極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ゲゲゲの遠野を尋ねる。

2010年09月14日 | 時事書評



入相いりあいの 影が途切れて 闇に入り 山の精霊 相撲に誘う   









【復活をかける相撲・柔道】




大相撲は川端達夫文科相が両国国技
館を訪れ秋場所2日目を視察したが
テレビ放送も再開し、一寸観ただけ
でも意気込みは伝わって面白い。こ
れで言い方は悪いが「でれっとした
相撲」イメージが払拭され「ピリッ
とした相撲」にチェンジすると期待
したい。


世界柔道選手権、第5日は13日、東
京・国立代々木競技場で行われ、日
本勢が男女無差別級を制し、今大会
での金メダル数を10個とした。男子
無差別級は、上川大樹が100キロ超
級で優勝した)に、延長戦のすえ判
定勝ちで金メダルを獲得。鈴木桂治
と立山広喜はともに銅メダルを獲得。
女子無差別級は、78キロ超級で優勝
した杉本美香が秦茜(Qin Qian、中国)
に優勢勝ちし、今大会2個目の金メダ
ルを獲得した。また、田知本愛が銅
メダルを獲得するという快挙だ。



圧巻はリネルと上川の決戦。大画面
テレビの迫力かこちらまで力が入り
臨場感抜群で正直、大相撲と同様、
格闘技の魅力が満喫できた。組み手
ひとつで微妙な力加減が変わる様子
が分かり、長身のリネルの圧倒する
強さに上川が屈せずに逆転できたこ
とが未だに印象に残っている。「ホ
ーム・タウン・ディシジェント」の
優位さを無視できず、日本代表選手
のなおの精進に期待したい。「おめ
でとう、復活柔道/頑張れ、大相撲」。



背負ふかたち 押さふるかたちに昼寝せる 合宿中の柔道部員






【ゲゲゲの遠野物語】




2010年6月14日に『遠野物語』発刊
百周年を迎えるというが、NHKの朝の
連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」が
ヒットしていて面白く観ていたが今
月で終了するが『水木しげるの遠野
物語』に興味が行った。


 この話はすべて遠野の人
佐々木
 鏡石君より聞きたり。昨明治四
 十二年の二月頃より始めて夜分
 折々訪ね来たりこの話をせられ
 しを筆記せしなり(中略)思う
 に遠野郷にはこの類の物語なお
 数百件あるならん。我々はより
 多くを聞かんことを切望す。国
 内の山村にして遠野よりさらに
 物深き所にはまた無数の山神山
 人の伝説あるべし。願わくはこ
 れを語りて平地人を戦慄せしめ
 。この書のごときは
陳勝呉広
 のみ。

         『遠野物語』
     「柳田国男全集〈4〉」


柳田国男、折口信夫、南方熊楠など
の傑出した陳勝呉広、偉人達のの領
域に「漫画」というサブ・カルチャ
ーを引っ提げ水木しげる(武良茂)
が、奥羽・近畿・南紀地方文化圏ら
に出雲地方の民俗文化圏を名を連ね
るというわけだ。そういえば、三島
由紀夫もこの本が小説家を志す触媒
であったと、割腹自死の遺書とされ
「私は最近、自分の楽しみのためだ
けの読書として、柳田国男氏の名著
『遠野物語』を再読した(中略)全
文自由な文語体で書かれ、わけても
序文は名文中の名文であるが、いま
私の挙げたいのは、第二十二節の次
のような小話である」ではじまる
小説とは何か』で吐露
している





 佐々木氏の曾祖母年よりて死去
 せし時、棺に取り納め親族の者
 集まり来てその夜は一同座敷に
 て寝たり。死者の娘にて離縁せ
 られたる婦人もまたその中にあ
 りき。喪の間は火の気を絶やす
 ことを忌むが所の風なれば、祖
 母と母との二人のみは、大なる
 囲炉裏の両側に座り、母人は傍
 らに炭籠を置き、折々炭を継ぎ
 てありしに、ふと裏口より足音
 して来るものあるを見れば、亡
 くなりし老女なり。平生腰かが
 みて着物の裾の引きずるを、三
 角に取り上げて前に縫い付けて
 ありしが、まざまざとその通り
 にて、縞目にも見覚えあり。あ
 なやと思う間も無く、二人の女
 の座れる囲炉裏の脇を通り行く
 とて、裾にて炭取(炭籠に同じ)
 にさわりしに、丸き炭取なれば
 くるくると回りたり。母人は気
 丈の人なれば振り返りあとを見
 送りたれば、親類の人々のうち
 臥したる座敷の方へ近寄り行く
 と思うほどに、かの女のけたた
 ましき声にて、おばあさんが来
 たと叫びたり。その余の人々は
 この声に眠りを覚まし、ただう
 ち驚くばかりなりしと言えり。

