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「合理的配慮」はどこまで浸透したか

2018年03月24日 12時48分12秒 | 障害者の自立

障害者差別解消法の施行から2年

■要旨

状況に応じて障害者を柔軟に支援することで、障害者の権利確保に主眼を置く障害者差別解消法が2016年4月に施行されて2年が終わろうとしている。この法律は障害者の特性や個別事情に応じた「合理的配慮」の提供を行政機関に義務付けており、各行政機関では職員の適切な対応に必要なことを定める「対応要領」の策定などが進んだ。

しかし、障害者差別解消法は「対話→調整→合意のプロセス」を当事者の間で義務付けているだけであり、「合理的配慮として、どういった支援を提供するか」という点については、障害者と行政機関など当事者同士の調整に委ねられている分、分かりにくいのも事実である。実際、障害者差別解消法や合理的配慮の目的や意味が社会に浸透しているとは言えないだろう。

本レポートでは、合理的配慮を中心に障害者差別解消法の内容を詳しく解説するとともに、自治体の動向やメディアの報道ぶりなどを基に、2年間の動きを考察する。その上で、国に今後、求められる対応として、支援の事例や工夫に関する情報を収集・共有する重要性を指摘する。

1――はじめに~差別解消法の施行から2年~

状況に応じて障害者を柔軟に支援することで、障害者1の権利確保に主眼を置く障害者差別解消法が2016年4月に施行されて2年が終わろうとしている。この法律は障害者の特性や個別事情に応じた「合理的配慮」の提供を行政機関に義務付けており、各行政機関では職員の適切な対応に必要なことを定める「対応要領」の策定などが進んだ。

しかし、障害者差別解消法は「対話→調整→合意のプロセス」を当事者の間で義務付けているだけであり、「合理的配慮として、どういった支援を提供するか」という点については、障害者と行政機関など当事者同士の調整に委ねられている分、分かりにくいのも事実である。実際、障害者差別解消法や合理的配慮の目的や意味が社会に浸透しているとは言えないだろう。

本レポートでは、合理的配慮を中心に障害者差別解消法の内容を詳しく解説するとともに、自治体の動向やメディアの報道ぶりなどを基に、2年間の動きを考察する。その上で、国に今後、求められる対応として、支援の事例や工夫に関する情報を収集・共有する重要性を指摘する。
  

2――障害者差別解消法を理解する上でのポイント

2――障害者差別解消法を理解する上でのポイント

1|法律上の「障害者」という言葉の定義
内閣府が2017年8月に実施した世論調査2によると、「障害者差別解消法の周知度」を尋ねた問いに対し、「法律の内容を含めて知っている」と答えた人は5.1%であり、「内容は知らないが、法律ができたことは知っている」という回答を合わせても21.9%に過ぎない。

そこで、法律の狙いや目的を理解するため、主な条文を詳しく見ることとしよう。2013年6月に成立した障害者差別解消法の条文は全26条の比較的シンプルな構成である。第1条の「目的」として、全ての障害者が障害者でない者と等しく、基本的人権を享有する個人として尊厳を持っている点を強調した上で、「障害を理由とする差別の解消」を通じて障害の有無にかかわらず、共生できる社会を形成するとしている。

さらに、第2条は法律で用いられている言葉を定義しており、「障害者」について以下のように定めている。
 
身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む。)その他の心身の機能の障害(以下「障害」と総称する。)がある者であって、障害及び社会的障壁により継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう。

 
この条文は2011年8月に改正された障害者基本法をベースにしており、ポイントは「発達障害者を含む」「社会的障壁」の条文である。

まず、「発達障害者を含む」の条文は支援の対象を幅広く考えていることを意味する。具体的には、従来の障害者政策では「身体」「知的」「精神」の3種類で発行されている障害者手帳を持っている人を対象に実施されることが多く、発達障害だけで手帳が発行されることはない。このため、障害者手帳をベースに支援を考えると、発達障害の人は対象外となるのだが、「発達障害を含む」と書いていることで支援の対象を幅広く見ていることになる。
 
