徳丸無明のブログ

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人はいつでも信じたいものしか信じない――ポスト・トゥルースの時代に・前編

2018-12-19 22:54:18 | 雑文
近年の社会潮流を表す用語のひとつに「ポスト・トゥルース」がある。ポスト・トゥルースとは、客観的な証拠や、データ上の裏付けに基づかない、予断や偏見にまみれた社会的信念のことを指す。平たく言えば、「誰が何と言おうが、一般常識がどうあろうが、自分が信じたいものだけを信じる態度」のことである。
2016年のアメリカ大統領選の際にデマ情報が大量に飛び回り、しかもそれを安易に信じる人が数多く出現したことで、その事態を説明する言葉として頻繁に取り上げられるようになった。その大統領選挙で選出されたドナルド・トランプは、自身に都合の悪い情報はすべてフェイクの一言で片付けているが、彼の支持層は気にもとめない。
小生は、この潮流の原因は「高度情報化社会における情報量の飽和」にあると考えている。インターネットが普及する以前、情報とは、特定の社会的立場にいる者にしか発信することが許されなかった。それが、ネット及びSNSの一般化によって、誰でも情報の発信者になれる社会が到来した。
もちろんそれには良い面も多分にあった。情報の発信権を独占していたメディアが、自社にとって都合の悪い事実(営利を損なう、社是に反する等)を報じずにいる、といった問題点があり、既得権益だの業界のしがらみだのといった束縛とは無縁な在野の立場からの情報発信が、既存のメディアの相対化を図る、という役割を果たしたからだ。
しかし、「誰でも発信者」の情報インフラは、極度の情報量の肥大化をももたらしてしまった。情報の発信源が多すぎると、どことどこを押さえておけばいいのか、信頼に足る発信者は誰なのかがわからなくなる。ネットの普及以前であれば、たとえば新聞なら朝日・毎日・産経・読売の4紙に目を通しておけば、それで事足りた。その4紙だけで左右のバランスの取れた、社会の全体が見渡せる最低限のポイントを押さえておけると――錯覚ではあるにせよ――思い込むことができた。
だが、今ではそういうわけにはいかない。マスメディアのダメさ加減がいやというほど暴き立てられ、一個人のSNSから真相が暴露されることも珍しくない現状において、「これだけ押さえておけばOK」という普遍的な最低基準など存在しない。
何を信じればいいのかわからず、どれだけ情報を取り込んでも事足りたことにはならない。そんな情報環境下に、我々は生きている。
その結果、「何を信じればいいんだ!」という苦悶は、「だったらもう自分が信じたいものだけ信じるよ」という開き直りに転じる。それがポスト・トゥルースである。今となってはポスト・トゥルース的現象は、国内外問わず様々な局面で散見されるので、誰しもその実態をある程度知悉しているはずだ。
都合の悪い真実からは目を背け、耳に心地の良い情報ばかりを選択的に吸収し、同じ主義主張の者ばかりで徒党を組む。そんな様態を眺めていると、「世も末だ」とか、「人間は史上かつてないほど馬鹿になった」などど思われるかもしれない。確かに、そのように感じてしまいがちなのは無理からぬことではあるが、しかし事はそう単純ではない。
「信じたいものだけを信じる」現在を「ポスト・トゥルースの時代」とするならば、それ以前は「トゥルースの時代」であったことになる。「トゥルースの時代」は、その定義上「個人的感覚で正しいと思われるものよりも客観的な真実のほうを是とする」のが基本的態度の時代のことになるだろう。人類が「トゥルースの時代」を生きていた頃、自分達が今「トゥルースの時代」にある、ということは自覚できていなかった。「トゥルースの時代」とは、「ポスト・トゥルースの時代」がおとずれた後、崩れ去ってしまった社会通念を過去に照射することで浮かび上がってきた時代区分なのである。
さてそうすると、当然のことながら「人類の歴史とは、誕生してからこのかた、つい最近まではずっとトゥルースの時代であったのか」という疑問がわく。そして、その答えは否である。人類はこれまでずっと客観的な真実を信じられるほど理知的であったわけでもないし、ここ最近で急激に馬鹿になったわけでもない。
結論を先に言えば、「トゥルースの時代」とは、人類の歴史の一時期にのみ成立し得た、はかない陽炎のような時間帯だったのである。それを説明するために、少し過去に遡ってみていこう。
以下に引用するのは、秋田県の無形民俗文化財に指定されている猿倉人形芝居の人形遣い木内勇吉の身に実際に降りかかった出来事である。