         『遠野物語』

 この中で私が、「あ、ここに小
 説があった」と三嘆これ久しう
 したのは、「裾にて炭取にさわ
 りしに、丸き炭取なればくるく
 ると回りたり」という件である。
 ここがこの短い怪異譚の焦点で
 あり、日常性と怪異との疑いよ
 うのない接点である。この一行
 のおかげで、わずか一ページの
 物語が、百枚二百枚の似非小説
 よりもはるかに見事な小説にな
 っており、人の心に永久に忘れ
 がたい印象を残すのである。

       『小説とは何か』


その‘蝶番’或いは仕掛けが炭取(
炭籠)だと三島は分析して次のよう
にいうのだ。

 その原因はあくまでも炭取の回
 転にある。炭取が「くるくる」
 と回らなければ、こんなことに
 はならなかったのだ。炭取はい
 わば現実の転位の蝶番(つなぎ
 目の金具)のようなもので、こ
 の蝶番がなければ、われわれは
 せいぜい「現実と超現実の併存
 状態」までしか到達することが
 できない。それから先へもう一
 歩進むには、(この一歩こそ本
 質的なものであるが)、どうし
 ても炭取が回らなければならな
 いのである。しかもこの効果が
 一にかかって「言葉」にあると
 は、驚くべきことである。舞台
 の小道具の炭取では、たといそ
 の仕掛けがいかに巧妙に仕組ま
 れようとも、この小話における
 炭取のような確固たる日常性を
 持つことができない。短い叙述
 のうちにも浸透している日常性
 が、このつまらない什器の回転
 を真に意味あらしめ、しかも『
 遠野物語』においては、「言葉
 
以外のいかなる資料も使われ
 ていないのだ。            

 私が「小説」と呼ぶのはこのよ
 うなものである。小説が元来「
 まことらしさ」の要請に発した
 ジャンルである以上、そこには
 このような、現実を震撼させる
 ことによって幽霊を現実化する
 ところの根源的な力が備わって
 いなければならない。

           『同上』


それなら、劇画や漫画ならどうなん
だろう。その答えを探すためにはま
ず水木のこの本を読む必要があると
いうわけで、ここで終止符を入れ別
の機会に譲り、ここでは水木の経歴
の作品の特質を垣間見ることにする。



ニューブリテン島での戦争体験がそ
の後の水木作品に影響を与えたとい
われる。装備も作戦も優れた連合軍
の前に、所属する臨時歩兵第二二九
連隊支隊長の成瀬懿民少佐は玉砕の
命令を出すが、水木が所属していた
第二中隊長の児玉清三中尉の機転で
ゲリラ戦に転じたおかげで生命を拾
うことに。

指令本部への総員玉砕報告に反し、
生存者が出たことから、児玉は責任
を取り自決。その後、水木はマラリ
アを発症する。またある戦闘で敵か
ら逃れて九死に一生を得た時、上官
から武器を捨てて逃げた事を咎めら
れ「何故死ななかったのか」と詰問
され、虚無主義的な考え方をするよ
うになったと語っている。療養中に
敵機の爆撃を受けて左腕に重傷を負
い、軍医によって麻酔のない状態で
左腕切断手術を受け、マラリアも負
傷も快復して終戦を迎え、九死に一
生を得て駆逐艦の雪風で日本本土へ
復員できたというから「う~ん」と
数奇な宿命に驚嘆し思わず唸ってし
まう。それだけではない・・・。

陽炎型駆逐艦 雪風

雪風は、1940年1月20日、佐世保海
軍工廠にて竣工。大日本帝国海軍の
駆逐艦。陽炎型の8番艦である。太
平洋戦争を戦い、当時の艦隊型新鋭
駆逐艦、朝潮型駆逐艦、陽炎型駆逐
艦及びその改良型夕雲型駆逐艦、そ
して「島風」の計50隻の中で唯一終
戦まで生き残った。日本海軍の駆逐
艦は激戦区に投入され非常に損耗率
が高かったが、本艦は16回以上の主
要な作戦に参加し、戦果を上げつつ
ほとんど無傷で終戦を迎え「
奇跡の
駆逐艦
」と呼ばれた。終戦後は復員
輸送に従事していたが、1947年7月6
日、賠償艦として中華民国海軍へ引
き渡され「丹陽」(DD-102)となる。中
華民国海軍の艦隊旗艦を務め、実戦
にも参加したと見られる。1966年、
台風による損傷及び老朽化より解体
されたというから不可思議なものを
感じざるをえない。





ところで、片腕を失った水木は「私
は片腕がなくても他人の3倍は仕事
をしてきた。もし両腕があったら、
他人の6倍は働けただろう」と語り、
「左腕を失ったことを悲しいか」と
の問いに「思ったことはない。命を
失うより片腕をなくしても生きてい
る方が価値がある」と答えていると
いう。

それにしても、年齢的にも入相にあ
るわたしに「生きている意味」を再
考させる契機となったことは確か。

                   

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