極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

ミニシクラメンと神性の発揮

2009年12月20日 | 神道物語



寒風の 店舗に並ぶ 花の杜 継続こそは ミニシクラメン



 

【文化の深層:鎮魂とはなにか】



鎮魂(ちんこん→天皇に対して行われる場合は、た
ましずめ、たまふりと呼ぶ)とは、人の魂を鎮める
ことである。今日では「鎮魂」の語は死者の魂(霊)
を慰めること、すなわち「慰霊」とほぼ同じ意味で
用いられる。元々「鎮魂」の語は「(み)たましず
め」と読んで、神道において生者の魂を体に鎮める
儀式を指す。広義には魂振(たまふり)を含めて鎮
魂といい、宮中で行われる鎮魂祭では鎮魂・魂振の
二つの儀が行われている。神道では、生者の魂は不
安定で、放っておくと体から遊離してしまうと考え
る。これを体に鎮め、繋ぎ止めておくのが「たまし
ずめ」である。「たまふり」は魂を外から揺すって
魂に活力を与えることとする





宮中では、新嘗祭の前日に天皇の鎮魂を行う儀式が
宮中三殿に近い綾綺殿にて行われ、これを鎮魂祭と
いう。天皇に対して行う場合には「みたましずめ」
「みたまふり」と言う。太陽暦導入後は11月22日。
この日は太陽の活力が最も弱くなる冬至の時期であ
り、太陽神アマテラスの子孫であるとされる天皇の
魂の活力を高めるために行われた儀式と考えられて
いる。



また、新嘗祭(または大嘗祭)という重大な祭事に
臨む天皇の霊を強化する祭でもある。第二次世界大
戦以後は皇后や皇太子夫妻に対しても行われている。
鎮魂の儀では、宇気槽(うきふね)と呼ばれる箱を
伏せ、その上に女官が乗って桙で宇気槽の底を10回
突く「宇気槽の儀」が行われる。これは日本神話の
岩戸隠れの場面において天鈿女命が槽に乗って踊っ
たという伝承に基づくとされている。『古語拾遺』
に「凡(およ)そ鎮魂の儀は、天鈿女命の遺跡(あ
と)なり」とある。かつてこの儀は、天鈿女命の後
裔である猿女君の女性が行っており、「猿女の鎮魂」
とも呼ばれていた。鎮魂の儀の後、天皇の衣を左右

 

に10回振る魂振の儀が行われる。これは饒速日命が
天津神より下された十種の神宝を用いた呪法に由来
するとされる。『先代旧事本紀』には、饒速日命の
子の宇摩志麻治命が十種の神宝を使って神武天皇の
心身の安鎮を祈ったとの記述があり「所謂、御鎮魂
祭は此よりして始(おこ)れり」という。




 本田親徳

これは宮中神道儀礼で興味が薄い。寧ろ、本田親徳
が遺した鎮魂法なるもので、鎮魂修法者の自己の魂
(弁証法的な?「内なる他者」=「大いなる外」)
を鎮魂石に鎮まる神霊、精霊に預けることで、成就
と共に霊肉分離し自己の魂が神界出入が自在の境地
に至ることができ、幽冥界の真実を探索する端緒に
もなり、言い換えれば「鎮魂は真実の自分に出会う
」ということでもあるという(渡辺勝義『日本精神
文化の根底にあるもの(七)』)ことに惹かれる。




鎮魂石による鎮魂-神性発揮の行法】



それでは、その奥義とはなんだろう。要点をまとめ
ると次のようになる。

(1)鎮魂石の準備→五分大ぐらいの清浄な黒い石
(2)鎮魂印づくり
(3)鎮魂石のつり下げと正座づくり
(4)修法の衣、場所、時間の設定
(5)修法の空間条件(光線)の設定
(6)修法の次第
(7)実修中の諸現象と注意事項
(8)鎮魂法の極意

