ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

ADHDの元教員で自閉っ子の母親が気付いたこと

2019年06月26日 11時54分52秒 | 障害者の自立

 私が教員だったころに勤務していた地域では、給食費がまだ現金で集められており、クラス担任が管理していた。あるとき、私の数え間違いにより、全校の教員を招集してお金を数え直さなければいけない事態に陥った。多忙な教員たちの時間を奪ってしまった、その原因が自分であると判明したあの瞬間の、背筋がゾッと凍るような思いは今も忘れられない。そういうケアレスミスがしょっちゅうだった。

「できる自分像」に憧れ「助けて」と言えなかった

 さて、私には自閉症のある息子がいる。現在小学2年生で特別支援級に在籍している。

 教員をしていた私は、職業柄多少なりとも発達障害についての知識があり、彼の特性には割と早い段階で気が付いていた。そして、2歳で診断を受けたときにも、不安はもちろんあったのだが、「なんでうちの子が!?」といった絶望感のようなものはなかった。これまでに一緒に学んだ、個性豊かな子どもたちの輝きを知っていたからである。

 息子との日々を過ごすまで、私はなかなか人に「手伝って」「助けて」ということができなかった。今振り返って思えば、「できる自分像」みたいなものに憧れていたからかもしれない。または、仕事をバリバリすることで、人様から認められたかったのかもしれない。いずれにせよ、できないことは恥であるような気がしていた。教壇に立って、子どもたちに「失敗してもいいんだよ。」と言いながら、自分自身にはそんなふうに思えないという矛盾を抱えていた。

 

 しかし、息子と共に過ごし、療育施設での障害を抱える子どもたちとの出会いを通して、そんな自分の価値観は変わっていった。子どもたちと過ごす中で、何かができることとその人の幸福感は、必ずしもイコールではないと感じるようになったのだ。

 できないことがあってもいい。必要なのは、「人と比べてできないことを嘆くこと」ではなく、その人に合った「工夫」を見つけ、前進していくことなのだ。急な予定変更が苦手な息子が、手順表を使うように。私が数え間違い防止のために、ダブルチェックをお願いするようになったように。

障害を開示して職場復帰

 産前の職場では度重なる失敗で同僚の教員から信頼を失い、うつ状態で産休に入った。そんな私にとって、育休から復職することは恐怖でしかなかった。

 しかし、息子との日々のおかげで、できないだらけの自分を隠さずにもう一度やってみようと思えるようになった。そして復職後、職場の教員たちにも、子どもたちにも自分の苦手なことについて伝えて、様々な場面で助けてもらいながら教員として最後の1年を過ごすことができた。

 毎日記名したポーチに貴重品を入れて首からぶら下げ、自分なりに工夫を重ねながら働いた。その年、充実した日々を過ごせたのは、もちろん周囲の理解があってのことだったが、自分ができない自分を責めるのでなく、どうやって工夫すればよいかを考えるようになったことも、大きかったのではないかと思う。その1年でたくさんの方から自信をもらった私は「得意を追求して仕事をしていきたい」と考えるようになり、退職してフリーランスになった。

 

 教員生活の中で出会った子どもたちには、一人ひとりとの思い出があるが、その中でもひときわ印象に残っているのは、ある年に受け持ったクラスの男の子だ。

 彼は、他害や飛び出しといった行動はなく、45分の授業を着席で過ごすことができた。しかし学習について、こちらが言っていることの理解が難しい場面もあった。意欲的に発表してくれる場面もあったが、会話のやり取りが成立していないことも。

 彼が心の底から「わかった!」「楽しい!」と思って学べた時間が、いったいどのくらいあっただろう。個別の課題を作成したこともあったが、自分の力不足で、毎時間そのように課題を調整し、フォローしていくということができなかった。45分の授業を1日4コマ、5コマ……。理解の難しい授業の中で、そこに居続けることに、彼の貴重な人生の時間が費やされた。私にできることがもっとあったはずだという思いが、今も残っている。

