コメント
不可能性
(
Unknown
)
2006-03-29 21:24:59
怒濤の更新お疲れ様です
「反日」と「侮日」は相互にリンクして他方を強化し続けるサイクルに入って中国人自身に掣肘の可能性を失ってる気がするんですがいかがなもんでしょうか。
あの国では言論や観念による反省熟慮の代わりに人間の血肉が飛び散るわけで、あまりの命の価値の低さに言葉の価値を成形しえない構造になってるのではないかと思うしだいです。
そういえば
(
毛熊
)
2006-03-29 21:29:54
そういえば、中共のスポークスマンで6.4の後に袁木という貧農顔の男がいましたね。
あのときも鉄火面振りには笑いましたが、今どうしているやら。
あなご孔泉も20年後はどうしているかは神のみぞ知るでしょうか。
でも、中共という漢民族が主宰する官場ではあのような鉄火面振りを発揮することが処世の重要な手段なんでしょうね。
すみません、北海道は大雪で雪かきで疲れたのでくだらないことを書いてしまいました。
Unknown
(
御家人
)
2006-03-29 23:06:26
>>Unknownさん
>「反日」と「侮日」は相互にリンクして他方を強化し続けるサイクルに入って中国人自身に掣肘の可能性を
>失ってる気がするんですがいかがなもんでしょうか。
現在はそうかも知れません。それこそ「愛国主義教育」の影響で、江沢民の負の遺産だと思います。でも、僅々約15年前の中国に「反日」という意識は希薄でした。タクシーに乗っても運転手は歴史問題を持ち出したりはせず、中共の悪口ばかり聞かされたものです。当時、現地で個人的に「反日」「侮日」で不愉快な思いをしたことはほとんどありません。
ただ、この「中共の悪口」とか「戦後の復興度を比べたら中国と日本の差は歴然だ」という認識や危機感が変形した「侮日」だったのではないかと思っています。そうした危機感が1989年の民主化運動や天安門事件という形で噴出し、国際的にも共産党政権の崩壊が相次いだことで反日風味満点の「愛国主義教育」の導入となる訳です。そして中国人の民度の退化が始まることになります。
>>毛熊さん
雪かきお疲れ様です。袁木、懐かしいですね。ちょうどそのころ私は中国にいました。天安門事件による国民の動揺を力づくで抑え込むために起用されたワンポイントリリーフ、という印象が袁木にはありました。でも国民は軍隊による武力鎮圧の事実を知っていましたから、袁木というか、袁木に国民を舐めた喋り方をさせた中共政権に対する反感が募るばかり。親分筋の李鵬共々、ある意味「官」と「民」の対立を体現した最初の人物かも知れません。
で、袁木程度では役に立たないということで、結局は「愛国主義教育」で国民の目先を「反日」へと逸らすというパワープレイに出ることになります。そして中国人の民度の退化が(ry
そうですね…
(
kyouji
)
2006-03-30 01:10:32
狭量なナショナリズムって、今、その日の生活が大変な時より、生活が豊かになって来た時に、強く出てくると思うんですね。
中共が豊かになってる事がきっかけと言うか、土台になって支えているのかもしれませんね。
中共の代弁者
(
オヤジ(tyujhg)
)
2006-03-30 08:51:29
朝日新聞の啄木鳥氏による「日中関係」分析(
http://www.asahi.com/business/column/TKY200603290276.html
)では、「日中間のまともな外交ができていない原因の大宗は我が国の政治家にある」そうです。
まあ、なんというか、今頃になって、まだそんなことを言ってるのですか・・・という感じです。(苦笑)
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「反日」と「侮日」は相互にリンクして他方を強化し続けるサイクルに入って中国人自身に掣肘の可能性を失ってる気がするんですがいかがなもんでしょうか。
あの国では言論や観念による反省熟慮の代わりに人間の血肉が飛び散るわけで、あまりの命の価値の低さに言葉の価値を成形しえない構造になってるのではないかと思うしだいです。
あのときも鉄火面振りには笑いましたが、今どうしているやら。
あなご孔泉も20年後はどうしているかは神のみぞ知るでしょうか。
でも、中共という漢民族が主宰する官場ではあのような鉄火面振りを発揮することが処世の重要な手段なんでしょうね。
すみません、北海道は大雪で雪かきで疲れたのでくだらないことを書いてしまいました。
>「反日」と「侮日」は相互にリンクして他方を強化し続けるサイクルに入って中国人自身に掣肘の可能性を
>失ってる気がするんですがいかがなもんでしょうか。
現在はそうかも知れません。それこそ「愛国主義教育」の影響で、江沢民の負の遺産だと思います。でも、僅々約15年前の中国に「反日」という意識は希薄でした。タクシーに乗っても運転手は歴史問題を持ち出したりはせず、中共の悪口ばかり聞かされたものです。当時、現地で個人的に「反日」「侮日」で不愉快な思いをしたことはほとんどありません。
ただ、この「中共の悪口」とか「戦後の復興度を比べたら中国と日本の差は歴然だ」という認識や危機感が変形した「侮日」だったのではないかと思っています。そうした危機感が1989年の民主化運動や天安門事件という形で噴出し、国際的にも共産党政権の崩壊が相次いだことで反日風味満点の「愛国主義教育」の導入となる訳です。そして中国人の民度の退化が始まることになります。
>>毛熊さん
雪かきお疲れ様です。袁木、懐かしいですね。ちょうどそのころ私は中国にいました。天安門事件による国民の動揺を力づくで抑え込むために起用されたワンポイントリリーフ、という印象が袁木にはありました。でも国民は軍隊による武力鎮圧の事実を知っていましたから、袁木というか、袁木に国民を舐めた喋り方をさせた中共政権に対する反感が募るばかり。親分筋の李鵬共々、ある意味「官」と「民」の対立を体現した最初の人物かも知れません。
で、袁木程度では役に立たないということで、結局は「愛国主義教育」で国民の目先を「反日」へと逸らすというパワープレイに出ることになります。そして中国人の民度の退化が(ry
中共が豊かになってる事がきっかけと言うか、土台になって支えているのかもしれませんね。
まあ、なんというか、今頃になって、まだそんなことを言ってるのですか・・・という感じです。(苦笑)
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