golf130のクラシックお笑い原理主義

オッサンのしがない日常や妄想話とその日聴いた音楽。

メシアン「聖なる三位一体の神秘への瞑想」タンケ

2011-05-28 21:00:13 | Weblog
これからは、「原発(事故)後」ということで語られて行くのだろうなあ…。

「戦後」という言い方と同様に。

歴史が転換した日本史上のターニングポイントとしては、「関ケ原の戦い」、「明治維新」、「第二次大戦の終戦」等いくつかあるでしょうが、「福島第一原発事故」も確実にそこに列せられて行くのでしょうね。

「原発後」で、何がどう変化するのかが、今後の大きな課題ですが…。

大きな被害を被ったという変えられない現実と、今後良く出来る変えられること。

後者を如何に拡大して行けるかですね。

不幸な原発事故でしたが、これを乗り越え日本が良い方向に進めると良いのですが…。

ウィレム・タンケ(オルガン)(BRILLIANT CLASSICS盤)

今日は、久しぶりにメシアン。

昨年末に購入したメシアン17枚BOXから、未聴だった最後の1曲。

1969年作曲の約85分掛かる大作です。

第1曲 生みだされぬ父
第2曲 イエス・キリストの聖体
第3曲 神に実在する関係は本質と実在上同一である
第4曲 私はある、私はある!
第5曲 神は無限であり、永遠であり、不変である
第6曲 御子、言葉と光
第7曲 御父と御子は聖霊によって、自らを、そして我々を愛する
第8曲 神は単一である
第9曲 私はあるという者だ

メシアンのオルガン曲って、クラシック音楽ファンであっても、「引かれる(敬遠される)」要素大なのだろうなと改めて思いました。

まず、現代音楽ということで引かれる。

オルガン曲も人気無いでしょうから、また引かれる。

更に、タイトルからしてバリバリの宗教曲で引かれる。

この曲にしても、標題と共に各曲に付けられたタイトルにはちょっとビビってしまいますよね。

確かに取っ付は悪い音楽かもしれません。しかし、オルガンという「世界最大の楽器」が生み出すスケールの壮大さと圧倒的な存在感はメシアン音楽特有のもの。

この曲は、1951年の「オルガンの書」などと比べると前衛性は薄れ、その分瞑想性が高くなっているように感じます。

ウィレム・タンケは、このBOXで初めて名前を知ったオルガニストですが、ここでも真摯な演奏を繰り広げてくれています。

録音も良いし、このBOXは本当に買いでした。(オルガン曲と歌曲が素晴らしい演奏)

★日本ブログ村ランキングに参加しています。
激辛も激甘も噛み分けるメタボな私に是非1クリックお願いします。↓
ブログ村 クラシック音楽鑑賞

★人気ブログランキングにも参加しています。
ビールもコーラも飲み分けるメタボな私に是非1クリックお願いします。↓
人気ブログランキングへ