イエスのたとえ話「放蕩息子」のところからです。
ルカ15章11節からの話で、前回の続きです。
家に帰って来た弟息子は、
お父さんを前にして用意していた言葉を
全部言えたでしょうか。
お父さんを前にして用意していた言葉を
全部言えたでしょうか。
言えなかったようです。
どの言葉が言えなかったのでしょうか。
彼は「雇い人の一人にしてください。」と
言っていません。
言っていません。
息子と呼ばれる資格はない
と思っていた彼にとって、
これは一番大切だと思える、その言葉が、
なぜ、言えなかったのでしょうか。
と思っていた彼にとって、
これは一番大切だと思える、その言葉が、
なぜ、言えなかったのでしょうか。
想像できることがあります。
「息子と呼ばれる資格はありません」
と言った息子に対して、
と言った息子に対して、
お父さんはそばにいたしもべたちに
「一番良い服を持って来て、この子に着せなさい」
と言っています。
「一番良い服を持って来て、この子に着せなさい」
と言っています。
その後、このお父さんは何と言いましたか。
「手に指輪をはめ」と言っています。
家にいる雇人がどんなに素晴らしい雇人であっても、その人にこの父親は指輪を
与えることはないはずです。
与えることはないはずです。
指輪は息子にしか与えません。
「息子と呼ばれる資格はない」
と言っている息子に、
お父さんは指輪を与えると言っています。
と言っている息子に、
お父さんは指輪を与えると言っています。
彼が何をしたからでしょうか。
息子がしっかり悔い改めていることを
確認したからでしょうか。
確認したからでしょうか。
ルカ15:20-22
15:20 こうして彼は立ち上がって、
自分の父のもとへ向かった。
自分の父のもとへ向かった。
ところが、まだ家までは遠かったのに、
父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、
父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、
駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。
15:21 息子は父に言った。
『お父さん。私は天に対して罪を犯し、
あなたの前に罪ある者です。
あなたの前に罪ある者です。
もう、息子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 ところが父親は、しもべたちに言った。
『急いで一番良い衣を持って来て、
この子に着せなさい。
この子に着せなさい。
手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい・・・』
これはお父さんがしもべに言っている言葉ですが、
「指輪を」と言っている重大なひと言を、
息子は聞き逃すはずはありません。
「指輪を」と言っている重大なひと言を、
息子は聞き逃すはずはありません。
これは思ってもいなかった父親の言葉でした。
それはある意味、決定的な言葉でしたので、
彼は「雇人のひとりにしてください」
とは言えなかった、とわたしは思います。
彼は「雇人のひとりにしてください」
とは言えなかった、とわたしは思います。
豚を飼っていた時に、弟息子が想像していた父親と、この時、実際に出会った父親とは
全く違っていました。
全く違っていました。
もっと言えば、この息子は、
父親がどういう人であるかを
本当は知らなかったのです。
父親がどういう人であるかを
本当は知らなかったのです。
主イエスを信じているクリスチャンであれば、
この父親は父なる神であることがわかっています。
この父親は父なる神であることがわかっています。
あなたやわたしも父なる神が
自分の想像していた方とは違っていたという、
そういう経験はないでしょうか。
自分の想像していた方とは違っていたという、
そういう経験はないでしょうか。





