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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「遺産問題」

2025年05月30日 05時30分21秒 | ルカ福音書より

今回から前回と同じルカによる福音書からですが、
新しいストーリーを取り上げたいと思います。

この箇所はあまり知られていない

個所かもしれませんが、
わたしはここにも深い真理が
隠されていると思います。

 ルカ福音書の12章13~21節のところです。

12:13 群衆の中の一人がイエスに言った。
「先生。遺産を私と分けるように、
私の兄弟に言ってください。」
12:14 すると、イエスは彼に言われた。
「いったいだれが、
わたしをあなたがたの裁判官や調停人に
任命したのですか。」
12:15 そして人々に言われた。
「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。
人があり余るほど持っていても、
その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
12:16 それからイエスは人々にたとえを話された。
「ある金持ちの畑が豊作であった。
12:17 彼は心の中で考えた。
『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。』
12:18 そして言った。『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、
私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。
12:19 そして、自分のたましいにこう言おう。
「わがたましいよ、
これから先何年分もいっぱい物がためられた。
さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」』
12:20 しかし、神は彼に言われた。
『愚か者、おまえのたましいは、
今夜おまえから取り去られる。
おまえが用意した物は、
いったいだれのものになるのか。』
12:21 自分のために蓄えても、
神に対して富まない者はこのとおりです。」(新改訳2017)

ひとりの人がイエスに頼みごとをしています。
どういう頼み事でしたか。
遺産の問題についてでしたが、
その人はイエスにどういうことを頼んだのですか。

それに対してイエスは
ひとつのたとえ話をしておられます。
どういうたとえ話でしたか。
それは誰に向かって話されたのですか。
ある金持ちの話でしたね。
その人の畑が豊作となった後の話でした。
沢山のお金を持っていた、
この人の畑が豊作となったのです。
持てる人はもっと持てるようになるのですね。

この人は、その沢山の作物を入れておくための
大きな倉庫を作りました。
そこまでは良かったのですが、
彼は予定が狂ってしまいました。
大きな計算違いをしていました。
どういう計算違いでしたか。

次回に続きます。
 
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「神の国の視点から」

2025年05月27日 05時30分41秒 | ルカ福音書より

ルカ10章の「マルタとマリア」のお話の最後です。
この話を神の国の視点から見ると
どうなるでしょうか。
イエスに聞き従う姿勢のあるところに、
神の国が現わされていきます。
なぜなら、イエスこそ、神の国(キングダム、王国)の王であるからです。
この視点から、マルタとマリアの話を見ていくなら
どうなるでしょうか。

台所でイライラし、喜びが不平と不満に
変わっていったマルタがいました。
これは神の国ではなく、人の国です。
マルタの国です。

そのマルタがイエスのところへ行きました。
イエスのみ言葉を聞きました。
個人的に語られたみ言葉です。
神の国の王の言われたみ言葉です。
しかし、王であっても、
この神の国の王はひとりの人の弱さを思いやる
ことのできる方です。
「この大祭司(イエスのこと)は、
わたしたちの弱さを思いやることの
できないようなかたではない。
罪は犯されなかったが、
すべてのことについて、
わたしたちと同じように試錬に会われたのである。」(ヘブル 4:15口語訳)

そうです。姉のマルタはイエスの語られたみ言葉を
通して神の国に触れたのです。
言い換えれば、自分の国からイエスのところへ行き、神の国に移ったのです。
神の国に移るつもりではなかったのですが、
イエスのところへ行ったからです。

イエスのもとに行く人は、
神の支配する神の国に行くのです。
「すべて重荷を負って苦労している人は、
わたしのもとに来なさい。
あなたがたを休ませてあげよう。」

イエスのところへ行く人は、
イエスの支配下に入りますから、
そこにはたましいの安息があります。

イエスがマルタの言うとおりにしてあげ、
「マリア、あなたもお姉さんの手伝いを
してあげなさい」と言えば、
マルタの国に入ることになります。

しかし、ここでイエスはご自分の主導権を
放棄しておられません。
「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに心を配って思いわずらっている。
無くてはならないものは多くはないのです。
いや、一つだけです。
マリヤはそのよい方を選んだのです。
それを彼女から取り去ってはなりません」

聖書のお話はここで終わっています。
後は読者が自分で想像するようにと、
言われているようです。
それでこれはわたしの想像です。
マルタはこのイエスの言葉を聞き、
それを受け入れ、
自分の国から神の国に移ったのだと、
わたしは思います。
ですから、もう一度、台所へ戻っていきました。
以前とは全く違った気持ちで台所に立っていました。
 イライラの気持ちが変わって、

