一昨日外出した際、会社の人と訪問先近くで待合せしました。
少し早く着いたので、近くのコーヒーショップに入り、その旨を私の個人携帯から、以前登録してあった彼の個人携帯にショートメールを入れる。
暫くしたら、彼の会社携帯から私の会社携帯に電話があり無事に合流。
用事を済ませ別れた後、夕方、私の個人携帯に「どちら様ですか?」とのショートメールが入る。
見ると、送信者名には昼間一緒だった彼の名が。
そうか、個人携帯にメールが入ったのに気付かず今見たのか。それにしても「どちら様ですか?」って、すっとぼけてるな!と思う。
それとも、「コーヒーショップ○○にいます」というメッセージが昼間着信したものではなく、今来たものと勘違いして、私では無く別の人から来たと思ったのかな?
とも考え、「○○です」と私の名前を返信する。
暫く経ってから、「間違いのようです。ご確認ください」旨のメールが届く。
そこで初めて、彼の個人携帯の番号が変わったらしいことに気付く。
メール受信時に私の携帯に表示されるのが彼の名前だったので、それを信じて疑わなかったのです。
着信があったからといって、相手は表示の人と全くの別人という場合もあることに改めて気付きました。
注意しなきゃ。
サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団(EMI盤)
ラトルのドビュッシー、ラヴェルの5枚組から。
「《リア王》のための音楽」は、ジャン・ロジェ=デュカス(1873~1954)の編曲。「魔法使いの弟子」のポール・デュカスとは血縁関係は無いが、パリ音楽院でポールの後任で管弦楽法の教授に就いたという作曲家。
また、「パゴダ(塔)」はピアノ曲「版画」の中の一曲でグレンジャー編曲。
ドビュッシーの管弦楽作品は、「海」、「牧神の午後への前奏曲」、「夜想曲」が大好きなのにも関わらず、どうも他の曲に馴染めておりません。
「遊戯」、「管弦楽のための映像」もディスクを持っていて何遍も聴いているのですが…。
昨日からこのCDを繰り返し聴いております。
上記の大好きな3曲があまりにも素晴らしいこともあるのか、「遊戯」、「管弦楽のための映像」(特に「遊戯」)も捉えづらい音楽という印象は相変わらずですが、ラトルの冴えたタクトで、ドビュッシーの響きの天才さを認識させてくれました。
まあ、捉えどころの無さこそが、ドビュッシーの音楽の特徴の一つかもしれませんが。
「パゴダ」では、摩訶不思議な感覚を覚えさせる、管弦楽への編曲の上手さを感じました。
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少し早く着いたので、近くのコーヒーショップに入り、その旨を私の個人携帯から、以前登録してあった彼の個人携帯にショートメールを入れる。
暫くしたら、彼の会社携帯から私の会社携帯に電話があり無事に合流。
用事を済ませ別れた後、夕方、私の個人携帯に「どちら様ですか?」とのショートメールが入る。
見ると、送信者名には昼間一緒だった彼の名が。
そうか、個人携帯にメールが入ったのに気付かず今見たのか。それにしても「どちら様ですか?」って、すっとぼけてるな!と思う。
それとも、「コーヒーショップ○○にいます」というメッセージが昼間着信したものではなく、今来たものと勘違いして、私では無く別の人から来たと思ったのかな?
とも考え、「○○です」と私の名前を返信する。
暫く経ってから、「間違いのようです。ご確認ください」旨のメールが届く。
そこで初めて、彼の個人携帯の番号が変わったらしいことに気付く。
メール受信時に私の携帯に表示されるのが彼の名前だったので、それを信じて疑わなかったのです。
着信があったからといって、相手は表示の人と全くの別人という場合もあることに改めて気付きました。
注意しなきゃ。
サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団(EMI盤)
ラトルのドビュッシー、ラヴェルの5枚組から。
「《リア王》のための音楽」は、ジャン・ロジェ=デュカス(1873~1954)の編曲。「魔法使いの弟子」のポール・デュカスとは血縁関係は無いが、パリ音楽院でポールの後任で管弦楽法の教授に就いたという作曲家。
また、「パゴダ(塔)」はピアノ曲「版画」の中の一曲でグレンジャー編曲。
ドビュッシーの管弦楽作品は、「海」、「牧神の午後への前奏曲」、「夜想曲」が大好きなのにも関わらず、どうも他の曲に馴染めておりません。
「遊戯」、「管弦楽のための映像」もディスクを持っていて何遍も聴いているのですが…。
昨日からこのCDを繰り返し聴いております。
上記の大好きな3曲があまりにも素晴らしいこともあるのか、「遊戯」、「管弦楽のための映像」(特に「遊戯」)も捉えづらい音楽という印象は相変わらずですが、ラトルの冴えたタクトで、ドビュッシーの響きの天才さを認識させてくれました。
まあ、捉えどころの無さこそが、ドビュッシーの音楽の特徴の一つかもしれませんが。
「パゴダ」では、摩訶不思議な感覚を覚えさせる、管弦楽への編曲の上手さを感じました。
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