花園大社会福祉学部の藤井渉准教授(39)がこのほど、戦時中からの「障害者」の概念の変遷をまとめた本を出版した。徴兵制度や社会保障がつくられた過程を調べ、「戦力としての国民のランク付け」がされて障害者が「戦力」から排除されてきた歴史を明らかにした。「国家の役に立つかどうかの視点が、コスト面での国民のふるい分けとなり、『優生思想』にもつながった。その考えは今の福祉制度にも残っている」と指摘する。
1889(明治22)年の新徴兵令から始まった「甲、乙、丙、丁」の分類では、戦力になれるかの視点で障害の機能が細かく分類され、不合格の「丁」の多くは障害者だったという。戦争が激しくなると兵士増強を図り、「国民体力法」が制定された。兵士になれそうな人は医療を受けられたが、「精神や知的、先天性の障害者は排除され、断種につながった。社会保険も適用されない場合があり、二重のふるい分けを受けていた」と説明している。
藤井准教授は学生時代に障害者の旅行を支援するNPOを立ち上げたり、知的障害者施設で働いたりした中で、「障害者が社会から排除されていると感じ、疑問に持つようになった」。小学3年の時にナチスの強制収容所を見学し「ガス室の壁に残されていた爪痕が忘れられない。戦争の爪痕を伝えたい」との思いも長年抱き、龍谷大大学院から戦時中の障害者福祉の研究を続けている。
戦後の福祉制度の障害者の概念は、戦時の労災保険や年金保険を参考につくられているといい、「『障害者が国や社会の役に立つか』という論理は、形を変えて引き継がれている」と語る。2016年7月、相模原市の知的障害者施設で45人が殺傷される事件が起こった。「今も残る『障害者はコスト』という考えが、事件につながっているのではないか」と警告する。
著作「障害とは何か 戦力ならざる者の戦争と福祉」は212ページ。4860円。法律文化社。