ゴエモンのつぶやき

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<未来へつなぐ パラリンピックの力> 半世紀後を変えるのはあなた

2016年01月04日 02時19分42秒 | 障害者の自立

 障害のある人とない人とが支え合う。誰もが夢の実現のため、精いっぱい力を発揮できる。そんな社会の象徴がパラリンピックだ。二〇二〇年東京大会まで三つの開催都市のキーパーソンに、大会の意義を聞く。まずはロンドン大会の責任者、統括ディレクターのクリス・ホームズさん(44)から。

◆違いを認め合う社会に 大会責任者クリス・ホームズさん(44)

 二歳で水泳を始め、十四歳の時に病気で視力を失いました。そのため、新たな泳ぎの技術を学ばなければならなくなりました。目が見えなくても真っすぐ進むよう均等にストロークし、ターンのタイミングも体で覚える。大変でしたが、周囲の人々に支えられました。助けがなければ、メダルの獲得など何一つできなかったでしょう。

 当時、プールで障害者が健常者と並んで泳ぐことなどは考えられませんでした。今やその風景は日常的になりました。とはいえ、差別のない社会の実現はまだ道半ばです。教育現場や雇用率を見れば、障害者と健常者の間に大きなギャップがある。

 本来なら、障害があるなしで違いがあってはならないのです。インクルーシブ(包摂(ほうせつ)的)な、つまり障害にかかわらず、すべての人が一緒になれる社会。そんなメッセージを伝える必要があり、パラリンピックはとても良い機会です。

 ロンドン大会は史上初めて五輪とパラリンピックの運営を一つの組織で行い、パラリンピックのチケットを完売したのも初でした。訪れた多くの記者や政治家らを、私は競技会場ではなく、オリンピック公園へまず連れて行きました。そこで、チケットを買い求める観客と触れ合うことができます。健常者の家族連れがいたり、障害のある子、体の不自由な親が一緒だったり…。多様な人々が集まったインクルーシブな群衆。それが二十一世紀の英国を象徴するのです。

 私たちが語り合ったのは半世紀後のことでした。二〇六二年、人々が「この国の変化はパラリンピックで生まれたんだね」と言ってくれる遺産を残さない限り、運営に失敗したと思わなければならない、と。

 生い立ちや信条、障害の有無で人を判断したり差別をしたりしない社会。自らの可能性を実現するために自由に夢を追いかけられる社会の実現には、やるべきことが残っています。リオデジャネイロ、そして東京へと続くパラリンピックに、それは引き継がれるでしょう。社会を変革できる素晴らしい体験が待っていると思います。

 

ホームズさんと介助犬のロティ (聞き手 ロンドン・岩佐和也、写真も)

<クリス・ホームズ> 1971年、英国東部のピーターバラ生まれ。遺伝性の硝子体(しょうしたい)網膜症のため14歳で視力を失った。水泳選手としてパラリンピックに4回出場し、金9個を含む15個のメダルを獲得。五輪とパラリンピックを同一の組織委員会が運営した2012年ロンドン大会では、パラ部門責任者の統括ディレクターを務める。13年から上院議員。

<パラリンピック> 第1回は1960年にローマで開催された。「パラリンピック」という名称は64年東京大会で初めて使われた。当初は車いすを使う身体障害者の大会だったが、視覚障害者らにも門戸が開かれ、知的障害者の参加が認められる年もある。別大会として、聴覚障害者のためのデフリンピック、知的障害者のためのスペシャルオリンピックスがある。

2016年1月3日    東京新聞


仙台市、障がい者雇用に取り組むワコール子会社の事例を聴くフォーラムを開催

2016年01月04日 02時11分59秒 | 障害者の自立
障がい者雇用を応援するフォーラム

仙台市では障がい者の働きたい意欲を応援するという障がい者雇用促進の目的で、2016年2月12日(金)に「平成27年度障がいのある方の雇用促進フォーラム」を開催する。