2|社会的障壁とは何か
次に、「社会的障壁」という言葉である。障害者差別解消法第2条二では社会的障壁を以下のように定義している。
 
障害がある者にとって日常生活又は社会生活を営む上で障壁となるような社会における事物、制度、慣行、観念その他一切のものをいう。

条文を読んでも具体的にイメージできないかもしれないが、一言で説明すれば「障害者が生活するうえで支障となる外的要因」3であり、車椅子を使う人にとっては段差、視覚障害者にとっては文字、聴覚障害者にとっては音声が社会的障壁となる。ここで「社会的障壁」という単語を分かりやすく理解する一助として、1週間程度の海外旅行に出掛けた事例で考えてみよう。

最初に、羽田空港や成田空港に行く時、駅の乗り換えなどで重い荷物を持って歩くことを苦痛に感じないだろうか。その後、羽田空港や成田空港に着くと、乗り換えはスムーズに進む。こうした差異はなぜ起きるのだろうか。

理由は段差である。普通の駅の場合、乗客が重い荷物を持っていることを想定しておらず、むしろ大都市の場合は通勤ラッシュでの移動を円滑にするために設計されている。このため、多少の段差を減らすことよりも、通路や階段を多く設置することに力点が置かれており、重い荷物を持った際に不便さを感じる。ここでは通勤ラッシュで乗り換える客が多数であり、重い荷物を持つ海外旅行客は少数であるため、多数に便利な設計となっている。

一方、羽田空港や成田空港は段差が少ない設計であり、重い荷物を持っていても移動がスムーズである。これは重い荷物を持つ人が空港を多く使うため、そうした人に便利なように駅や設備を設計しているためである。

では、車いすを使っている人はどうなるだろうか。通常の駅では移動に苦労するかもしれないが、段差が少ない空港ではスムーズに移動できる。

ここで一つの事実に気付く。車いすを使う、または使わないが重要なのではなく、「段差」の有無が不便さを生み出しているのである。この場合、移動に不便さを生み出す段差が社会的障壁となる。

もう1つ事例を挙げる。訪問先(仮に「A国」とする)に着いた瞬間、A国の文字だけでなく、現地の人が話している言葉も理解できない場合、何が起きるであろうか。現地の人とコミュニケーションに苦労し、町に出掛けても途方に暮れる可能性が高い。

では、普段はなぜコミュニケーションに苦労しないのだろうか。言い換えると、日本に住んでいる時とA国滞在中に違いがなぜ生まれるのだろうか。こちらも答えはシンプルである。日本では日本語を使う人が多数であり、A国に行けば日本語を使う人が少数だからである。

次に、この状況を聴覚障害者、視覚障害者と比べると、社会的障壁をイメージしやすくなる。普段は日本でコミュニケーションに不便さを感じていなかったとしても、A国に到着した瞬間、聴覚障害者、視覚障害者と似たような環境に直面する。言い換えると、聞こえないこと、あるいは見えないことだけが不便の原因なのではなく、「日本語の音」「日本語の文字」にアクセスできるかどうかが不便さを決定付けていることになる。この場合は「日本語の音」「日本語の文字」が社会的障壁となり、前者は聴覚障害者、後者は視覚障害者に不便さを強いていることになる。

これらの事例を基に考えると、不便さが生み出される原因は障害者自身の症状や病気だけにあるのではなく、社会が作り出している障壁、つまり段差や日本語の音、文字になる。

障害者差別解消法では、以上のような障壁を「社会的障壁」と呼んでおり、社会的障壁の結果として障害が生じているという考え方を一般的に「社会モデル」と呼んでいる4。そして社会モデルに依拠すれば、必然的に「社会が障害者のニーズを無視して障害者の機会不均等をもたらしてきたのだから、社会はそれを是正する道徳的責任を負う」という直観的な理解に繋がる5。さらに、「障害のある人が経験する制約をもたらす社会的障壁に視点を据えることによって、障害問題をいわゆる福祉の問題から人権の問題へとその領域を拡大させることになった」6ことで、社会的障壁で不便さを強いられている障害者に配慮しないことを「差別」とみなす考え方に基づいている。

