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埼玉県比企郡嵐山町地域史誌アーカイブ

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文人町長・関根茂章氏

2008-12-16 11:16:00 | 千手堂

1925年(大正14)9月8日、菅谷村千手堂に生まれる。2008年(平成20)11月11日永眠。行年八十四歳。熊谷農学校・三重高等農林・九州帝国大学農学部卒業。1952年(昭和27)第一回日本農村青壮年米国派遣により半年間、アメリカで農業研修(http://blog.goo.ne.jp/rekisibukai/e/a896b4528591e09c728ecdaa1625964b)。1964年(昭和39)菅谷村長当選。1967年(昭和42)町制施行され、1984年9月まで、連続五期嵐山町長http://blog.livedoor.jp/rekisibukai/archives/636622.html。1985年(昭和60)から八年間、埼玉県教育委員・委員長を歴任。1994年(平成6)から2001年(平成13)まで財団法人郷学研修所・安岡正篤記念館所長。

  どこの郷村にも、有名無名の先覚者がいる。いつの時代も、必ず誰かが、人々の幸せを祈り、その実現に努力してきた。人々は、その徳を頌(たた)え、あるいは口伝し、あるいは一書をなして石に刻す。しかし、それらは一世代三十年もすると、大抵は忘れ去られ、碑は憮然と屹立(きつりつ)している感がある。
  真の郷土の振興は、先人の遺風・業績を、
新たに掘り起こすことから始まる。過去を継承せずして、健全な未来の創造はあり得ない
                    関根茂章『師父列伝 わが内なる師父たち』(邑心文庫)より

  文人町長
 畠山重忠の故地・比企郡嵐山町の町長に現職の関根茂章(もしょう)氏(五四)が五選された。
 「初めて旧菅谷村長に当選したときから、文化的な田園都市構想をつくるというのが私のモットー。五期目の町政では、それをさらに推し進め、個性にあった町づくりで八〇年代に挑戦しなければ」と語る。
 これまでも、文化や教育を町政の基本にしてきた。その「結実」として自慢なのが、五十二年(1977)十一月開通した国道254バイパス沿いにできた国立婦人教育会館、県立歴史資料館、大妻女子大学嵐山女子高等学校、初めて同町を訪れた人は「田園地帯にこんな施設……」と驚く。
 同町千手堂農家の生まれ。九州大学で農業土木学を学び、故郷で農業を始めた。国からアメリカに派遣され、半年間、農業を研修したこともある。旧菅谷村教育委員長などを歴任して、昭和三十九年(1964)、同村長に初当選。選挙を体験したのはこのとき一度きりで、その後は今回を含め連続四期無投票当選である。
 学生のころから短歌をたしなむ。たとえば、五十一年(1976)、新自由クラブ発足にあたり
     政(まつり)ごと匡(ただ)さんものと愚直にも
          あかき没日(いりひ)を負ひて起ちたる
 「没日」は自民党の象徴のつもりだったという。万葉集と会津八一を好み、これまでにまとめた私家版の歌集が五冊。郷土研究や旅行記をつづり、小冊子にまとめたこともある。
 「四期やっても、まだやり残したものがたくさんある。下水道など生活環境基盤の整備もそれです」
 緑豊かな地の嵐山町にも、いま、宅地化の波は寄せ始めている。文人町長、腕の見せどころである。
     『朝日新聞』1980年(昭和55)9月3日

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