今日は、冬至。もはや日も暮れて真っ暗です。
先日、産直市でめいっぱいの柚子皮(なんと100円!)を購入しました。
ジャムの作り方付きでした。1個分は干してお風呂になります。
土佐の銅像 写真集と 津江美和さんの写真に関するページ
今日は、冬至。もはや日も暮れて真っ暗です。
先日、産直市でめいっぱいの柚子皮(なんと100円!)を購入しました。
ジャムの作り方付きでした。1個分は干してお風呂になります。
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「土佐の銅像」第9回目は、吉村虎太郎です。
*吉村虎太郎(1837~1863)
*銅像所在地:高知県高岡郡東津野村新田 忠霊園
*銅像製作:川島三郎 昭和43年12月22日建立
土佐国高岡郡芋生野の庄屋の長男として生まれる。
*11歳:父の跡を継ぎ、庄屋となる。
*22歳:梼原村大庄屋となり、治績をあげる。
*24歳:武市半平太の土佐勤王党に加盟する。
*25歳:土佐を脱藩する。
*26歳:大和挙兵に参加すべく、天誅組を結成する。
享年26歳。
「吉野山 風に乱るるもみじ葉は 我が打つ太刀の血煙と見よ」
辞世の句には、虎太郎がもつ強い決意と行動力が、よく表現されている気がします。
銅像付近には、もみじが植えてあります。
2005年に訪ねたときは初秋で少しの紅葉でしたが、感慨深かったのを覚えています。
真っ赤な紅葉のときに訪ねたら...。辛い気持ちになりそうです。
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先日、AさんとFさん(どちらも女性)の運転で、土佐清水市へ行ってまいりました。
ジョン万次郎の銅像写真を撮ったとき(2006年)は一家でお泊まりでしたが、今回は日帰りでした。
車から幡多路の美しい眺めが見えました。もっと広い海なのですが...。力不足です...。
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「土佐の銅像」第8回目は、中岡慎太郎です。
*中岡慎太郎(1838~1868)
*銅像所在地:高知県室戸市 室戸岬
*銅像製作:本山白雲 昭和10年5月7日建立
土佐国安芸郡北川郷の大庄屋の長男として生まれる。
*17歳:田野学館で武市半平太から剣術を学ぶ。
*19歳:父親が病にたおれ、家業の大庄屋職を継ぎ、結婚。
*23歳:土佐勤王党に加盟する。
*25歳:尊皇攘夷への弾圧が始まり、土佐藩を脱藩。長州へ亡命する。
*27歳:薩長同盟締結。
*29歳:陸援隊を結成、隊長となる。
享年29歳。
大庄屋であった頃には、民の生活が豊かになるようにゆずの栽培を勧めたそうです。
高知県のゆずは、今や生産量が日本一!!!
ゆずの特性とか地域の実情とか...きちんと踏まえてこその先見の明という気がします。
中岡慎太郎は、正座した眼光鋭い写真と、白い歯がこぼれる笑顔の写真が有名です。
笑顔に寄せる白い手が女性のものらしいと知り、驚き、不思議な親近感を覚えました。
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「土佐の銅像」をご購入くださった方から、見事な銅像写真をいただきました。
津野町・堂海公園にある義堂と絶海の銅像を訪ねたそうです。
あの山が紅葉...。本当に美しかったことでしょう。
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「土佐の銅像」第7回めは、維新の門・群像①です。
*坂本龍馬(1835~1863)
*銅像所在地:高知県高岡郡梼原町 川西路 和田城跡
*銅像製作:濱田浩造 平成7年11月11日建立
「維新の門の坂本龍馬」を初めて見たのは、写真だったので、
「映画製作中???そっくりな俳優さんが現れたものだ」と勘違いしました。
生きている人間にしか、見えません...でした。
どの角度もサマになります!!!
