共鳴とか共振という現象があるけれど、音楽を聴いて感動なり感興が起こるということは、心身のどこかにその現象が発生している状態だと思う。
共振は心のどこかに起こることが多いだろうが、身体のこともあるだろう。
末梢神経や皮膚で聴いている感じのこともある。
曲なり演奏なり、或いはその日の状態や環境なりで、共振が発生する場所も異なるし、またそれが発生しない場合には「どうもピンと来ない」として、受容されないのだろう。
ベルリン・ゾリステン(ライスター(クラリネット)他)(WARNER CLASSICS盤)
「130人のgolf130」と言う程でもないが、自分の中にもいくつかの人格が住んでいるように思う。
まあ、「しょうもないアホオヤジ」が主たる住人だし、「アバウトなパッパラパー」なんかも幅を利かせているが、「神経質な小心者」も住んでいる。
今では少数民族となってしまったが、「真面目誠実族」もいる。
ホントか?
うん、たぶんいる。
いや、いる。
ブラームスの幾つかの曲に、彼らは強く共振するので、その存在が確認出来るのである。
昔馴染みの、このブラームス晩年の名作もその一つ。
クラリネットの伸びやかだが深い音色が、枯淡の境地を描く。
酸いも甘いも分別付いた大人の曲。
歳を経れば、皆、この曲のような達観した心境になるものだと、クラシックを聴き始めた少年の頃思っていた。
余談だが、当時、関西人は皆、陽気でしゃべり好きだとも信じていた。
歳を経てもそうならない人がいたり、関西人でも無口な人がいることを知ったのは、だいぶ後年のことである。
自分はこの曲のような「渋カッコいい」老人には絶対になれないが、たまにはブラームスを聴いて、自分の中の「真面目誠実族」に共振を送ろう、と思った今朝でした。
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共振は心のどこかに起こることが多いだろうが、身体のこともあるだろう。
末梢神経や皮膚で聴いている感じのこともある。
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ベルリン・ゾリステン(ライスター(クラリネット)他)(WARNER CLASSICS盤)
「130人のgolf130」と言う程でもないが、自分の中にもいくつかの人格が住んでいるように思う。
まあ、「しょうもないアホオヤジ」が主たる住人だし、「アバウトなパッパラパー」なんかも幅を利かせているが、「神経質な小心者」も住んでいる。
今では少数民族となってしまったが、「真面目誠実族」もいる。
ホントか?
うん、たぶんいる。
いや、いる。
ブラームスの幾つかの曲に、彼らは強く共振するので、その存在が確認出来るのである。
昔馴染みの、このブラームス晩年の名作もその一つ。
クラリネットの伸びやかだが深い音色が、枯淡の境地を描く。
酸いも甘いも分別付いた大人の曲。
歳を経れば、皆、この曲のような達観した心境になるものだと、クラシックを聴き始めた少年の頃思っていた。
余談だが、当時、関西人は皆、陽気でしゃべり好きだとも信じていた。
歳を経てもそうならない人がいたり、関西人でも無口な人がいることを知ったのは、だいぶ後年のことである。
自分はこの曲のような「渋カッコいい」老人には絶対になれないが、たまにはブラームスを聴いて、自分の中の「真面目誠実族」に共振を送ろう、と思った今朝でした。
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