ALTER EGO

La vie est belle sauf la mienne?

Chronique 2014 後半

2014年12月30日 | Ma vie
6月
アラレちゃんメガネを買ってみた。遠くも近くもびっくりするくらいよく見える。遠近両用には最適かも。

7月
緑内障であると判明。自覚症状はまったくないのに。かなりへこんだけど、すぐに失明するわけではないと知って腹をくくった。症状が進行するのは目薬で延期できるらしい。完全に失明する前にたぶん死ねる。

8月
待ちに待ったお盆休み。1週間のおひとりさま。学生時代の後輩たちが誕生日を祝ってくれた。プレゼントまでありがとう。あんまりいい先輩じゃなかったのにありがとう。自分でも自分にプレゼントを買った。Mais 60 ans, c'est qui, qui les a eu?! お盆休みのおひとりさま。昼間、洗濯と掃除をしてから出かけて正解。帰ってもうちの中きれいきれい。夫はいない。はあぁ、この解放感。ça commence bien. 今年は漫画の翻訳の仕事は来なかった。毎年これでかなりたいへんな思いをするので、ちょっとホッとした。ちょっと寂しかったけどいい。

かなりひどかったまぶたから口元にかけてのけいれんが心なしかおさまってきている。やっぱりこれってストレスだった?「あなたがいなければ生きていけない」じゃなくて「あなたがいたら生きていけない」のかも。誰かの死を願うつもりはないが、早く未亡人になるのがわたしの夢。だが現実は、来年の1月には定年退職者をうちに迎えることになる。余命あと数ヶ月。時間がない。いいようのない焦燥感が戻ってくる。

お盆に来ていた人たちがまたむこうへ帰っていく。そっちで元気で幸せで平穏でいるんだよ。ずっとそこにいるんだよ。2度とこの世に送り込まれたりするんじゃないよ。してほしいことや、ほしい物があったら言うんだよ。また来年。忘れないから。

Tien, tu es revenu? Ca s'est bien passé ton séjour sur la terre cette annnée? As-tu revu des gens et revisité des endroits que tu aimais? Oui, j'écoute la Requiem de Mozart cette année aussi, en pensant à toi, avec des larmes aux yeux. C'est comme ça depuis 20 ans, tu te rends compte... Maintenant je peux rien faire pour toi et tu peux rien faire pour moi, mais on ne s'oublie pas encore. Je dis "on" car je sais que tu ne m'oublies pas, toi aussi. Merci d'être revenu, avant de repartir où tu es maintenant, et où y es tranquille, heureux. Bon retour et à l'année prochaine...

8/27(水)
時間がない、もう時間がない。
それはここに住み続けられる時間のことなのか、生きている時間のことなのかわからない。とにかく時間がない。こんなことしている場合じゃない、と思う。それなら何をすればいいのか、それもわからない。ただ、焦りのような、追い立てられるような感じ。

C'est quand, mon tour?

それが早く来てくれればいいのにと願う。
だけど、このまま「不幸」なまま、不幸に慣れ、麻痺したまま、やりたいこともやらず、我慢だけして、たいして楽しいこともなくて、人のためにだけ何かをして、このまま死ぬのもなんだかなぁ。
だけどみんなそうやって死んでいった。そうやってそのまま。けっきょくわたしもこのまま死ぬのかも。


9月
弟といっしょに父の墓参り。供えた花が青空に映えて美しかった。もう来なくてもいいと言っていた父が喜んでいるようだった。弟のオープンカーで山道を延々ドライブ。蕎麦屋のはしご。

10月
たぶん何もない。覚えていない。工房にはまじめに通っていたかな。パッセカルトンの代わりに始めた「なんちゃってパッセカルトン」だけど、これも作業はなかなかはかどらない。それでもコーネル装はゆがみなくできるようになった。

11月
ボツリヌス療法2回目。けいれんはなくなったがまたあの副作用が再来。涙がひどくてこの頃からコンタクトレンズをやめてメガネにした。このほうが手入れも目も楽だし。見かけなんかもうどうでもいいし。

12月
年末のこまごまとした「雑用」に追われる。


とくに後半、早くしないともう時間がない、こんなことしてる場合じゃない、と焦る気持ちが支配してた。ただ焦るだけで、それに対して何かをしたというわけでもない。Que puis-je faire? 時間としなければならないことに追われるだけの毎日。この焦りがどこから来ているのかよくわからない。来年早々やってくる夫の定年?自分の死?

1年を通じて母のことを考えていた。母が何をしたか、しなかったか。何と言ったか、言わなかったか。考えても暗い気持ちになるだけなのにやめられない。集めた記憶の断片をなんとか抽象化しようとするが、それもできない。ただ不愉快な思い出だけがとりとめなく去来する。手に負えないのは母がどうであるかというよりも、母をうとましいとしか思えないことに対する罪悪感のほうかもしれない。

Je n'aimais pas cette vie jusqu'à maintenant, mais je n'aimerai pas non plus la vie qui viendra. Bonne Année 2015? Tout sera encore pire, je le sais déjà...