では、こうした社会的障壁をどう取り除くのか。ここでのキーワードが「合理的配慮」である。
 3|合理的配慮とは何か
結論を先取りすると、合理的配慮とは社会的障壁の除去を通じて、障害者の不利を解消するための方法である。元々は「reasonable accommodation」の訳であり、宗教差別と関連して登場した経緯があるが、障害者分野の歴史としては1973年のアメリカの「リハビリテーション法504条」が始まりである。ここでは行政機関や連邦政府との契約者などが障害を理由に差別を行うことを違法と定めるとともに、合理的配慮の提供を義務付けた。その後、1990年に「ADA法(障害をもつアメリカ人法)」が制定されることで、レストランやホテル、工場など民間事業者や商業施設などが対象となった。

こうした合理的配慮が日本に「輸入」される直接の引き金は国連障害者権利条約だった7。合理的配慮について、2006年12月に国連総会で採択された国連障害者権利条約第2条に以下のような定義がある(外務省の訳文)。
 
障害者が他の者との平等を基礎として全ての人権及び基本的自由を享有し、又は行使することを確保するための必要かつ適当な変更及び調整であって、特定の場合において必要とされるものであり、かつ、均衡を失した又は過度の負担を課さないものをいう。

ここでは「過度な負担」にならない範囲で、必要かつ適切な変更、調整を行うことで、障害者と障害のない人との平等を確保するとしている。こうした国際的な潮流を踏まえて、日本で障害者差別解消法は合理的配慮について、第7条2で以下のように規定している。
 
行政機関等は、その事務又は事業を行うに当たり、障害者から現に社会的障壁の除去を必要としている旨の意思の表明があった場合において、その実施に伴う負担が過重でないときは、障害者の権利利益を侵害することとならないよう、当該障害者の性別、年齢及び障害の状態に応じて、社会的障壁の除去の実施について必要かつ合理的な配慮をしなければならない。

条約の「過度な負担」という文言が法律では「過重な負担」に変わったが、論点は同じである。この条文では、障害者から意思表明があった時、行政機関は社会的障壁の除去に向けて、合理的配慮を提供しなければならないとしている。先の例で言うと、段差や日本語の音、文字という社会的障壁を除去するため、行政機関は合理的に配慮しなければならないとしている(第8条2は民間事業者に対して努力義務を課している)。仮に聴覚障害者がシンポジウムに参加を希望し、情報保障の提供を事前に要望した場合、支援を提供する機関が行政機関であれば、合理的配慮として手話通訳の確保などが義務付けられる(民間は努力義務)。もし行政機関が「そんな用意はありません」と門前払いすれば、その瞬間に障害者差別と見なされることになる。

ここで論点となるのは合理的配慮の内容である。通常の制度であれば、国が要綱などを作成して細かく要件を定め、自治体や民間事業者は国の方針に従うことが義務付けられるが、合理的配慮の考え方は全く異なる。行政機関が支援の可否や内容、水準などを判断する際、当事者同士の対話・調整に委ねられている。

これが障害者差別解消法と合理的配慮の大きな特色と言える。例えば、国が2015年2月に定めた障害者差別解消法の基本方針には以下のように書かれている。
 
合理的配慮は、障害の特性や社会的障壁の除去が求められる具体的場面や状況に応じて異なり、多様かつ個別性の高いものであり、当該障害者が現に置かれている状況を踏まえ、社会的障壁の除去のための手段及び方法について、「過重な負担の基本的な考え方」に掲げた要素を考慮し、代替措置の選択も含め、双方の建設的対話による相互理解を通じて、必要かつ合理的な範囲で、柔軟に対応がなされるものである。