勇吉が八歳だった明治三十九年の正月、村の豪家P家の作業所から出火、近所の家数軒が類焼した。勇吉の家もそのなかに含まれていた。ところが、本荘警察からきた取調べ官が祖母を放火犯と判断して警察へ引っぱったのである。放火は怨恨によるもので、たまたまP家との縁談がこじれており、P家の当主が祖母が犯人らしいと示唆したこともあって、縁談の仲介をしていた祖母がP家を恨んで放火した、とされたのだ。祖母は否認し続けたが、業をにやした警察は勇吉の父をも警察に連行して拷問したので、ついに祖母も放火したという偽りの自白をしてしまった。
こうして、勇吉の一家は「火つけ」をしたということで、当時の金で二百円の罰金を村に取られたうえ、向う五年間は村でいっさいの交際が断絶という「村離れ」に処せられることになった。「村の山でも草も薪木も取ることができず、村祭りに加入することもだめ、祝儀や葬式の出入もいっさい断つという厳しいものであった。そして祖母は、一年間本荘警察の拘置所に置かれて働かされたのである」。
この事件にひどいショックを受けた父は、心配のあまり今日でいう精神分裂病にかかってしまった。当時はそんなことがわかるわけがなく、狐がついたと悪評され、家では祈禱師を呼んでいろいろと祈禱をしたが、なかなか父の病はおさまらなかった。このため父は離縁となり、勇吉も村離れの子だということで子どもたちの間でも仲間はずれにされ、しかも父に狐がついたというので「つき」という渾名までつけられたのだ。一年後に、別の放火事件で捕まった者が、P家の放火も自供して、祖母の放火犯の嫌疑は晴れ、村に取られた二百円も返されたが、この罰金を調達するために売った田畑は買い戻すことはできず、また一度たてられた悪評はなかなか消えなかった。
(小松和彦『悪霊論』ちくま学芸文庫)


怒りや悲しみを通り越してあきれ果ててしまうほど出鱈目な話だが、このような裁きが通例であった時代があったのだ。我々の感覚では、事件や事故の判定、犯人の特定のためには「客観的な証拠」が必要とされる。客観的な証拠とは、理想的には写真や動画といった記録物、さもなくば犯行に用いられた物品である。
しかし、当然のことながら写真や動画は人類の歴史の中ではごく最近になって確立された技術である。それらが発明・普及される以前には、目の前で犯行が行われる現行犯を除けば、客観的な証拠に基づいて犯人を特定することなど、望むべくもなかった。
また、警察のような公的で中立的な(厳密には警察は必ずしも価値中立的ではないのだが)捜査組織があったわけでもない。つまり、そのような背景を持つ社会において、現代の我々が理想とする方法で犯人探しをしていたら、検挙率が極めて低くなってしまうのである。
これだと、被害者は泣き寝入りで、やったもん勝ちになってしまう。秩序を保つことができない。
そこで近代以前の人々は、「客観的な証拠に基づく」以外の手段で秩序を回復することを選んだ。それは、共同体内部の弱者(おもに被差別者・貧者などの、普段から虐げられている者たち)に罪を押し付け、裁きを下すことによって、正義が執行されたと見做す、というやり方である。たとえ無理筋であったとしても、犯人が特定され、裁きを受ければ、秩序は回復される。少なくとも、回復されたと思い込むことはできる。
現代の感覚ではあまりに理不尽に感じるだろうが、共同体を維持するためには一定の秩序が必要であり、その秩序維持のために、でっち上げでもいいからとにかく犯人を特定する、という手段が選好されたわけだ。「個」よりも「公」のほうが優遇されていたのである。だから被差別者というのは、このような事態に備えて、人身御供とするためにあらかじめ共同体内に組み込まれていた存在だということができる。被差別者は、秩序維持の供物として生み出されたのである。
上に引用した木内勇吉の話は明治の出来事だが、前近代の習慣を引きずっていることが見て取れる。このような態度が、「信じたいものだけ信じる」ポスト・トゥルースと親和的であることは明瞭である。
そう、人類は21世紀に入ってから急激に偏向的になったのではない。もともと客観的な証拠を信じるということが稀だったのだ。木内の話は放火事件に関する例だが、このような犯罪行為に限らず、様々な局面で客観性を重視しない態度は見られたはずである。
では、客観的な証拠を信じるという態度・習慣はどのようにして定着したのか。それは、先程述べたように、写真や動画といった映像技術の確立が大きく寄与している。そう、「映像の世紀」と呼ばれた20世紀に客観的な物証は生まれ、人々はそれに基づいて考え、かつ行動するようになったのである。