仙台市

障がい者雇用に取り組む企業に市長感謝状を贈呈

内容は第1部が「障がい者雇用貢献事業者への市長感謝状贈呈式」。これは障がい者雇用促進に関しての功績が認められた事業者の取り組みを広く紹介し、市民の障がいへの理解を深め障がい者雇用の更なる創出や拡大を目的に市長感謝贈呈を行うもの。

なお2015年度の市長感謝状贈呈事業者は、医療法人泉整形外科病院、総合葬祭業を行う株式会社清月記、保険業の株式会社かんぽ生命保険仙台事務サービスセンター。

第2部は記念講演として新潟ワコール縫製株式会社特命担当顧問の青木孝一氏による「新潟ワコール縫製株式会社における障がい者雇用の実践」。

ワコール子会社が障がい者雇用を行う上で工夫していること

同社は、パジャマ・ブラジャー・スポーツタイツ等の製造を行う株式会社ワコールの子会社。いろいろな障がいを持つ、それぞれ個々の適性を見定めて仕事の分担を考える、また成果が生み出せるような仕組みをつくるなど障がい者の雇用継続、職域の拡大に取り組んでいる。

厚生労働省「平成23年度障害者雇用優良事業所等の厚生労働大臣表彰」、経済産業省「平成26年度ダイバーシティ経営企業100選」に選出されるなど、全国的に高い評価を受けている。「会社側も障害者側も相互に努力すれば十分に活躍できる」という考えに基づいたさまざまな工夫の具体的な事例を聴く。

時間は13時30分~16時。会場は仙台市太白区文化センター楽楽楽ホール。入場無料、定員250名。申し込みは不要。問い合わせは仙台市健康福祉局健康福祉部障害者支援課まで。

2016年1月3日   障害者雇用インフォメーション


年のはじめに考える 社会の「壁」消える日へ

2016年01月04日 02時05分59秒 | 障害者の自立

 ことし、障害のある人たちは歴史的な節目を迎えます。生きづらさが和らぎ、障害のない人たちと同じ地平に立てる社会へ、改革がはじまるからです。

 最近、サービス産業を中心にして急速に普及している民間資格があります。東京の公益財団法人日本ケアフィット共育機構が認定する「サービス介助士」です。

 食事や排せつ、入浴といった介護技術ではなく、外出先のさまざまな場面で、障害のある人やお年寄りの手伝いをする。車いすの移動や視覚障害者の手引き…。

◆おもてなしの感度を

 交通や小売り、宿泊、金融、外食などの幅広い業種に広がり、全国の資格取得者はおよそ十三万人に達しています。首都圏では全鉄道会社に導入されたそうです。

 「気づきの実践学」と、事務局長の高木友子さんは呼びます。

 「困っている人への想像力や共感力を培います。従業員のおもてなしの感度を磨き、顧客満足度の向上につなげる。地域貢献にと考える企業も多いようです」

 丈夫な人を想定して設計された社会は、障害のある人やお年寄りにとって不自由の度合いが強い。きめ細かな心遣いは、企業の生き残り戦略としても重要でしょう。

 もっとも、利潤優先の企業活動や、個人の良心やボランティア精神には移ろいやすい面があることも否定できません。こうした資格が注目されている背景には、四月から施行される障害者差別解消法があるのです。

 この法律は、国の行政機関や地方公共団体、民間事業者に対して障害を理由とする不当な差別的取り扱いを禁止しています。

 たとえば、車いすの人や盲導犬を連れた人の入店を拒んだり、精神障害があるとして入居を断ったり。「筆談をしている暇はないから」と、聴覚障害のある人の診察を後回しにするのも差別です。

◆同じスタート地点に

 もうひとつ。障害のある人のニーズに応じて、環境や条件、慣行の変更や調整を求めています。

 「合理的配慮」といい、過重な負担を強いられない限り、その提供をおこたると差別とされる。

 車いすが通れるようスロープを設ける。発達障害のある人が満員電車を避けて通勤できるよう、勤務時間を変える。知的障害のある人向けに漢字にルビをふり、絵図を用いる。そんな具合にです。