 ポイントはいくつかある。第1に、合理的配慮の内容は「障害の特性」「具体的場面や状況」に応じて異なり、多様性や個別性が高いとしている点である。障害者自身の特性に加えて、支援が求められる場面や支援を提供する状況で変わり得る点を強調している。

第2に、「双方の建設的対話による相互理解」を挙げている点である。ここで言う「双方」とは、障害者と支援を提供する機関(例:行政機関)を指しており、双方の「対話→調整→合意プロセス」を通じて相互理解を図り、柔軟に実施することが定められている。

第3に、その場合は「必要かつ合理的」な範囲とする点である。ここに「過重な負担」が絡んでくるので、「過重な負担の基本的な考え方」をベースに具体的な事例を使いつつ、次に考察する。
 
4|過重な負担とは何か
先に触れた通り、合理的配慮は個別性が高いため、国の基本方針は合理的配慮の内容を具体的に定めておらず、手続きを義務付けているに過ぎない。過重な負担についても同様であり、国の基本方針は以下のように定めている。
 
過重な負担については、行政機関等及び事業者において、個別の事案ごとに、(略)具体的場面や状況に応じて総合的・客観的に判断することが必要である。行政機関等及び事業者は、過重な負担に当たると判断した場合は、障害者にその理由を説明するものとし、理解を得るよう努めることが望ましい。

つまり、「具体的場面や状況に応じて総合的・客観的に判断することが必要」としているだけで、具体的な内容には一切、言及していないことが分かる。その上で、考慮すべき要素として表1の5項目を挙げている。
 
ここでも具体的な事例を基に考えよう。地方自治体が古民家を使ったイベントを企画し、そのイベントに参加したいと考える車椅子の人が「段差を解消するための施設を設置して欲しい」と希望した場合、スロープやエレベーターの建設には時間を要するため、「実現可能性」の観点で不可能に近い。このケースでは「過重な負担」と理解される可能性が高い8

しかし、自治体は「参加したい」というニーズを無視して良いわけではない。自治体は車椅子の人のニーズを聞きつつ、段差という社会的障壁の解消に向けて、車椅子を運ぶ人員を準備できる点などを説明し、車椅子の人との合意を模索することになる。その場合、車いすが自分で動かすタイプ(自走式)なのか、電動式なのかで対応は変わる可能性がある。

次に、同じ自治体のイベントについて、聴覚障害者が「登壇者や参加者とリアルタイムかつ双方向で議論したい」と望んだ場合、どうなるか。もし自治体の担当者が全く対話しないまま、「終わった後に議事録と資料を掲載しますので、そちらをご覧下さい」と答えた場合、「リアルタイムかつ双方向の議論」というニーズに全く応えておらず、聞こえる人との平等性を確保していない点で、障害者差別になる可能性がある。

そして、この場面では「日本語の音声」という社会的障壁を除去するための配慮として、手話通訳やパソコンノートテイク(パソコンで議論の内容を入力し、映写すること)が求められる。しかし、全ての聴覚障害者が日本手話を理解できるわけではないため、その際には当事者の意向や希望を聞きつつ、必要な対応を模索する必要がある。

「過重な負担」に関して、判断が難しいのは「費用・負担の程度」かもしれない。ここでも具体的な事例で考えると、もし情報保障に必要な経費を上乗せしても、イベントの経費が全体で数%程度しか増えない場合、「過重な負担」とは言いにくく、聴覚障害者のニーズを聞きつつ、情報保障が義務付けられる。逆に自治会の会合や手弁当の小規模な勉強会などボランタリーなイベントの場合、情報保障に要する経費が「過重な負担」と判断される可能性も否定できない。負担・費用の程度についても、このようにケース・バイ・ケースで当事者同士が対話・調整することになる。

