首筋に、刃物を突き立てられた傷が残る。
「痛い、痛い」。尾野一矢さん(44)は最近、思い出したように口にするという。母のチキ子さん(75)は「事件前のような笑顔はなくなった」と話す。走り回ったり、騒いだりすることもなくなったという。
一矢さんには知的障害があり、障害者施設「津久井やまゆり園」(相模原市緑区)で約20年にわたって暮らしてきた。昨年7月26日、入所者19人が殺害され、施設職員を含む27人が負傷した事件で植松聖(さとし)被告(27)に襲われたが、一命をとりとめた。
事件当時は約150人が暮らしていた園。建て替えが決まり、将来像をめぐる議論が続く。多くの入居者は今、横浜市港南区に県が用意した仮の施設「津久井やまゆり園芹が谷園舎」で暮らしている。
一矢さんも今春からここで生活する。事件後に入った病院では「やまゆり、帰る」と繰り返していたが、別の施設に移ってしばらくすると、「やまゆり、終わり」とつぶやいたという。
「自分の中で今の状況を納得させているんだろう」と一矢さんの父、剛志さん(73)は語る。一家にとっては、つらい記憶の場となったやまゆり園。それでも「あそこは終(つい)のすみかだと思っている。建て替える場合は、今までと同じような施設にしてほしい」。
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東京駅からJR中央線で西へ1時間半近く。山の緑が迫る相模湖駅を降りる。そこから1時間に1、2本ほどのバスに揺られて10分ほどで、園がある千木良(ちぎら)集落に着く。
約3万平方メートルの広大な敷地に、延べ床面積約1万2千平方メートルの2階建て園舎が立つ。現在は無人だが、事件から1年を前に今月6日、初めて内部が公開された。清掃されて事件の痕跡はほぼない。窓に貼られたキャラクターのシールなど、入居者の思い出が残っていた。
神奈川県立の施設として園が開設されたのは、東京五輪があった1964年。身体や精神に障害がある人たちを受け入れ、生活を支援する大規模施設は「コロニー」と呼ばれ、全国各地で建設が進んだ。
その後、81年の「国際障害者年」をきっかけに、障害者も健常者と変わりない生活を過ごすべきだとの考えが広がる。近年は、施設を小規模にし、地域に根ざして生活を送る「地域移行」が主流となっている。
県は今年1月、同じ場所に大規模な施設を建てる方針を示した。だが、障害者団体などから「地域移行に逆行する」と異論が噴出。県が有識者を集めて設けた会議は今月18日、園の現在地や芹が谷園舎がある場所など、複数の小規模施設に分散させる案を示した。
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ただ、入所者の家族の意見は割れている。
「家族にとって苦労の末にやっとたどり着いた場所。現在地以外は現実的でない」と大月和真・家族会長(67)。園の祭りには近隣住民が参加し、入所者もステージで一緒になって楽しむなど、様々な行事を通じて園と地域が強く結びついていたことを強調する。
事件前の昨年4月時点で、園の入所者の平均入所期間は18年あまり。30年以上の入所者も2割いた。家族にとって、園がある集落はなじみ深い場所だ。
一方、3年前から入所する平野和己さん(27)の父、泰史さん(66)は言う。「入所者がもっと社会に出て、交流しやすい環境にするべきだ。施設はなるべく縮小したほうがいい」
有識者会議の検討結果を踏まえ、県が結論を出すことになる。(飯塚直人、岩堀滋)
■津久井やまゆり園をめぐる経緯
1964年2月 障害者を支援する神奈川県営の施設として開設。入所定員は100人
68年4月 入所定員200人に増員
94年7月 居住棟などが再整備され、定員80人に(新設の厚木精華園への移動で定員減)
96年4月 居住棟、体育館などが再整備され、定員160人に
2005年4月 県の指定管理者制度に基づき、社会福祉法人かながわ共同会が運営開始
09年8月 園の自主事業でケアホーム開所
12年12月 植松聖被告、非常勤職員として勤務開始
16年7月 事件発生
17年8月? 園の建て替えの方向性について県の有識者会議が検討結果を取りまとめ
(※県や園などへの取材による)
おにぎりをほおばる尾野一矢さん(中央)を見守る父剛志さん(右)と母チキ子さん
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