 国や地方の行政には「合理的配慮」の提供を義務づけ、民間にはさしあたり努力を促しています。

 障害の有無によらず、自立や社会参加の機会が等しく保障される共生社会を実現するには、差別事例を洗い出し、解消していくほかない。そのためにも、まずは障害者問題を知ることが大切です。

 法律のよりどころは、百六十カ国・地域が結ぶ障害者権利条約です。日本も二年前に批准しました。その理念は、四十年ほど前から発展してきた「社会モデル」という考え方に基づいています。

 いままでは、障害のある人たちが生きづらいのは、個人の心身の機能不全が原因で、克服するのは自己責任と考えられてきた。これを「医学モデル」といいます。

 「社会モデル」では、機能障害のある人たちを度外視してつくられた社会の仕組みにこそ、原因があると考えます。困難を招いている障壁を取り除く責任は、社会の側にあるというわけです。

 少数派をないがしろにする多数派の横暴、生産性の低い存在を費用とみなす傲慢(ごうまん)。民主主義や資本主義の欠陥もあぶり出しました。

 「私たちは、障害のない多数派の人たちが当たり前に過ごす日常と同じスタート地点に立ちたいだけです。特別扱いを求めているわけではありません」

 東京のNPO法人自立生活センター・東大和のリーダー海老原宏美さんはそう語ります。脊髄性筋萎縮症を患い、人工呼吸器を携えながらも、障害のある人たちの地域での暮らしを支えています。

 一緒に考えてみました。どうして非正規社員は正社員になりにくいのか。なぜ貧しい家庭の子どもは大学に進学しにくいのか。なぜ女性の管理職は増えにくいのか。

 無論、自助努力も大事です。けれども、そうした問題を生み出している根本原因は、明らかに社会の側にある。障害者問題の構造も同じでしょう。試されるのは、社会の包摂力だと思うのです。

◆未来のルールを描く

 人間が守るべき「正義」を論じた米国の哲学者ジョン・ロールズ氏(一九二一~二〇〇二年)が発案した頭の体操があります。

 あなたたちがつくったルールですべてが動く未来社会に生まれ変わるとしたら、どんなルールをつくりますか。ただし、どんな境遇に生まれるかは分からない。

 その社会はきっと公平、平等に違いありません。さあ、あなたならどんな未来を描きますか。

2016年1月3日    東京新聞


対話、喜び広げたい ネットで手話動画公開

2016年01月04日 01時52分28秒 | 障害者の自立

 インターネット上で手作りの手話動画を公開し続けているカップルが横浜市泉区にいる。竹田英雄さん(49)と交際相手の宮本涼子さん(34)。涼子さんに聴覚障害があるため2人は普段から手話でコミュニケーションを取っており、息の合った軽妙なコントを披露することも。2人は障害や病気で周囲とうまく意思疎通できず苦しんだ経験があり、「単語一つでも覚えて使ってもらえれば」との言葉に力がこもる。

 6年間で公開した動画の数は3500本を超える。「食べ物」「選挙関連」といったテーマごとに単語を探せるほか、「全国手話検定試験」に対応したコーナーも充実。用例やコントも含め数十秒~5分と短くまとまっており、字幕付きで手話の知識がなくても気軽に楽しめる。

 2人が出会ったのは2005年。市内の障害者支援施設でパソコン講師をしていた竹田さんのもとに生徒としてやって来たのが宮本さんだった。

 宮本さんは2歳の時病気で聴力を失った。親やきょうだいは手話を覚えようとしてくれず、周囲の人と意思疎通する手段はほぼなかった。進学した小中学校でも授業や人間関係についていけず、竹田さんのパソコン教室を訪ねた時は引きこもりに近い状態だったという。

 筆談や簡単な手話で懸命に意思疎通を図ってくれる竹田さんは宮本さんにとって、自分と向き合ってきちんと対話してくれる初めての人だった。毎週欠かさず教室に通い、気付けば竹田さんの隣で笑っている自分がいた。

