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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「想像していた父親と実際の父親」

2025年02月28日 05時30分07秒 | 聖書の真理発見

イエスのたとえ話「放蕩息子」のところからです。
ルカ15章11節からの話で、前回の続きです。

家に帰って来た弟息子は、
お父さんを前にして用意していた言葉を
全部言えたでしょうか。
言えなかったようです。
どの言葉が言えなかったのでしょうか。
彼は「雇い人の一人にしてください。」と
言っていません。

息子と呼ばれる資格はない
と思っていた彼にとって、
これは一番大切だと思える、その言葉が、
なぜ、言えなかったのでしょうか。

想像できることがあります。
「息子と呼ばれる資格はありません」
と言った息子に対して、
お父さんはそばにいたしもべたちに
「一番良い服を持って来て、この子に着せなさい」
と言っています。
その後、このお父さんは何と言いましたか。

「手に指輪をはめ」と言っています。
家にいる雇人がどんなに素晴らしい雇人であっても、その人にこの父親は指輪を
与えることはないはずです。
指輪は息子にしか与えません。
「息子と呼ばれる資格はない」
と言っている息子に、
お父さんは指輪を与えると言っています。

彼が何をしたからでしょうか。
息子がしっかり悔い改めていることを
確認したからでしょうか。

ルカ15:20-22
15:20 こうして彼は立ち上がって、
自分の父のもとへ向かった。
ところが、まだ家までは遠かったのに、
父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、
駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。
15:21 息子は父に言った。
『お父さん。私は天に対して罪を犯し、
あなたの前に罪ある者です。
もう、息子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 ところが父親は、しもべたちに言った。
『急いで一番良い衣を持って来て、
この子に着せなさい。
手に指輪をはめ、足に履き物をはかせなさい・・・』

これはお父さんがしもべに言っている言葉ですが、
「指輪を」と言っている重大なひと言を、
息子は聞き逃すはずはありません。
これは思ってもいなかった父親の言葉でした。
それはある意味、決定的な言葉でしたので、
彼は「雇人のひとりにしてください」
とは言えなかった、とわたしは思います。

豚を飼っていた時に、弟息子が想像していた父親と、この時、実際に出会った父親とは
全く違っていました。
もっと言えば、この息子は、
父親がどういう人であるかを
本当は知らなかったのです。

主イエスを信じているクリスチャンであれば、
この父親は父なる神であることがわかっています。
あなたやわたしも父なる神が
自分の想像していた方とは違っていたという、
そういう経験はないでしょうか。

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「言えなかった言葉」

2025年02月25日 05時30分29秒 | 聖書の真理発見


ルカ15章の話の続きです。
遠い国に行って、放蕩をし、
父親からもらった財産をすべて失い、
お腹を空かして家に帰って来たこの息子を
手放しで喜び、抱きしめている人がいます。
 お父さんでした。
これはすごい感動的な場面ですね。

この父親は、息子が何をしたので、
このように赦し受け入れたのでしょうか。
 彼がしたことと言えば、
すべてを失って帰って来ただけです。

普通の話であれば、
息子がこれこれこういう態度を示したので、
お父さんは彼を赦して家に入れてやった、
ということはあるでしょう。

ところが、
このイエスのお話の中のお父さんのことは、
わかるようでわかりにくいと思いませんか。
やっていることはわかります。
 しかし、何でそこまで・・・というところが
わかりにくいのです。
普通のお父さんとはまるで違うからです。

ルカ15:18-24
15:18 立って、父のところに行こう。
そしてこう言おう。
「お父さん。私は天に対して罪を犯し、
あなたの前に罪ある者です。
15:19 もう、息子と呼ばれる資格はありません。
雇い人の一人にしてください。」』
15:20 こうして彼は立ち上がって、
自分の父のもとへ向かった。
ところが、まだ家までは遠かったのに、
父親は彼を見つけて、かわいそうに思い、
駆け寄って彼の首を抱き、口づけした。
15:21 息子は父に言った。
『お父さん。私は天に対して罪を犯し、
あなたの前に罪ある者です。
もう、息子と呼ばれる資格はありません。』
15:22 ところが父親は、しもべたちに言った。
『急いで一番良い衣を持って来て、
この子に着せなさい。
手に指輪をはめ、
足に履き物をはかせなさい。
15:23 そして肥えた子牛を引いて来て屠りなさい。
食べて祝おう。
15:24 この息子は、死んでいたのに生き返り、
いなくなっていたのに見つかったのだから。』
こうして彼らは祝宴を始めた。(新改訳2017)

