

    「土佐の銅像」第5回目は、岩弥太郎です。

      

    *岩弥太郎(18341885

    *銅像所在地:高知県安芸市矢ノ丸 江ノ川公園

    *銅像製作:濱田浩造 昭和61712日建立

     

     

     

     安芸郡井ノ口村一ノ宮に生まれる。

    11歳:土居郭中にて学問に励み、「三神童」と呼ばれる。

    20歳:江戸の安積塾に入門する。

    21歳:父親の争いごとにかけつけ帰高、7ヶ月間投獄生活を送る。

    27歳:開成館土佐商会長崎出張所の主任となる。

    36歳:大阪の九十九商会社長に就任し、海運業を始める。

    39歳:九十九商会を三菱商会と改め、三菱財閥創業者となってゆく。

     享年50歳。

      

     

      

    スリーダイヤ = 山内家「三葉柏」 + 岩家「三階菱」

    山内神社に行くとここかしこに家紋があって、感動してしまいます。

    弥太郎生家の土蔵にはスリーダイヤがあって、感激してしまいます。

      

     

      

    生家にある日本列島を模した庭石からは、少年弥太郎の心意気が伝わってきます。

      

      

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    堂々めぐり、から、銅像めぐり!

    2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真
     
    たからちゃんネットの皆さん、こんばんは。
     
    (ご本人の了解を得て、転載しています)
     
     
      <次の銅像から、あなたは、何を連想しますか?>
     
    銅像岩崎弥太郎、お龍と君江、維新の門群像、ジョン万群像、
       長宗我部元親。
     
      <答え>
     
    あなた:龍馬伝?!、幕末の土佐?!
    私  :(どれも、「躍動感」あふれる銅像)どんな人が、作ったの?!
     
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ◆「堂堂めぐり」=①願をかけ、寺などの堂の回りを何回も回ること。
             ②同じ議論が繰り返されて少しも先に進まないこと。
             (新明解国語事典:三省堂)
     「銅像めぐり」=銅像に込められた製作者の思いを酌みながら、
             その人物を偲びながら回ること。
             (新迷解酷語辞典:根木勢介)
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     
     安芸市の弥太郎の銅像は、右手を横に上げていますね。
    このマネをして、写真を撮る人が、若い人を中心に多いですね。
     
     高知城の板垣退助銅像も、同じく右手を前に伸ばして、います。
    天守が、背景に写るので、格好の写真スポットになって、います。
    でも、その横で同じように手をあげて、写真を撮っている人を見かけたことは、ありません。
     
     
     安芸市の「周遊バス」では、この弥太郎さんの銅像の側を通りますが、
    横目で見ながら、ゆっくりと、通過、止まってはくれません。
    (もちろん、観光ボランテイアは、ガイドをしています。)
    でも、帰りなどにもう一度、この銅像を見るために立ち寄る人も結構います。
    何か、魅きつけられるものが、あるようです。
     
     これらのすばらしい銅像の製作者は、10年前に亡くなられています。
    お父さんは、梼原の「吉村虎太郎」の銅像を作られた方です。
    この虎太郎の銅像も、素晴らしいと思います。
     
     今、「龍馬伝効果」でたくさんの人が、高知に来てくれていますが、
    もし、これらの銅像が、全部、なかったらどうでしょうか。
    きっと、淋しいでしょうね。観光ガイドもやりづらいことになるでしょう。
     
     (故人となられた)製作者の中学時代の同級生・山下さんが、
    観光ガイドのボランテイア同期でして、『○○君の作った銅像めぐりを
    したいので、根木さん、案内してよ』って、言われていました。
    そこへ、○○さんの銅像などの写真集を自費出版された方が、ある日、
    現れました。津江美和さん、と言う方です。
    この津江さんも、○○さんの銅像に魅了された方、だったんです。
    本当に不思議なめぐりあわせです。
     
     今日は、幸運にも山下さん・津江さんと○○さんのお家で奥さんに
    お会いして、おはなしを聞くことができました。
    ○○さんの制作の苦労はなしや、裏話、人となり、をお聞きしました。
    もっと、お聞きしたかったのですが、2時間もの長居となりましたので
    退去しました。
    ますます、もっと、皆さんに知ってもらいたい人だと確信しました。
    奥さんは、安芸市出身とのこと。
    私も、安芸市井ノ口出身なので、「奇縁」だと思いました。
     
     さて、○○さんは、どなたでしょう?
    答えは、高知県下の各地にたくさん、あります。
     
      <ヒント>
     高知県内に現存する歴史上の人物の銅像43体(群像も一体ずつ計算)
    うちで彼の作品は半数を超える25体にのぼる。
    (土佐人の銅像を歩く:岩崎義郎著・リーブル出版)
     
    根木勢介  携帯:090-2825ー2069
     
     
     
     
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    月見で一杯

    2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

     月見で一杯

    先日、夫がお刺身のゆうげを準備してくれました。 

    「土佐の美酒・のみくらべ」シリーズでいただきました。美味しかったです。

    今日は十五夜なので、またまたのみくらべしなくてはなりません。

      

      

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    山内容堂の銅像

    2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

    「土佐の銅像」第4回目は、山内容堂です。

    銅像台座には「大政奉還を慶ぶ」とあり、「鯨海酔候」らしく盃を手にしています。

     

     

      

    *山内容堂(18271872

    *銅像所在地:高知県高知市鷹匠 山内神社

    *銅像製作:梶原幸山 平成14410日建立

     

    山内家分家の子として高知市に生まれる。

    22歳:山内豊信、第15代山内家土佐藩主となり、藩政改革を行なう。

    32歳:将軍後継者問題で隠居し、号を忍堂とする。後、容堂とかえる。

    36歳:土佐勤王党弾圧に踏み切る。

    40歳:内国事務総裁となる(1年後に辞職)。

    享年43歳。

     

     

     

      

    居合もよくでき、漢詩も詠んだ、「幕末四賢候」に数えられるお殿様です。

     

     

     

      

    分家、側室、藩主、家臣、領民、謹慎、処罰、...。

    身分制度は、山内容堂の心にも大きな陰を残した、と思われてなりません。

    もちろん、「世間一般の人には、酔う人の気持ちは解らない」のですが...。

      

      

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    龍馬の生まれた町にて

    2011-01-01 | 土佐の銅像と 津江美和さんの写真

    100908龍馬の生まれた町.JPG銅像製作者の濱田浩造氏の同級生でもあるYさん。その行動力に感嘆しました。

     

     

     

    昨日、根木さんが観光ボランティアのYさんを紹介してくださいました。

     

     

     

    待ち合わせは、夕暮れの「龍馬の生まれた町記念館」でした。

      

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