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2014年01月29日 | ノンジャンル
朝日新聞が発行135年を機に
夕刊記事の形態が少し変わった

大阪の友達から大阪版の記事で問い合わせがあった
こちらは名古屋版なので別記事です

名古屋版




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大阪版






記事内容

関西@まち町街)技ありシニア起業 社長87歳、社員は平均66歳 東大阪【大阪】
 
2014年01月27日 大阪 夕刊 

 社長87歳、社員の平均年齢66歳のベンチャー企業が大阪府東大阪市にある。社長をはじめ大半が松下電器産業(現パナソニック)OBのポンプメーカーだ。強みは技術力。いま再生医療向け製品の開発に挑んでいる。「医療は未知の世界。ワクワクする」とトップの意欲は衰えそうにない。


 「こういう目新しいものを見ると技術屋は質問したくなる。だから僕が説明に行くんです」。アクアテックの社長玉川長雄さん(87)は開発中の「マイクロボールポンプ」を動かし、目尻を下げる。29日から東京で開かれる展示会で自社ブースに立つつもりだ。


 ●再生医療に

 説明するのは、再生医療の細胞培養向けポンプ。チューブ内の直径2ミリのボールを磁力で回し、極めて少量の細胞培養液を装置に送り込むことができる。まだ試作品の段階だが、再生医療に取り組む大学が注目している。50代の後継者も育ちつつある。

 玉川さんは浜松市生まれ。「浜松にはチャレンジ精神の旺盛な人が多い。ヤマハ発動機やスズキなどもある。そこで育ったせいですかね」。2階建て社屋のあちこちに「やらまいか」(やってみよう)という自身の揮毫(きごう)が掲げてある。

 1948年に松下電工に入り、しばらくして松下電器に転じた。オーディオ部門が長く、松下が初めて製品化したダイレクトドライブ方式のレコードプレーヤーの開発にも加わった。松下を創業した松下幸之助氏への説明役を務めたことも。「とにかく話を聞き出すのがうまい方でしたね」

 86年、大阪府門真市にあったプレーヤー工場長などを務めて定年を迎えた。


 ●日米で特許

 「胃カメラの洗浄時間を短くしてくれ」。定年後、技術顧問に迎えられた会社で相談を受けた。当時、洗浄には2時間かかった。それを5分に短縮してほしいという。構造は解明できたが、洗浄液を送り出す適当なポンプがなかった。

 技術者魂に火がついた。「ないものは自分たちでつくろう」とチューブ式ポンプの開発を始めた。従来品はチューブ内の液体を複数のローラーで圧迫するためチューブの寿命が短かった。そこで、タイヤのような輪を軸が偏るローターで回し、圧迫位置を移動させて液体を送る仕組みを思いついた。小型化に成功し、日米で特許を取得した。

 この「リングポンプ」がなければアクアテックの誕生はなかった。97年、71歳のときに退職金を元手に妻の邦子さん(75)と起業。試作品を持って全国を歩き回った。病気で入院した際も、ベッドで設計図を書いていて、看護師から「何をやっているんですか。ここは病院ですよ」とたしなめられた。

 ポンプは洗車機、食洗機、浄水器、カップコーヒー自販機、人工透析器などに使われている。次の目標は成長産業の医療分野。神戸・ポートアイランドの医療産業都市にもオフィスを構えた。


 ●15人が松下OB

 新たな挑戦を支えるのが23人の社員。うち15人は松下OBだ。多くが「新たな製品を開発する楽しさが忘れられない」と集まった。日本の高度成長、松下の成長を支えた世代だ。

 製造担当の岡秀男さん(72)は松下時代、経理担当。定年後、趣味の写真撮影に出かけた万博公園で、同じ趣味の玉川さんと会った。「遊んでるんなら手伝えや」と声をかけられ、奥さんには「声がかかるうちが花やで」と言われた。副社長で技術担当の杉原隆之さん(71)は61年に松下に入ったときの上司が玉川さんだった。「広島県福山市から出てきて、何も分からんころに面倒見てもろた」

 多くの製造業は次の事業の柱を模索している。「部品を組み立ててメシが食える時代は終わった。よそにはないコア技術を持ち、育てていかないと」と玉川さん。60余年の技術者人生の思いだ。(編集委員・多賀谷克彦)


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