ここまでに挙げた事例は筆者の「思考実験」であり、多様性で個別性が高い合理的配慮の考え方に沿うと一つの事例に過ぎないが、このように支援の可否や内容、水準について、当事者同士が個別的かつ具体的に「対話→調整→合意プロセス」を取ることを義務付けているのが障害者差別解消法と合理的配慮の基本的な考え方である。
 
3――障害者差別解消法と合理的配慮の意義
1|多数にとっても住みやすい社会を形成
では、障害者差別解消法や合理的配慮の説明を通じて、どんなことが言えるだろうか。まず、障害者にとっての権利保障を重視している点である。

障害者差別解消法や合理的配慮を解説する書籍に従うと、「特定の障害のある人々が能力を発揮する機会が阻害され、能力が過剰に低く評価されるということが起こってきた。(略)こうした偏った環境を是正し、障害者を含めあらゆる人びとが本来発揮できるはずの能力を引き出すことのできる公正な競争環境を生み出そうとする、『条件平準化原理(level-the-playing-field principle)』に基づく機会均等のための仕掛け」と説明9されており、結果の平等ではなく機会の平等を重視していると言える。

次に、障害者に配慮する意味合いである。結論を先取りすれば、障害者に配慮することは「施し」ではない。社会モデルの考え方に立てば、障害は個人の医学的な状況だけではなく、社会との関係性で生まれることになるため、自らを「健常者」と疑わない多数の人も、いつどんな時に少数の立場になるかどうか分からない。

例えば、普段は段差の存在が気にならなかったとしても、翌日の海外出張で重いトランクを持てば、車いすの人と同じ環境に立たされる。だからこそ駅や施設の段差を取り除けば、結果的に障害者だけでなく、その他の多くの人も便益を受けるのであり、「過重な負担」を伴わない範囲で少数の人に配慮することは多数の人にとっても住みやすい社会を作ることに繋がる。言い換えれば、合理的配慮は利他的であるとともに、利己的な側面を持っていると言える。

そして先に触れた通り、合理的配慮が元々、宗教差別の文脈で始まっていることを考えると、障害者の分野に限らず、様々な少数者に対する配慮に応用できる広がりも持っている。
 
2|現場の積み重ねで「相場観」
障害者差別解消法や合理的配慮を考える上で、もう1つ重要な側面がある。それは明確な基準が存在せず、支援の可否や内容、水準に関する判断は社会の合意形成の上で成り立っている点である。具体的には、これまで述べた通り、合理的配慮の内容は当事者同士による「対話→調整→合意プロセス」に委ねられているほか、国の基本方針で「合理的配慮の内容は、技術の進展、社会情勢の変化等に応じて変わり得る」としている点が注目される。

これを従来の制度との違いで考えると、違いが見えてくる。例えば、障害者総合支援法10や障害者雇用に関する法定雇用率制度11では、国が要綱などで細かく対象者の要件を設定し、これに沿って自治体や民間事業者が対応してきた。これに対し、合理的配慮について、国は具体的な内容を一切定めておらず、技術の発展や社会情勢の変化、人々の意識次第で変わり得る柔軟さを持っている。

言い換えると、国が支援の可否や内容、水準を一律に定めるのではなく、障害者と対象機関が個別的かつ具体的に対話・調整し、合意形成を積み重ねられる柔軟性を有していると言える。

やや分かりやすい言葉で言うと、現場での当事者同士による個別的かつ具体的な対応の積み重ねを通じて、支援の可否や内容、水準に関する「相場観」を形成していくことが求められる。その際には、国や自治体など行政機関の意思決定だけでなく、障害者や市民、民間企業、学識者など幅広いセクターの主体的な関与を通じて、「相場観」が決まっていくと考えられる。

実際、障害差別解消法の解説書では「対立的・規制的概念で捉えるのではなく、むしろ社会的な意識改革や地域づくりを主体に置いて総合的に取り組むことが重要」と規定している12
 