一人も見捨てない教育『学び合い』

 そんな思いを抱える中で出会ったのが、『学び合い』というインクルーシブ教育だ。これに関した書籍は現在50冊以上が出版されている。そのうちの一つを読み、障害の有無にかかわらずみんなが一緒に学べるという内容を読んだとき、私ができたはずのことが、ここにあるのかもしれないと感じた。そして、退職後すぐに、この教育を提唱している上越教育大学の西川純教授の研究室を訪問した。

 私が知りたいのはただ一点。「みんなで一緒に学べる」というのは、本当に「みんな」なのか、重度の障害を持つ子どもたちも含まれているのか、ということだった。

 この授業は、教員は課題を提示するのみで、子ども同士が教え合って課題達成を目指す。ルールは一つだけある。「一人も見捨てないで」課題達成を目指すというものだ。すなわち、障害のある子も、勉強が苦手な子も、「全員で」ということがポイントになる。障害のある子どもにとって、その課題のハードルが高すぎる場合にも、子どもたちが主体的に検討し、絶妙な設定の課題を考え出し、教員に提案したという事例を教えてもらった。

 

 この教育は、弱者だけにメリットがあるわけでない。ビジネスシーンで取り上げられることの多い、「2・6・2の法則」がある。集団は上位層2割、中間層6割、下位層2割で構成されるという論だ。仮に下位層の2割がいなくなったとしても、残った集団の中でまた2・6・2という構成になる。つまり、障害のある人を切り捨てるような社会は、次の弱者も切り捨てる可能性があるということだ。

 トカゲのしっぽきりは永遠に終わらない。「いつ自分が切られるかわからない、そんな社会で、あなたは安心して暮らせますか?」ということなのだと思う。一人を切る集団は、その次の一人も切る集団となり得る。「一人も見捨てない」を目指すことは、みんなにとって安心な場所であることを意味するのだ。

 さらに、障害を含め、世の中にはいろいろな人がいて、自分の当たり前はその人にとっての当たり前ではないということ、その中で折り合いをつけていくことを子どものうちから知ることが、全ての人にとってのメリットとなる。そうやって学んでいく中で、子どもたちは仲間を作ることができる。一人ひとりの違いを知ることができる。それこそが社会に出た時、子どもたちの生きる力につながっていく。

本当に必要な教育とは何か?

 昨年4月に就学した息子の、初めての授業参観の日。参観した特別支援学級での、滞りなく進む授業に、私は一人がくぜんとした。その日は五つある特別支援学級の合同授業で、その場には複数の教員、介助員がいた。子どもたち全員で図工の制作を始めることになったが、驚くほどに子ども同士の交流がなかった。

 子どもたちはみんな何かあれば教員や介助員に声をかけていた。私の息子は気分が乗らなかったのか、隅の方にたたずんでいた。そして、そこに声をかけにくる子どもも、一人もいなかった。彼はついにその1時間、クラスの子どもたちと一度も関わることがなかった。視線を交わすことすらなかった。

 誤解のないように補足すると、息子は毎日登校するのを楽しみにしているし、特別支援学級での教育に日々尽力しておられる先生方には感謝の気持ちしかない。しかし、子どもたちが社会に出て生きていく上で本当に必要な教育ってなんだろうと考えさせられる時間となった。

みんなにとって心地よい場所とは

 文部科学省の「特別支援教育資料(2019年度)」によると、全国の地域の小中学校の中に併設されている「特別支援学級」の在籍者数は、64947人。障害を持つ子どもだけが集まる「特別支援学校」の在籍者数は、幼稚部から高等部まで含めると、141944人。

 特別支援教育についての周知や、発達障害に関する情報の広がりとともに、適切な支援を子どもに受けさせたいと願う保護者も多いだろう。それは、「彼がこのクラスで費やした時間に、もっと彼に適した場所、教育を提供する道があったのではないか」という、自分の思いとも重なるように思う。

  しかし、「彼に適した場所」とは一体どんな場所なのだろう、とも考える。

 それは、区切られた特別な場所ではなく、みんなにとって心地良い、みんなの場所であるべきではないだろうか。いろんな人がいるこの社会で、子どもたちは生きていくのだから、いろんな人がいる環境で、みんなで知恵を絞って工夫をしていくことが、社会に出たときに役立つ教育と言えるのではないかと思う。