そもそも映像とは、パースペクティブという西洋近代の礎となった発想の完成形だった。特定の狭い共同体の中の文脈の理解を経なければ共有は不可能である実空間=三次元の体験に対し一度それを二次元に焼き直すことで、つまり虚構化することで共有可能なものに整理する思想の究極形――もっとも人間を受動的にするもの――が映像という装置であり、映像メディアというものが生まれたことによって今までにない規模で社会というものを運営することができるようになっていったのが20世紀という「映像の世紀」だった。
(宇野常寛『母性のディストピア』集英社)


「映像の世紀」が訪れるまで、人類は、「物証に基づく客観的な証拠」に触れることができなかった。もし、真実というものが「物証に基づく客観的な証拠」によって規定されるとするならば、人類は20世紀まで真実を知らなかった、ということになる。もちろん真実と呼ばれる考え方はあったわけだが、そこでは「厳密な証拠がない場合はもっともらしい人物を犯人に仕立て上げる」手段が真実を構成していた。
これは、真実の定義が20世紀とそれ以前では違っていた、と言うこともできるし、現代の我々が定義する「物証に基づく客観的な証拠」だけが真実なのだとすれば、映像の世紀以前は真実よりも秩序維持のほうが重要と判断されていた、ということになるだろう。
ここまでの議論をまとめると、21世紀の現在が「ポスト・トゥルースの時代」で、映像の世紀と呼ばれた20世紀が「トゥルースの時代」、そしてそれ以前、人類の誕生から19世紀までが「プレ・トゥルースの時代」ということになる。(ただし、厳密には20世紀が最初から最後まで映像の世紀であったというわけではない。ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールがダゲレオタイプを発表したのが1839年。リュミエール兄弟のシネマトグラフによる世界初の映画『工場の出口』の公開が1895年である。写真と動画の発明には時間差があるし、発明から普及までにはいくらか時間がかかることを考慮すると、写真が一般化するのは19世紀中葉で、動画の一般化は20世紀に入ってしばらくしてからということになる。また、すぐあとに述べる理由によって、20世紀の終盤にはすでに映像の世紀は過ぎ去っていたことになる。そのため、20世紀がまるまる映像の世紀と言うことはできないのだが、ここでは議論をわかりやすくするために「20世紀=映像の世紀=トゥルースの時代」と定義させていただく)
客観的な証拠(あるいは情報)を重視しないという点において、「ポスト・トゥルースの時代」と「プレ・トゥルースの時代」は相似している。「人類は21世紀になって急激に馬鹿になったわけではない」というのは、そういうことである。
ただし、近代以前は宗教の力が強かった時代でもあるため、神や宗教の教義や宗教者が部分的に客観性を担っていた、という面もある。なので、「プレ・トゥルースの時代」には主観しかなかった、というわけではない。「ポスト・トゥルースの時代」と「プレ・トゥルースの時代」には、宗教的影響力の有無という差異がある。宗教的影響力が希薄なぶん「ポスト・トゥルースの時代」のほうが主観が強くなる、と言えるだろう。
そもそも人間は、自分にとって都合のいい話を選好する傾向がある。どんなに客観的・中立的であろうと心掛けていたとしても、そのような心の動きが兆してしまうのは、いかんともしがたい人間心理なのである。
人間心理がかように自己中心的に編成されているとするならば、人が「信じたいものだけを信じる」のもごく当然の成り行きである。だから、「トゥルースの時代=20世紀」は、映像技術によって確立された客観的な物証によって、自分にとって都合のいいことばかりを信じがちな心的傾向を、なんとか押さえつけることに成功していた例外的な時代だった、ということになるだろう。そうしてみると、20世紀が人類の歴史の中で極めて特異な時代であったことがわかる。

(後編に続く)
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