4――施行後2年間の変化
1|自治体の対応
では、法律が施行されて2年が終わろうとしている中で、どのような対応が現場でなされているのだろうか。社会的な意識改革や地域づくりを主体に据えるのであれば、自治体の取り組みが重要となる。そこで、障害者差別解消法で政府機関、自治体に策定を義務付けている「対応要領」の作成状況を見ることとする。対応要領では職員の適切な対応に必要なことを定める必要があり、各省庁が法律の施行まで対応要領の作成を完了したのに対し、自治体の対応は総じて遅れている。具体的には、昨年4月1日時点の内閣府調査によると、都道府県の95.7%、政令指定都市の100%、中核市や特別区、県庁所在市(政令市を除く)の92.7%で策定済みだが、その他市町村は61.6%にとどまっている。

さらに、筆者が各自治体のウエブサイト及び日本障害者リハビリテーション協会のウエブサイト13で確認した範囲では、今年2月までに26道府県が法律に対応した障害者差別解消条例を独自に定めている14ほか、一般市町村でも独自の条例を定めた兵庫県明石市や大分県別府市などの事例が散見されるが、その数は依然として少なく、対応要領と同じく取り組みが遅れている可能性が高い。
 
図1:「障害者差別解消方」「合理的配慮」の登場回数
2|メディアの報道と周知度
次にメディアの報道ぶりを見る。図1は朝日新聞と読売新聞のデータベースを使い、「障害者差別解消法」「合理的配慮」のキーワードが両新聞に登場した回数を調べた結果である。検索に際しては障害者差別解消法(検討当初の名称は障害者差別禁止法)の議論が本格化した2012年から2017年までのデータを取った15

ここから言えることは3点あると考えられる。まず、障害者分野の関心の低さである。障害者分野の政策は障害者差別解消法だけではないが、登場回数の最高は2016年の朝日新聞163件であり、ほぼ毎日のように制度改正の動向や現場・利用者の声などが報じられている医療・介護と比べると、決して多いとは言えない。つまり、依然として社会の関心が低いと指摘せざるを得ない。

第2に、2016年の障害者差別解消法施行を境に、登場回数が増加している点である。法律の施行に伴って記者の関心を惹き付けただけでなく、啓発イベントが開催されたり、対応要領やパンフレットなどが作成されたりしたことで、記事として取り上げやすかったのであろう。しかし、2017年は早くも半分程度に下がっており、ニュースバリューが下がったことが推察される。

第3に、「障害者差別解消法」の登場回数に比べると、「合理的配慮」の登場回数が半分から3分の1程度にとどまっている点である。この差は障害者差別解消法を説明する際、合理的配慮の文言を用いていない可能性を意味している16。つまり、合理的配慮という単語が難解なイメージを持たれやすく、そのコンセプトも一言では説明しにくいため、記事化に際して忌避されている可能性がある。筆者個人の経験で言うと、複数の記者から「国がルールを一律に決めるのであれば分かりやすく報じられるけど、現場の個別対応を重視する合理的配慮を短い紙幅で説明するのは難しい」と言われたことが何度かある。こうした記者の判断が両者の差として現れているのではないだろうか。

しかし、合理的配慮を説明しなければ、障害者差別解消法を理解しにくいのは事実であり、「障害者差別解消法のコンセプトがどこまで読者に伝わり、社会に浸透しているか」という点で考えると、課題は多いと言わざるを得ない。

実際、内閣府の世論調査を比べても、5年間で障害者差別解消法の周知度はほとんど変わっていない。冒頭に触れた通り、内閣府は2017年の世論調査で障害者差別解消法の周知度を尋ねており、ほぼ同じ質問項目で周知度を聞いた2012年の世論調査17との比較が可能である18。2つの調査を比較すると、内容を含めて知っていると答えた人は5年間で4.3%→5.1%と微増したに過ぎない。