さて、ここでもう一つ、
注目したいことがあります。
この弟息子は、豚を飼っている時に、
お父さんのところへ帰って、
こう言おうと思っていたことがありました。
実際にお父さんを前にして彼は
その言葉を全部言えたでしょうか。
言えなかったようです。
どの言葉が言えなかったのでしょうか。

彼にとっては一番大切だと思っていた、
その肝心な言葉が、なぜ、言えなかったのでしょうか。
どう思いますか。
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「息子と雇人」

2025年02月21日 05時30分29秒 | 聖書の真理発見

ルカ福音書15章の放蕩息子のところ
の話の続きです。
この息子は財産もすべて失い、
食べることにも窮し始め、
お腹を空かす日々を過ごしている中で、
父のところには食物の有り余っている雇人が
大勢いることを思い出しました。
そして、豚の世話をしながら彼が思ったことは、
もう息子と呼ばれる資格はないので、
雇人のひとりにしてもらおうと思って、
家に向かって帰って行きました。
とにかく、家に入れてもらい、
食べ物にも困らなくなるのは、
この方法しかないと思ったのです。

15:16 彼は、豚が食べているいなご豆で
腹を満たしたいほどだったが、
だれも彼に与えてはくれなかった。
15:17 しかし、彼は我に返って言った。
『父のところには、パンのあり余っている雇い人が、なんと大勢いることか。
それなのに、
私はここで飢え死にしようとしている。
15:18 立って、父のところに行こう。
そしてこう言おう。
「お父さん。私は天に対して罪を犯し、
あなたの前に罪ある者です。
15:19 もう、息子と呼ばれる資格はありません。
雇い人の一人にしてください。」』(ルカ15:16-19新改訳2017)

息子と雇人とはどう違うでしょうか。
同じ家にいても、同じように食事をしていても、
息子と雇人とは全然違いますね。
雇人は雇用関係の中で働いている人たちであって、
解雇されることもあるわけです。
それに対して、息子であれば、
解雇されることはないですね。
親と子とは雇用関係ではなく、
血筋の関係ですから、
雇人以上に強いきづなで結ばれています。

わたしもあなたも主イエスを信じて、救われ、
神の家族の中に入れていただきました。
これは雇用関係ではなく、
主イエスの十字架の犠牲による
新しい契約関係によってです。
雇人ではなく、神の子とされたのです。
そして、雇人であれば、
相続できるものはありませんが、
子どもには相続の権利があります。

15 あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、
子たる身分を授ける霊を受けたのである。
その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。
・・・・・
17 もし子であれば、相続人でもある。
神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、
キリストと共同の相続人なのである。(ローマ 8:15,17 口語訳)

そして、父親は帰って来たこの息子を手放しで喜び、抱きしめています。
これはすごい感動的な場面です。
ところで、この父親は、息子が何をしたので赦したのでしょうか。
この話は主イエスを信じて救われたあなたやわたしにも関係のあることでしょうか。
 どう思いますか。
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「息子が失ったもの」

2025年02月18日 05時30分17秒 | 聖書の真理発見

ルカ福音書15章の「放蕩息子」の話からです。
弟息子は、遠い国で父親からもらった財産を
すべて失いました。
そしてまた、食べるものも無くなったのです。
その上で、
この人が失ったものがもう一つありました。
おわかりですね。
「息子と呼ばれる資格」を失ったと
彼は自分で言っています。
彼が言っているこの言葉に注目したいと思います。

生きていく上で、
お金や食べ物も大切なものですが、
「息子と呼ばれる資格」も、
これは目には見えませんが、大切なものです。

この息子の言っていることは、
今日多くの人が口にする言葉です。
「ああ、こんなことでは、
わたしは親としての資格はない」
「わたしはもう、
クリスチャンとしての資格はない。」