 竹田さんもまた、全身のしびれなどが起きる難病「多発性硬化症」で身体障害とともに生きてきた。

 症状に波があり、つえや車いすを頻繁に使う。発話が難しかった時期もあり、言いたいことが伝わらないもどかしさや孤独は痛いほど分かっていた。

 竹田さんは手話を猛特訓した。出会ってから5年ほどたった10年1月、仲が深まり、手話による会話も自然にできるようになっていた2人は仕事の空き時間に動画配信をスタート。東日本大震災の際はニュースに応じて「停電」「仮設住宅」「放射性物質」といった手話を約50本取り上げるなど、更新を続けてきた。

 宮本さんは「手話に興味がない人も、楽しみながら動画を見てくれれば」とほほ笑む。竹田さんも「聴覚障害者にとって手話を覚えてくれる人はとても貴重で、一言でも使ってもらえるとうれしいもの。ビジネスでも使えるし頭の体操にもなるので、覚えて力になってほしい」と熱弁した。

 2人は講演やインターネット手話教室なども行っている。動画や活動については、竹田さんが経営する会社「ハートフルパワー」のウェブサイト(http://www.heartfulpower.jp/)で。

カナロコ by 神奈川新聞    1月3日


「弱者ドキュメンタリーという第二の差別」気鋭の監督に聞くテレビの今

2016年01月04日 01時44分10秒 | 障害者の自立

劇場版『ヤクザと憲法』に登場する、元引きこもりの、ヤクザの青年。監督の土方宏史(ひじかた・こうじ ひじは土に「、」)さんは「彼から目が離せなくなった」「彼は現代のドロップアウト」と語り、作品は彼に優しく寄り添っていた。しかし、それは今の世の中に溢れる、いわゆる“弱者に寄り添うドキュメンタリー”とも違った。

だが、ここで、さらにひとつの疑問が湧く。なぜ、東海テレビという、愛知県のテレビ局というある種のメインストリームを歩んでいるように見える土方さんに、この作品が撮れたのか。これは、土方さんに限らず、東海テレビ全体に言えることなのかもしれない。
インタビューの後編は、その理由を聞くところから始めた。

フジテレビではない僕たちは

(C)東海テレビ放送

「そう言って頂けるのは、僕自身も全くメインストリームではない、ということがラッキーに働いているのかもしれません」

――土方さん自身に、自分はメインストリームではないという自覚があるのですか?

「そうですね。僕自身もですが、まずは局自体ですよね。僕たちはキー局にはなれない、ローカル局なんです。支局ではないので、どんなに頑張ってもフジテレビには入れない。ちょっとわかりづらいかもしれませんが、キー局というメインストリームではないという自覚があって、そこに対するコンプレックスもあるんです。

さらに、ドキュメンタリーをやっているということ自体が、テレビ局の中では全くメインストリームではないんです。僕自身も、制作部にいてバラエティ番組や情報番組を作っていて、そこからはじき出されて来ているんです。プロデューサーの阿武野に至っては、最初はアナウンサーでしたからね。僕らは、それぞれの場所から、弾かれて辿り着いた先がドキュメンタリーだったんです。もちろん、程度の差はあるかもしれませんが、僕自身にも、基本的に排除されて、居心地が悪く生きてきて、優等生ではないという自覚があります。ドキュメンタリーをやる人間には、そういう人間が多いんじゃないですかね」

記号として弱者を扱うドキュメンタリーはやりたくない

――元からドキュメンタリーがやりたかったワケではなかったんですね。

「いわゆるドキュメンタリーには全く興味がなくて、むしろやりたくなかったですね。ああいうキレイごとを言うのは、なんか嫌だなあという思いがあったんです」

――いわゆるドキュメンタリーとは、どういったものなのでしょうか?