さらに、2017年の「内容は知らないが、法律ができたことは知っている」という回答と、2012年の「内容は知らないが、検討を行っていることは知っている」という回答と比べると、20.9%→16.8%に下がっている。こうした点を踏まえると、障害者差別解消法が依然として社会に浸透したとは言えず、官民の関係者による周知が求められる。
 
3|事例の収集
合理的配慮に基づく支援の可否や内容、水準が幅広いセクターの主体的な関与を通じて形成される「相場観」だとすると、「現場で個別かつ具体的な対応がどのようになされているのか」という情報が収集され、広く公開される必要がある19

例えば、「自治体レベルでは、どんな先進的な事例はあるか」「教育現場ではどんな工夫がなされているか」「民間企業ではどんな取り組みがなされているのか」といった情報であり、「対話→調整→合意のプロセス」が上手く行かなかった事例から教訓を学び取る意味で、対話が進まなかったケースの情報も有益かもしれない。各自治体は障害者差別解消法に基づいて相談窓口を設置しており、こうした「失敗」の情報も収集あるいは共有できると思われる。

この視点で見ると、内閣府のウエブサイト「合理的配慮サーチ」20が一つの参考となり得る。ここでは「障害の種別から探す」「生活の場面から探す」の2つから情報を入手できるようになっており、自治体のガイドブックやアンケート調査結果、民間企業の支援機器といった情報が載っている。

しかし、社会の「相場観」形成に至るほどの情報量とは言えない。今後、「情報の集中、権力の分散」という格言21に照らし合わせると、自治体や民間の業界団体、障害者団体、支援団体などと連携しつつ、国(独立行政法人を含む)が情報の収集・共有を強化することが求められる。
 
5――おわりに
人はみな寝ていると、見えない人がいても分からない、みな黙っていると、話せない人がいたとしても分からない――。こんな一節が中国の古典『韓非子』にある22。韓非子は法律を重視した古代中国の思想家(法家)の一人であり、「君主が広く意見を聞かなければ、その人が期待に応えられるかが分からない」という趣旨を説明する際、上の事例を挙げているのだが、引用部分については社会モデルの観点で見れば間違いである。視覚障害者には音声で、聴覚障害者には文字でコミュニケーションを取るように配慮すれば、不便さは感じないはずである。

しかも韓非子自身が極度の吃音症(きつおんしょう)だったとされ、音声によるコミュニケーションに不便を感じていた。そのため、親族の韓王から疎まれて建言も全く受け入れられず、韓非子は文章で自らの意見を残した。

韓非子の事例を社会モデルで理解すると、合理的配慮の重要性を改めて理解できるのではないだろうか。障害者とは一方的に支援を受ける弱者ではなく、多数にとって「過重な負担」にならない範囲で配慮すれば、韓非子のように能力を発揮できる人は多い。それを妨げている社会的障壁を除去するため、多数に義務付けているのが合理的配慮であり、障害者差別解消法である。結局、韓非子は秦の始皇帝(当時は秦王政)に引き立てられた後、自殺に追い込まれる悲劇的な最期を迎えたが、もし韓王が「韓非子は音声によるコミュニケーションが難しいので、文字だけでやり取りする」と配慮していれば、歴史は変わったかもしれない。

そして既に触れた通り、合理的配慮の実施に際しては、現場レベルでの個別的かつ具体的な対応の積み重ねが求められる。障害者差別解消法は「対話→調整→合意のプロセス」を義務付けただけであり、支援の可否や内容、水準は当事者同士の判断に委ねられている分、社会の「相場観」で形成される。「過重な負担」の判断など実際の運用は試行錯誤になるが、現場における創意工夫と、それを支える国(独立行政法人を含む)による情報収集・共有の強化が今後求められる。
 
2018年03月23日   株式会社ニッセイ基礎研究所

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