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カネとは何かね?・前編

2015-11-23 22:19:05 | 雑文
親方日の丸を批判する定型句に、
「元はと言えば私達の税金」
という言葉がある。
金の使い方にムダや不正があったとみられる時に発せられるわけだが、この言葉は、部分的にしか正しくない。
というのも、お金というのは、いろんなところを循環しているもので、税金というのは、国の予算の一歩手前の段階でしかないからだ。
「元はと言えば私達の税金」と言うと、なんだかそれが起源の様に聞こえるが、常に循環をし続けるお金には、そもそも起源がない。
強いて起源を言うなら、日本銀行、ひいては日本国がそれに当たる。
さて、絶えず循環しているお金であるが、人の手から人の手に渡るとき、モノやサービスを生み出している。つまりはこれが“経済活動”というやつなのだが、この働きにおいて、事実誤認がよく生じる。
経済を駆動するこのお金の働きは、なかなか魔法じみている所があり、それゆえ、人はお金そのものに価値がある、と錯覚してしまう。しかし、よく言われているように、お金そのものには価値がない。価値があるのは、お金が動かしているモノやサービスのほうであり、お金は、それらを媒介する事物でしかない。
この、魔法のような働きと、本来モノやサービスに備わっている価値が、お金に由来するという錯覚が相まって、一種の物神崇拝が起きる。お金それ自体に価値があるのだ、と。
「将来のため」といった、実質的な理由がないにも関わらず貯金をする、という行為、貯めることそれ自体を目的とした貯金は、おもにこの誤解が元になっている。
それでは、本来なんの価値もないお金が、モノやサービスの媒体として機能するのはどうしてか。いわばただの紙切れでしかない物が、取引の手段として、人々に承認されているのはなぜなのか。
経済学者の岩井克人は『貨幣論』の中で、お金が持つその効力について述べ、「貨幣は貨幣であるから貨幣なのである」という言葉にまとめている。
これは、貨幣が貨幣として流通しているという事実、人々が、貨幣を貨幣として認めているという事実こそが、貨幣を貨幣たらしめている、ということであるらしい。人々が、貨幣を貨幣として承認している、その点こそが、貨幣の成立条件である、と。
小生はこれを読んで、
「でもそれだけじゃなくてさ、国家、もしくはそれに準ずる組織といった、貨幣を担保する存在も必要なんじゃない?」
と思った。
しかし、そうではなかった。
度重なる内戦により、無政府状態に陥ったアフリカのソマリアで、偶然発生した経済状況は、驚くべきものであった。


現ソマリアは「経済学の実験室」と一部で呼ばれている。経済学の常識を超えた現象があちこちで展開しているからだ。その代表がソマリア・シリングだ。
旧ソマリア時代に発行されていたこの紙幣は、二十年間、中央銀行が存在しないにもかかわらず、今でも共通通貨として一般の人々に利用されている。
(中略)
一時は隣のケニアやエチオピアの紙幣も少し使われたことがあったらしいが、結局、「こんなカネはなじみがない」ということで廃れ、誰もがなじみのあるソマリア・シリングに落ち着いてしまった。
それだけではない。無政府状態になり、中央銀行もなくなってから、シリングはインフレ率が下がり、安定するようになった。なぜなら、中央銀行が新しい札を刷らなくなったからだ。
(中略)
その結果、シリングは普通に政府が機能している周辺国の通貨より強くなってしまった。(中略)
つまり、無政府になってからシリングは強く安定した通貨となったというわけで、経済学の常識を軽くひっくり返してしまったのだ。
(高野秀行『謎の独立国家ソマリランド』本の雑誌社)


無政府状態においても貨幣は流通しうる!
岩井の説は正しかったわけだ。
よく考えてみれば、政府とか中央銀行が存在しない原始社会においても、貨幣はやり取りされているもんな。貨幣がその効力を失うのは、国が滅びるときではなく、人々が「これはただの紙切れだ」と認識する時、というわけだ。

(後編に続く)


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ジャンル:
経済
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