最初のうちは日々の「考える」という惰性習慣が、
次々に雑念となり、捕われ鎮魂を修していることを
忘失してしまうが、ひたすら専修し積み重ねていく
こと、日々楽しみながら修することこそが鎮魂上達
の道であるととする。鎮魂の法は頭で、目で、身体
で行うものではなく、自己の真魂で修するものを旨
とし
、本田親徳は、その著「神伝秘書」に自修の要
(下記、要点の八番目の「極意」に該当)として次
のように記している。

(1)身淋衣服を清潔にす可し。
(2)幽遼の地閑静の家を撰む可し。
(3)身肺を整へ瞑目静坐す可し。
(4)一切の妄想を除去す可し。
(5)感覚を蕩尽し意念を断滅す可し。
(6)心神を澄清にして感触の総に擾れざるを務む
  可し。
(7)一意に吾が霊魂の天御中主大神の御許に至る
  事を黙念す可し。

この極意で、邪念を排し無の境地に入り「悟る」と
いうが、これは自ら体験体得し悟るより他なく、文
字や言葉に表現するにはどうしても限界があること
は仕方のないとし、渡辺勝義は、この鎮魂石を用い
ての鎮魂法の良好な状態はどのようなものか、後学
の参考のため敢えて一例を紹介している。

 石の前に座っただけで、にわかに周囲の、部屋
 全体の雰囲気がサッと一変する。石を見つめて
 いると徐々に統一が深くなり、石自体が白銀色
 に光り始め光芒を放ってくる。我が魂が石を押
 し、石が我が魂を押しするうちに石に包まれ、
 引き入れられるように感じる。段々我が身体が
 小さくなる、あるいは、また反対に我が身体が
 徐々に大きくなったりする。目を閉じると魂が
 というべきか、身体がというべきか大小を感じ、
 魂が身体から抜け空中に至る、また雲を抜けて
 別天地に至り(別世界が開けてくる)、天地と
 の一体感、その悠大さを味わう。その澄清さの
 素晴らしさは何に例えようがない。眼前に光り
 の玉がありこれに入っていく(真幽界・神界)。
 
さて、「本当の自分と出会う」ということの意味を
問うことは、実は人が「何故、修行をするか」の意
味を問うことでもある。「本当の自分が開かれて外
にある」ということをどうやって知らしめるか?自
分はこんな人間だと大抵の人が最初から諦めている
が「私が私として完結している」というのは人間す
べてが共有している妄想でしかない。「大いなる外」
という、目に見えない神の存在を受け入れる必要が
あり、本当の自分は無限に大きいのだということを
知っておく必要があるのであると渡辺はいう。精神
分析や深層心理学の駄目な点は所詮無意識という形
で自分の身体の中に閉じこもっていて、
西欧の近代
科学合理主義的世界観にドップリ汚染されてしまっ
ており、自分という本質がこの肉体の中に自己完結
して閉ざされていると錯覚している。つまり、個と
して閉じてしまうということの間違いが全く分かっ
ていないのである。何故、人が修行することによっ
て自己の霊魂が現象を自由自在に見晴らせる。



「私の中の魂が抜け出て外にさま迷う」亡骸(抜け
殻)となったた身体は仮死状態となるといった素朴
な民間信仰があるが、この観念は浅薄な現象理解の
上に成り立っている。真の修行者は瞑想して世界の
隅々を見渡している時、この身体は光り輝くほど充
実しているのであって決して仮死状態にはならない。
否、もし人類が進化して精神力を測定する装置が開
発されたとしたら、多分、その機械は圧倒的な力
を受けて瞬時に消滅するほどのものであろうとまで
いってのける。その状態こそ、その人の身体は宇宙
全体と同じ内容を秘め、この輝ける身体に存在する
のが内なる他者(=神そのもの)で、それ故にこそ、
人は宇宙全体に遍満・偏在出来るのであり、無限の
過去から無限の未来に至るまで、どの時間、どの空
間にも同時に無限の場所にわが身(魂)を置くこと
が出来ているとする。実はその私こそ「真の私」な
のであり、私の本質なのである。真の私はかくして
「外なる私」という本質を露わにするのである。こ
の話は本質的に語ることは難しく、修行を通して体
験体得した者のみが知悉し得る最高の境地なのであ
ると括る。