「『ドキュメンタリーだからこのテーマじゃなきゃいけない』とか『このテーマをやっとけばいい』っていう作り手がおそらくいて、そういうドキュメンタリーが僕は大嫌いなんです。例えば『障害者だったらいいじゃん』『高齢者だったらいいじゃん』『子供出しときゃいいじゃん』といった感じで、深く考えずに、記号として障害者や高齢者を扱っている人たち。

彼らはドキュメンタリーという力を借りて『俺たちいいことやってるでしょ』と思い込む、ある種の思考停止になっているんですよね。もちろん、その先に考えや伝えたいことがあって、やっている人もいるとは思います。でも、地方のドキュメンタリーのコンクールなんかに行くと、そういった思考停止のものばっかりなんです。あれはもう第二の差別なんじゃないですかね」

自覚のないドキュメンタリーは第二の差別

――第二の差別、ですか?

「取材対象の方に本当にシンパシーを感じているのだろうか、と疑問に思うことがあるんです。だって、テレビ局員なんて、いくら給料もらっているんだって話じゃないですか。自分たちと取材対象の方の間には越えられない溝があって、それを自覚した上で、作っているならいいんです。でも、そうではなくて『自分たちはあなたたちの味方です』みたいなことを言いながら『僕たちとあなたたちは一緒ですよ』というフリをして近づく。そして『今いいセリフ言ったな。いただき!』みたいな感じで、自分たちの都合のいいところだけ切り取る……といったものが増えてきている気がするんです」

――確かにそれは、いち視聴者として見ていても感じるところがあります。

「多分もう、そんなのが世の中に見透かされつつあるんでしょうね。テレビ局の中で守られて、高い給料をもらって、リスク背負わずに、型にハマったものを出していく。『これをやっときゃいいでしょ』『このタレント出しときゃいいでしょ』と、ある意味視聴者を見ずに、社内を見てしまっている。そういうところが、もう一般の社会とズレてきちゃっていて、見ている側からすれば『お前たちって全然世の中と違うよ』って感じですよね。そこが、今テレビが叩かれている一因でもあると思います」

テレビ局員が表現者からリスク管理の側に

――おそらく、かつてに比べて、よりその感覚がズレてきているのだと思うのですが、そこに原因ってあるんですかね?

「テレビ局が、よい勤め先、安定した就職先になってしまっていることですかね。みんな、表現がどうこうではなく、肩書きとしてのテレビ局員を求めてしまうじゃないですか。これを就活生に言うと、みんな口ごもっちゃいますけど、本当にテレビ番組が作りたかったら制作会社に行けばいいわけですからね。
昔はもっと、『表現したい!』『こんなもの撮ってみんなに見せたい!』といった、純粋な作り手としての意識があったんでしょうけど、今はもう、どちらかというとリスクを管理する側になってしまっていますよね」

世の中がダメと言っていることに再考を促すのがテレビの仕事
(C)東海テレビ放送

――リスクというと、今回のヤクザを被写体にするドキュメンタリーという企画もリスクを含んでいるように見えます。

「みんな『ヤクザなんて扱ったらダメに決まってるじゃん』って言うんですよ。でも実は、ダメな理由をみんな考えたことがないんです。『世の中がダメだからダメでしょう』っていう感じなんですよね。でも、その世の中がダメって言っていることをもう1回考えてみましょうか、っていうのが僕らの仕事ですよね。そのダメとされている場所や人を見に行くのが僕らの仕事です。そこにビビったり、興味がなくなったら、それはもうジャーナリストではないですよね」

文字面だけ読むと、東海テレビという局に所属する土方さんが、自分をメインストリームではない、と言い切ることに違和感をもつ人もいるかもしれない。でも、1対1で対峙しながら、僕は言葉通りに土方さんの言葉を信じることが出来た。
そして、土方さんの作る作品は、メインストリームではないところを走ってきたからこそ掬いとれたもの、に溢れている。

自分が異質なものとして排除されてきた経験のある人は、良くも悪くも、自分と他者との線引きに自覚的になっていく。そして今回の、“いわゆるドキュメンタリー”を比較対象にした話でピンときた。他者であることの自覚がないほうがより差別的なのだ、と。そして、こちらのほうが、無自覚であるがゆえに、実は根が深い。
土方さんが他者としての自覚を持ち、他者として入りこんでいっているからこそ、見えてくるものが、この『ヤクザと憲法』では炙りだされている。

2016年1月2日    ソーシャルトレンドニュース