イエスの愛を感じながら、
イエスの思いをしっかり受け止め、
台所での自分の仕事は、イエスのみ言葉が語られ、
それを聞いている人たちのためなのだ、
という感じだったのです。

「なぜなら、
神の国は食べたり飲んだりすることではなく、
 聖霊による義と平和と喜びだからです。」(ローマ14:17新改訳2017)
「まず神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、
これらのものはすべて、

それに加えて与えられます。」(マタイ6:33新改訳2017)

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「イエスとはどういう方か」

2025年05月23日 05時30分17秒 | ルカ福音書より

ルカ10章のマルタとマリアの話から
ここに語られているメッセージに
耳を傾けてきました。
最後近くになりましたが、では、
この短いお話からイエスとはどういう方でしょうか。

 イエスがどういう方かを問うていくことの大切さを前回、確認しました。
では、この短い箇所、ルカ10章38~42節から
イエスとはどういう方でしょうか。

 そのイエスの姿がマルタとマリアのふたりを通して見えてきます。
いろいろと言えると思いますが、
わたしなりに書き出してみます。

①イエスは人の弱さをわかってくださる方です。
 マルタにもマリアにも、

それぞれ弱いところがありましたね。
マルタは喜びが不平不満に変わってしまった
自分の気持ちをコントロール出来ませんでした。
弱さや問題があったからこそ、
最初からイエスの足元に座ってみ言葉を聞いていた
妹のマリアだったと、わたしは思います。
イエスはこのふたりのことをよくわかっていました。

②お話の邪魔をされたにもかかわらず、
そのマルタとしっかり向き合って、
本人もどうしようもない気持ちを、
しっかり受け止め、整理し、
大切なことをハッキリさせられた方、
イエスはそのような方です。

③人を責めるのではなく、愛をもって

本当のことをはっきり言ってくれる方です。
「愛をもって真理を語る」(エペソ4:15)
 イエスはどんな顔をして「マルタ、マルタ」と

声をかけられたのか、
ここでそのことを想像することは
イエスのイメージにつながります。

④人にとって何が大切なことかという
価値観と優先順位がハッキリしておられる方です。

⑤人に振り回されることなく、
ご自分の主導権でことを判断し、
言うべきことをハッキリ言われる方です。

その他にも、
いろいろと言えることがあると思います。

イエスとはどういう方か。
そのイエスは
「きのうも今日もいつまでも変わることのない方です」
そのイエスに出会う人は救われます。
変えられます。成長していきます。
 そこに「いのち」があるからです。

さて、ここでの5番目のことは、
神の国に関係のあることです。
イエスは言われました。
「まず神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのものはすべて、
それに加えて与えられます。」(マタイ6:33新改訳2017)

次回は、この神の国の視点から、
マルタとマリアの話を見ていき、
このお話を終わりにしたいと思います。

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「聖書の中心テーマ」

2025年05月20日 05時30分06秒 | ルカ福音書より

ルカ福音書10章からの続きで、マルタとマリアの話です。
少し横道にそれます。

わたしたちは3-4名くらいの小グループのバイブルトークをしていく時、
すべての話し合いの行き着く先を決めています。
皆が自由に自分の意見を言い合うことも
大切なことですが、
ただそれだけで各自の意見発表会で
終わってしまうのは、惜しいですね。
ここでグループのリードをする人の役割が大切です。それは話し合いの行き着く先を
しっかりつかんでいて、
全体がそちらに向かっていくためです。

その行き先とは一言で言えば、
「イエスとはどういう方か」です。

わたしたちの信仰とは、
聖書の知識を沢山増やしていくことで、
成長していくのでしょうか。
わたしはそう思っていた頃もあります。

次のみ言葉が、
わたしたちのバイブルトークの中心的なみ言葉です。

ヨハネ5:39‐40
あなたがたは、
聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、
 この聖書は、

わたしについてあかしをするものである。
しかも、あなたがたは、
命を得るためにわたしのもとにこようともしない。
(口語訳)

これはイエスが
当時のユダヤ人たちに対して言われた言葉ですが、
今日のクリスチャンにも当てはまると、
わたしは思っています。

聖書を読む目的を、
イエスはハッキリ語っておられます。
聖書が人によって書かれたのではなく、
聖霊に導かれ、
聖霊によって人が書いたものであるとするなら、
イエスご自身は聖書のことをよく知っておられ、
またその聖書をとても重視しておられます。
その聖書の中心テーマはイエスご自身である
と明言しておられます。
このイエスのもとに行く人のために
聖書があります。
このイエスのもとに行くと
何が得られるのでしょうか。
 霊的な深い知識でしょうか。