さて、宇尾白山神社の宮世話二年、ブログ一年の活
動の中、神社神道の本質とその背景(文化深層)及
び年中行事などの儀礼などを大急ぎで考察してきた。
伝統的な保守主義に依るなら、日本の原始的宗教→
古神道→神仏習合→国家神道→皇室・神社・教派三
神道の流れのなかで、渡辺勝義著『神道と日本文化』
などを教材し、「鎮魂とはなにか-神性の発揮」を
その括りとして、即興的に選んだことは、偶然にし
ろ間違いなかったと思いつつある。



つまりは、鎮魂こそが神道の中核で、行法中の超常
体験(憑依など)は、瀕死体験(吉本隆明著『死の
位相学』)によく似てはいるが、神道の意味すると
ころは、「大いなる外」(真幽界・神界)への通過
ゲートで鎮魂修法により自由自在に往来できるとい
う<確信>が本質であるが(→これを救霊プロジェク
トまでに高めたのが「
スピリチェアリズム」と解釈
している)、この修法過程は非常に厳しく危険で、
仏教でいう修行での「在家」では難しく「出家」す
るのと同じではないか等といろいろと考えさせられ
た。この行法を実践も視野に入れながら、神社神道
のコアなるものが氏神=郷土或いは集落の活性化(
=神性の発揮)と定めて了とする。


 Cyclamen Flower Blooming Time lapse

シクラメンはサクラソウ科シクラメン属に属する多
年草。学名 Cyclamen persicum Mill. 地中海地方原産で、
花期は秋から春。冬の花として有名。和名は「豚の
饅頭(ブタノマンジュウ)」と「篝火草(カガリビ
バナ)」の二種類がある。前者の『豚の饅頭』は、
ある植物学者がシクラメンの英名(雌豚のパン sow
bread
)を日本語に翻訳した名である。後者の『篝火
花』のはシクラメンを見たある日本の貴婦人(九条
武子だといわれている)が「これはかがり火の様な
花ですね」と言ったのを聞いた牧野富太郎が名づけ
た。前者は球根を、後者は花を見て名づけている。
尚、現代ではシクラメンに対しては滅多に和名を用
いる事が無い。シクラメンは元々地中海沿岸、トル
コからイスラエルにかけて原種が自生している。名
前は花茎がはじめ丸まった状態で発生することから
「サイクル(Cycle)」から命名された。 古来は花
ではなく、塊茎の澱粉を注目され、サポニン配糖体
を含む有毒にもかかわらず「アルプスのスミレ」な
どの美称があり、食用とされていた。大航海時代以
後ジャガイモがもたらされると、シクラメンを食用
にする習慣はなくなった。


 music

気候変動、大不況、大不安渦巻く今年一年やったと
ガーデニング用の草花を物色していると、小さなシ
クラメンが飛び込んできた。創意工夫を凝らせば未
来は明いとなぜか元気になる。そんな世相を歌う。
従来、鉢で育てる室内観賞用のシクラメンが一般的
であったが、原種との交雑により、1996年(平成8年
)に埼玉県児玉郡児玉町(現本庄市)の田島嶽氏が屋
外に植栽可能な耐寒性のあるミニシクラメンの系統
を選抜し「ガーデンシクラメン」として売り出した
のがこの種類のシクラメンの始まりである。 この「
ガーデンシクラメン」は、高度成長期頃によるガー
デニングブームの波に乗り流行し、全国で生産が始
まり、瞬く間に普及した。鉢植えの「シクラメン」。
花言葉は「はにかみ」「理解」。

 

コメント
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