7月22日は
下駄の日と書かれてます
このごろは下駄を履く事もなくなりましたが
むかし、子供のころ常用の時期がありました
わら草履が普通の履物の時代でした
一時ゴム草履が流行ったこともありましたが
足が冷えるのであまり喜ばれなかったようです
小学校三年のころから下駄を好んで履きました
焼き杉で出来たのが好きでした
勝は杉の下駄があったら何にも要らんのよ
と言われたものです
小四の時に体育の時間か遊び時間かに
ボール蹴りをしてて、ボールを蹴らずに
村藤先生の足を蹴ったことがあった
さぞ痛かったやろうと思います スミマセンです
小四担任は最初は上田先生だったのが
途中で病気になり交代したのでした
この上田先生には竹で出来た新聞ばさみで
たたかれて泣いた事が忘れられないねえ
何故だったのかは思い出せないが、、、
この二件は忘れがたい出来事なので
以前にも書いたかもしれないです
杉下駄をいつまで履いてたのかも忘れた
わら草履も下駄も雨の日にはハネを上げて
ズボンの裾をよく汚した物です
歩くのにコツがあって、かかとを最初に
地につけてなどと言うんだけど子供は
そんなこと守られへんわなあ、、、
高校では桐の高下駄が常用でした
歯が減ると差し替えて鼻緒が切れたら
付け替え長期間使いましたが
高校二年になるころ何でか忘れたが
高下駄を止めたような気がする
何でやったんかなあ?
まだ、バンカラが残ってた時代で
帽子(高校生は制帽があった)は
靴墨などを塗りつけてカパカパにするのが
流行の時代です(一部の生徒)
帽子の白線が南高は無し、東高は二本
吉高は三本線でした
革靴は校則で禁止でしたねえ
もっと大昔は下駄は歯が一本だったとか
山道を歩くのに便利なのと地面に付く
面積が広いほど虫などを踏み殺す事が
多いのでそうだったとか
京都清水寺にある、あの弁慶の鉄下駄は
歯が一本のようですよ