それも必要かもしれません。

イエスのもとに行くと、「いのち」が
与えられるのです。
ところが、聖書を読んでいても、
「あなたがたは、
命を得るためにわたしのもとにこようともしない」
と言われる人もいるわけです。
かつては、わたしもそのひとりでした。

聖書を読んで、知識を得ることも必要です。
しかし、一番大切なことは「いのち」を
得ることです。

 「いのち」を得ると、どうなるのでしょうか。
わたしの言い方です。
命を得ると、人は元気になります。
喜び、愛、平安を得るからです。

という理由で、そこに話し合いの着地点を置いて、共に聖書に向き合っていく小グループのバイブルトークをわたしは大切に思っています。

ということで、
この「マルタとマリア」のお話から
イエスとはどういう方でしょうか。
この話は、
ただマルタとマリアの話というだけではなく、
マルタとマリアを通して見えてくるイエスとは
どういう方か、が中心テーマです。
そして、そのイエスのもとに行く人は、イエスと出会い、その人はいのちを得ます。
初心者でも、信仰歴の長い人でも、
その人の段階に応じてイエスのもとに行くことで、
その人はイエスと出会い、いのちを得ます。
ですから、聖書を読む人は、
この中心テーマをはずしてはいけません。

さて、このお話の場面を思い浮かべながら、
また今まで学んできたことも振り返りながら、
このお話から、
あなたにとってイエスとはどういう方かを
一つでもふたつでも書き出してみませんか。
(そんなヒマはありませんけど・・・)
そんな暇はない人は書き出さなくても、
何かをしながらでも思いめぐらしてみませんか。
車を運転しながらでもです。
もちろん、安全運転を心がけながら、
この聖書のお話の場面を思い巡らすのです。
そして、イエスとはどういう方なのか
を求めていくのです。
 「求めなさい。

そうすれば与えられます。
探しなさい。
そうすれば見出します。
門をたたきなさい。
そうすれば開けてもらえます。」(マタイ7:7)


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「祈りについて」

2025年05月16日 05時30分35秒 | ルカ福音書より

ルカ福音書10章からの続きです。
マルタとマリアの話です。
「無くてはならないものは多くない。
一つだけである」とイエスは言われました。
誰に向かって言われましたか。
姉のマルタに言われました。

イエスは、
マリアがそれを選んでいると言われました。
マリアはイエスからどういうみ言葉を聞いていたのかについては、何も書かれていません。
マリアのみ言葉を聞く、その姿勢そのものを
イエスは重視しておられますね。

ここから、私たちへの適用があります。
主に聞こうとする姿勢が大切なのです。
主に聞いても、
主が何を語られない時もあります。
すぐに答えが返ってくるとは限りません。
だから、
もう主に聞いても語ってもらえない
と思っている人もいるかもしれません。
ここでイエスが
大切なこととして言っておられるのは、
主のみ言葉に聞く姿勢です。

ここで、話は変わりますが、
マルタは正解でした。
(何が、ですか。)
自分の心の中のイライラの問題を人にではなく、
イエスにもっていったからです。
そして、
「妹がわたしだけに接待をさせているのを
何とも思われないのですか」
とイエス言っています。
イエスに聞いていますね。
イエスのところに行って、イエスに聞いています。
これは妹のマリアとは違った聞き方です。

ここからわたしは祈りについて学びます。
マルタがイエスに言ったこと、
それはただ言ったというだけではなく、
わたしたちから言えば、それは祈りです。
 イエスに自分の心の思いを正直に言うことは

祈りです。
祈りとはただ何かのお願いだけではなく、
イエスとの交わり、関係をもつことです。

問題を人にもっていく人もいます。
人にわかってもらいたいからでしょうか。
人の方がすぐに答えが返ってくるからでしょうか。
関係のない人にもっていくのは、
自分の理解者を増やしたいからでしょうか。

しかし、
マルタは問題をイエスのところにもっていきました。
それは正解でした。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、
わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。」(マタイ 11:28口語訳)
「神はあなたがたをかえりみていて下さる
のであるから、
自分の思いわずらいを、
いっさい神にゆだねるがよい。」(Ⅰペテロ5:7口語訳)

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