梼原の静かな景色を見つめているかのようです。
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越知町「横倉山自然の森博物館」アロサウルス展に行きました。
ステゴVS.アロの草食肉食戦は、あり得た組み合わせ。ティラノではなく。
息子が恐竜も大好きなので、親も少しずつ勉強になっています。
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横倉山自然の森博物館(越知町)
「土佐の銅像」第6回目は、中浜万次郎です。
*中浜万次郎(1827~1898)
*銅像所在地:高知県土佐清水市 足摺岬
*銅像製作:大谷研 昭和43年7月11日建立
土佐清水市(中浜村谷前)の漁師の次男として生まれる。
*14歳:アジ・サバ漁に出て暴風雨に遭い、鳥島に漂着する。
*15歳:143日間の無人島生活の後、米国捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助される。
*16歳:ホイットフィールド船長に見込まれ、合衆国本土で教育を受ける。
*25歳:11年ぶりに母親と再会する。
*28歳:航海学書を執筆する。4年後には英会話書を編集する。
*33歳:批准使節団の一員として、咸臨丸にて合衆国に渡る。
享年71歳。
「数奇な運命」としか言いようがなく、ここに全く記述し切れておりません。
遭遇したことだけでなく、本人の才能と努力においても、並々ならぬものを感じます。
撮影は2006年2月で椿には少し遅かったのですが、足摺岬はいつだって絶景です。
鏡川こども祭
たくさんの親子連れが、川原を満喫していました。
普段から通ってはいるけれど、新鮮であり、懐かしくもあった鏡川でした。
実行委員会の方々の実践力には、驚きました。ありがとうございました。
さんとYさんのご尽力で、銅像製作者である故H氏の奥さまに会うことができました。
N
故H氏の芸術へのひたむきさ、ご夫婦のあり方、...とても考えさせられました。
カップは「お揃いではないけれどペアみたいに買った」有田焼だそうです。
「土佐の銅像」第5回目は、岩弥太郎です。
*岩弥太郎(1834~1885)
*銅像所在地:高知県安芸市矢ノ丸 江ノ川公園
*銅像製作:濱田浩造 昭和61年7月12日建立
安芸郡井ノ口村一ノ宮に生まれる。
*11歳:土居郭中にて学問に励み、「三神童」と呼ばれる。
*20歳:江戸の安積塾に入門する。
*21歳:父親の争いごとにかけつけ帰高、7ヶ月間投獄生活を送る。
*27歳:開成館土佐商会長崎出張所の主任となる。
*36歳:大阪の九十九商会社長に就任し、海運業を始める。
*39歳:九十九商会を三菱商会と改め、三菱財閥創業者となってゆく。
享年50歳。
スリーダイヤ = 山内家「三葉柏」 + 岩家「三階菱」
山内神社に行くとここかしこに家紋があって、感動してしまいます。
弥太郎生家の土蔵にはスリーダイヤがあって、感激してしまいます。
生家にある日本列島を模した庭石からは、少年弥太郎の心意気が伝わってきます。
月見で一杯
先日、夫がお刺身のゆうげを準備してくれました。
「土佐の美酒・のみくらべ」シリーズでいただきました。美味しかったです。
今日は十五夜なので、またまたのみくらべしなくてはなりません。
「土佐の銅像」第4回目は、山内容堂です。
銅像台座には「大政奉還を慶ぶ」とあり、「鯨海酔候」らしく盃を手にしています。
*山内容堂(1827~1872)
*銅像所在地:高知県高知市鷹匠 山内神社
*銅像製作:梶原幸山 平成14年4月10日建立
山内家分家の子として高知市に生まれる。
*22歳:山内豊信、第15代山内家土佐藩主となり、藩政改革を行なう。
*32歳:将軍後継者問題で隠居し、号を忍堂とする。後、容堂とかえる。
*36歳:土佐勤王党弾圧に踏み切る。
*40歳:内国事務総裁となる(1年後に辞職)。
享年43歳。
居合もよくでき、漢詩も詠んだ、「幕末四賢候」に数えられるお殿様です。
分家、側室、藩主、家臣、領民、謹慎、処罰、...。
身分制度は、山内容堂の心にも大きな陰を残した、と思われてなりません。
もちろん、「世間一般の人には、酔う人の気持ちは解らない」のですが...。
銅像製作者の濱田浩造氏の同級生でもあるYさん。その行動力に感嘆しました。
昨日、根木さんが観光ボランティアのYさんを紹介してくださいました。
待ち合わせは、夕暮れの「龍馬の生まれた町記念館」でした。
高知市立龍馬の生まれたまち記念館