徳丸無明のブログ

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左は何をする人ぞ

2020-01-28 21:30:21 | 雑考
國分功一郎と互盛央の『いつもそばには本があった。』(講談社選書メチエ)を読んでの気付き。
これは哲学者の國分と、言語学者の互が、これまでに読んできた書物を、それにまつわる思い出とともに往復書簡形式で書き綴った本である。この中で、話題が国家に及んだ時、國分が次のように発言している。


たとえば、今となっては信じられないだろうが、私が学生の頃〔引用者注・1990年代中頃〕は終身雇用制度が批判されていた。とある有名な経済学者が終身雇用制度は悪くないと言っているという話を聞いて、「そうか、そういう見方もあるのか」と思ったのをよく覚えている。
つまり、安定がくびきと感じられていた時代なのであり、社会の流動性を高めることが重要課題であると考えられていた。批判的勢力、いわゆる左派もまたこの安定の中にいた。国家は個人の自由を縛る存在として考えられており、その権力をとにかく批判することが左派の課題だった。


んん・・・、そうなのか?
2000年代に小泉純一郎政権が推し進めた「聖域なき構造改革」と称する規制緩和によって、派遣社員やフリーターなどの非正規雇用が増大した。「下流」が流行語になり、格差やワーキングプアが社会問題として大きく取り沙汰されるようになった。
これら雇用形態とそれに基づく経済状況は、自民党政権下にもたらされたものであり、だから右派の責任とされている。自民党が、おそらくは経団連あたりの要請を受けて推し進めてきたことであって、貧しい若者が増加しているのは右派のせいだと。
しかし、だ。2000年代に先立つ1990年代に左派が終身雇用制度を批判していたのだとすると、それは「聖域なき構造改革」を受け入れるための下地作りをしていた、ということになるのではないか。具体的な雇用政策を決定したのは右派(=自民党)である。しかし、その政策を国民が了承するための「時代の空気」を左派があらかじめ用意していたとするならどうだろう。
左派が終身雇用制度を批判していたからこそ「聖域なき構造改革」がありえたということにならないだろうか。非正規雇用が増大した現在の雇用状況は、左派と右派の共同作業によって形作られた、ということにならないだろうか。
一般的には経済成長を優先し、国民(労働者)の暮らしを軽んじた保守反動のせいで今があるというふうに思われているし、現在の左派もそう喧伝しているが、それは正しくないのではないか。左派にも少なからずその責任があるのではないか。
今述べたように、現在の左派は右派(=自民党)の過去の雇用政策を批判しているし、経済格差を是正すべく正規雇用の増大を訴えてもいる。しかし、それがもともと自分たちの求めていたものだったとするならば。
たしかに、〈終身雇用制度の解体=所得の減少〉ではない。あくまで左派が望んでいたのは「雇用の流動化」であって、「労働者の収入減」ではなかったのだろう。だが、勤務年数が長くなるほど年収が多くなる年功序列の終身雇用制を基盤として安定的な所得が生み出されていたのだから、そこを突き崩せば必然的に労働者の収入も不安定化する、というのは容易に想像できることだ。左派は、そんなことも気づかずに終身雇用制を批判していたのだろうか。
仮にこの先、現在の左派が望むように正規雇用が増加したならばどうだろう。彼らはまた、過去の自分たちの発言をコロリと忘れて終身雇用制度の解体を呼号するのだろうか。
忘却とは恐ろしいものだ。「総括」や「自己批判」といった言葉は新左翼の凋落とともに忘れ去られてしまったのかもしれない。

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