おかあちゃん(高齢者のガン)私のオッパイ(石灰化)??? とワン子

2006年8月母は肺がんと診断される。完治目的の定位放射線治療を受ける。

少し食べられるように

2008年02月21日 04時20分05秒 | 母の事(肺がん) そして絆
母は土曜日からまったく食べていなかった。
水を少し飲もうとしても受け付けず吐いてしまった。
私は後悔とも何とも言えない感情に捕らわれた。
抗がん剤を考え、嫌がる母を説得して始めた。
こんなに苦しんでいる母を見ているとこれは間違いではなかったのか。
でも、これ以外に方法はあったのか。
このままだと、数ヶ月と言われて放っては措けなかった。
しかしこの苦しみを見ていると…

母が食べられなくなって3日目の火曜日。
お腹が痛いと言い出した。我慢強い母がこの苦しみは。
私は母のお腹をさすり続けた。看護師は聞いてきますと言ったまま戻ってこない。
寝てジッとしているのも出来ないくらいだった。
私はベットに座り母を後ろ向けに抱きお腹をさすった。
苦しむ母を抱きながら「何とかしてよ。」と言った。

若い先生が来て、腹を押さえたりしたがすぐに戻っていった。
しばらくして看護師が点滴を足しにきた。それは何かと聞いたら痛みどめだと言った。
すぐには効きませんから。と言った。
長く時間が感じられた。「少しはマシになった。」と聞くと
「1割くらい」と母が言う。それでも良かったと思った。
面会時間ぎりぎりまでいた。その時にも聞いた。
やっぱり1割よりちょっとだけマシだと言う。
心配だが看護師に後を頼んで帰った。

4日目の水曜日
朝から散らし寿司を作った。と言っても瓶入りを混ぜるだけのものだ。
ちりめん山椒を作った。鮭を焼き、伏見とうがらしを焼いてしょうゆに絡めた。
それにサツマイモ。を弁当箱の2段目に入れた。
散らし寿司は下に入れた。
何も口にしない母に看護師が何かを持ってきてあげて下さい。と言ったから。
母は病院に着くと昼にかゆを食べた。と言った。
「良かったな。少しでも食べられるようになって。」
母も嬉しそうに笑った。久しぶりの母の笑顔。
弁当を広げた。他に千枚漬けを持ってきた。
それをおいしいと食べた。
だけど夕飯に私がみんな食べた。母は夕飯におかゆを半分。買ってきたのりの佃煮で食べた。
病院だけど、2人で食事が出来た。私には嬉しい日になった。
これからの治療を考えると不安も沢山あるけれど頑張れる気がした。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 母が入院 | トップ | 病院でのおかあちゃん »
最新の画像もっと見る