今日は、ゴジラパパの誕生日でした。
BirthdaySongを歌ったのですが、パパは疲れて寝ていました
夕方にはゴジラの妻がケーキを買って持っていったようで、ロウソクをさして誕生
日を祝ったそうです
今日はお昼から車椅子に乗せてもらい、病院前まで散歩をしました。外は結構寒かったのですが、ゴジラパパは無関心といった感じでした。それでも、外の空気のおいしさを感じてもらえたのではないかと思っています。
ゴジラパパの意識レベルとしては、まだまだ不十分な部分が多く、例えば横で原チャのエンジン音がしても反応は示しません。声かけにも反応する時としない時があります。
それでも、接している中で、声にも反応を示しやすい音域や言葉があるように感じています。
また、左手は比較的よく動くので、経管栄養を抜いたりしないよう手袋をはめているのですが、その手袋に手を入れる一連の動きを理解しているように感じることがあります。
手袋をはめ始めた頃は、嫌がってか慣れていないためか、手を入れるのにすごく時間を要しました。しかし、毎日面会時には手袋を外し、私達が帰る時には手袋をはめるという動作を繰り返していると、スッと手をいれてくれるようになったのです。
これは、少し以前から感じてはいましたが、音の反応とを関連付けて考えると、何か慣れ親しんだ事には順応しているように思います。言い方を変えれば、繰り返し行動をすることで、脳に新しい回路が構築されているんだろうと。
この推測が当たっているとしたら、益々何か出来ることを繰り返し続ける事で、新しい脳の回路を順に増やしていくことでゴジラパパの可能性が広がる。だから、簡単なリハビリは開始しなくてはと感じました。
リハビリというと、どうしても意思疎通の可能な方に向けてのプログラムが中心のように感じます。昨日も書きましたが、書籍やビデオにしても然り。病院のリハビリ科にしても然り。
それでも、リハビリとして紹介されている事やプログラムに参加するだけがリハビリではなくて、回復する過程がリハビリなんだろうな…と。そんなことを考えたりしていました。