最近、エムが口を開くたびに可笑しいです。実に惜しいことに、そのほとんどを書きとめることができない。
なぜかというと、ぼくが日本語、というか、言葉というものをすっかり習得してしまっているからです。先日、「むらさきがーど」という言葉を書きとめましたが、それはぼくが言葉として知っている「むらさき(=紫、村崎など)」と「がーど(=ガード、Guard)」の複合語として「翻訳」してしまっているからです。本当はもっと別のものを指す何かだったかもしれませんが、36年言葉の世界で生きてきたぼくにはもはや捉えきれない音の連なりだったはずです。
今日もその類の「言葉」を朝から連発しています。そのときは覚えられるんですが、5分もたつとまったく思い出せない。過ぎていく1分1秒が惜しい。
そういう未知の言葉でなく、知っている言葉ばかりなのに通常の頭では理解できないものもあります。
さっき、線路わきの空き地に自転車が転がっているのを見ました。
線路の向こうには立派なこいのぼりが、5月も半ばだというのに元気よく泳いでいます。
エムはその自転車がなぜそのような姿でそこにあるのか、自分なりの物語を作り上げたようで、滔々と語り始めました。
その語り口を再現できない自分の無能さを歯がゆく思いながら書きましょう。
おくへおくへいって、電車にぶつかって、こいのぼりにぶつかって、ずうーっとまわって電車にぶつかって、こいのぼり。おくへいって。こいのぼりにぶつかって、あっちかなあ。こっちかなあ。きっとむこうやで。おくへおくへ。電車とー、こいのぼりとー、さあーってぶつかって…
この自信に満ちた語り方。
身振り手振りも加えながら延々と語り続けます。
もちろんエムだけではなく、のんちゃんもこの手の話は得意です。
従妹の息子、今は小学生ですが、ほんの2年ほど前は、父親が「わからないことばかりですわ」と苦笑していたものでした。
こんな物語を聞けるのは、あとどれくらいだろう。
なぜかというと、ぼくが日本語、というか、言葉というものをすっかり習得してしまっているからです。先日、「むらさきがーど」という言葉を書きとめましたが、それはぼくが言葉として知っている「むらさき(=紫、村崎など)」と「がーど(=ガード、Guard)」の複合語として「翻訳」してしまっているからです。本当はもっと別のものを指す何かだったかもしれませんが、36年言葉の世界で生きてきたぼくにはもはや捉えきれない音の連なりだったはずです。
今日もその類の「言葉」を朝から連発しています。そのときは覚えられるんですが、5分もたつとまったく思い出せない。過ぎていく1分1秒が惜しい。
そういう未知の言葉でなく、知っている言葉ばかりなのに通常の頭では理解できないものもあります。
さっき、線路わきの空き地に自転車が転がっているのを見ました。
線路の向こうには立派なこいのぼりが、5月も半ばだというのに元気よく泳いでいます。
エムはその自転車がなぜそのような姿でそこにあるのか、自分なりの物語を作り上げたようで、滔々と語り始めました。
その語り口を再現できない自分の無能さを歯がゆく思いながら書きましょう。
おくへおくへいって、電車にぶつかって、こいのぼりにぶつかって、ずうーっとまわって電車にぶつかって、こいのぼり。おくへいって。こいのぼりにぶつかって、あっちかなあ。こっちかなあ。きっとむこうやで。おくへおくへ。電車とー、こいのぼりとー、さあーってぶつかって…
この自信に満ちた語り方。
身振り手振りも加えながら延々と語り続けます。
もちろんエムだけではなく、のんちゃんもこの手の話は得意です。
従妹の息子、今は小学生ですが、ほんの2年ほど前は、父親が「わからないことばかりですわ」と苦笑していたものでした。
こんな物語を聞けるのは、あとどれくらいだろう。
よかったね。またね。