 先に述べた、ある年のクラスの児童を巡り私が抱えていた課題、つまり「どうしたら彼がもっと充実した時間を過ごすことができるのか」という課題は、私一人で抱えるのでなく、クラスみんなで考えれば良いのだ。

 子ども30人に対し、カリスマ教師でもない私一人ができることなんて知れている。しかし、子どもたち一人ひとりに力を借りれば、チームとしてなし得ることは無限に広がる。

ダイバーシティーを進める町工場

 企業は共生社会をどのように捉えているのだろうか。

 神奈川県小田原市にある川田製作所を訪ねた。社員19人のうち、障害者6人、高齢者6人、外国人3人が働き、経済産業省が2017年度のダイバーシティーに力を入れて経営する企業100選に選ばれた町工場だ。性別、年齢、性格、学歴、価値観、国籍など多様性を受け入れて人材活用することで生産性を高めることを目指すダイバーシティー経営を実践している。障害者雇用は30年前に始めたという。

 そこで、障害者雇用で働く、勤続4年目の社員に、話を聞かせてもらった。数を数えたり、数字を書いたりすることが難しいという。当初製品を数える場面でミスが重なり、彼にとっても大きなストレスだった。そこで副社長が現場のスタッフを交えて一緒に考案したのが、製品のカウントにカウンターを使うというアイデアだった。これで数の間違いはなくなり、ストレスは軽減された。そこにとどまらず、健常者の職員も「それ使いたい!」と言って同じ方法で取り組み、業務の改善につながったという。

 副社長は、以下のように教えてくれた。

 「そういった困難さを抱える人たちが職場にいてくれることは、むしろ会社に良い影響を与えていることが多いんです。そつなく業務をこなす人たちが10人いる職場では、それなりに数値が出せると思います。しかし、課題を抱える10人が前者と同じ数字を出すためには、コミュニケーションを取って協力し合わなければならないですよね。そうやってチームワークで数字を達成したとき、後者は全員が活躍し、一人ひとりが輝いている組織になる。そしてその輝きが時間とともに高まり、結果的に数字の上でも前者を上回る組織になっていくのだと考えています」

共生社会はみんなにとってワクワクの世界

 以前、乙武洋匡さんに会ったことがある。彼は、これまで障害だったものも、テクノロジーの力によって軽やかに乗り越えられるようになるだろう、と話してくれた。そして、昨年11月に期間限定でオープンした、寝たきりや難病などで外出することが困難な人たちがリモートでロボットを操作して接客するカフェ「DAWN ver.β」について教えてくれた。そんなふうに、創造性を持って、みんなで知恵を出し合えば、あっと驚くような素敵な工夫や発明も、これからどんどん生まれていくんじゃないかなと思う。

 障害の有無によって人を分けて社会を形成するということは、無限の可能性を置き去りにする行為なんじゃないかと思う。

 「分ける」から「まぜる」へ。

 多様な人がどのように生きているのかを知り、つながることで、私たちは思いも寄らない化学反応が起こせるのだと思う。きれいごとでなく、道徳的観点からでもなく、みんなにとってメリットのある、一人も見捨てない社会。それは、誰にとっても、過ごしやすい場所を意味している。

 みんながごちゃまぜに生きていく、そんな共生の道は、わくわくした未来につながっている気がしている。

雨野千晴(あめの・ちはる)
ライター、講師、漫画家
 1981年生まれ。北海道出身、神奈川県在住。元小学校教員。自閉症・児者親の会会員。36歳の時にADHD不注意優勢型の診断を受ける。うっかりな自分を楽しむ「うっかり女子会」(120人参加)のfacebookグループを運営。障害の有無に関わらずみんな違ってみんないいを体感できるお祭りイベント「あつぎごちゃまぜフェス」実行委員長。ブログ 「うっかり女子でもちゃっかり生きる

 

雨野千晴 ライター、講師、漫画家

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