わたしも、遠い昔のことですが、
「わたしはもう牧師としての資格はない」
と思い、新聞の求人欄ばかり見ていた時が
ありました。

資格があるとかないとか言うのは、
もっと言えば、自分のアイデンティティに
関係することです。
自分という人間はどういう者であるか、
に関係することです。

今日、自分探しをしている若者たちが
多いと聞きます。

聖書に出て来るこの放蕩息子も、
お父さんから財産をもらって、
遠い国に出て行った、その動機は、
自分探しの旅に出たとも言えます。
何かをやって実績を上げ、
自分の人間としての存在価値を確かめたい
という思いからだったかもしれません。
その結果、何年後かはわかりませんが、
財産も無くなり、
食べることにも窮し始めたのです。
つまり、まったく結果を出せなかったわけです。

アメリカのメジャーリーグに行って、
日本人選手としてスゴイ結果を出した人がいますね。この人は今日、皆に注目されています。

結果を出せなかった、
この弟息子の口から
「もう、息子と呼ばれる資格はない」
という言葉が出てきています。
これがこの人の自分探しの旅の行き着く先でした。
何かの結果を出してこそ、
自分の人間としての存在価値があるのであって、
何の結果も出せなければ、
人間としての存在価値もないということです。
これは辛いことですね。

しかし、このような辛い思いをしている人たちは、
あなたやわたしの周りにはいないでしょうか。
別に放蕩をしているわけではなくても、
自分なりの存在価値を確かめるために、
いろいろなことをやって満足できる結果を
得られていない人たちです。
一応、お金もあり、それなりの生活が出来ていても、心では自分が何のために生きているのか
わからなくなっている人たちです。

さて、この放蕩息子の話の著者は誰でしたか。
ルカが書いたのですが、
この話をされたのは、イエスご自身です。

ルカ15:18,19
立って、父のところに行こう。
そしてこう言おう。
「お父さん。私は天に対して罪を犯し、
あなたの前に罪ある者です。
もう、息子と呼ばれる資格はありません。
雇い人の一人にしてください。」』(新改訳2017)

ということは、
イエスは人間とはどういう者であるかを
よくわかっておられる方です。
イエスは人間の理想を教えているというよりも、
今も変わらない人間の現実を
わかりやすく教えています。

ところで、この放蕩息子は、
息子ではなく、雇人のひとりにしてください
と言おう、と言っています。

息子と雇人とはどう違うでしょうか。
どう思いますか。
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「よく知られているお話」

2025年02月14日 10時03分56秒 | 聖書の真理発見

長年、聖書を読んでおられる方にはおなじみの、
よく知られたお話があります。
何度も聞いている話で、
そこから別に新しいことを教えられることもない
と思えるところです。

わたしは最近、バイブルトークをやっていて、
この分かりやすい個所を、
信仰歴の長いクリスチャンたちと質問を通して
話し合う時をもちました。
それもいくつものグループでやってみました。
そこからわたし自身、
改めて示されたことがありました。
そのことをここで分かち合いたいと思います。

一つは「マルタとマリア」のところ、
もう一つは「放蕩息子」の話です。

今回はしばらくこの「放蕩息子」のところを
取り上げたいと思います。
この箇所は未信者向きのところであって、
クリスチャンには新鮮味のないお話し
と思われるかもしれません。
しかし、わたしが今、示さていることは、
この話は信仰歴の長い人にも、
主に仕えている牧師にも無関係でない話だ
と思っています。

弟息子はお父さんから財産をもらって、
遠い国へ出て行きました。
そして、自分のやりたいことをして
財産を湯水のように使い尽くしてしまったのですね。その後、その地方にひどい飢饉が襲いました。
これは弟息子にとっては、
泣き面に蜂、踏んだり蹴ったりの出来事だった
と思われます。

この人はその後、豚を飼う仕事をしながら、
豚の食べているもので、
自分もお腹を満たしたいと思うほどでした。
しかし、
誰も彼に食べ物をくれる人はいませんでした。

彼は財産も失い、
食べるものもなかったのですが、
もう一つ失ったものがありました。
何でしたか。

では、聖書の個所を、途中からですが、
見てください。

ルカ15章16-19節
15:16 彼は、豚が食べているいなご豆で腹を
満たしたいほどだったが、
だれも彼に与えてはくれなかった。
15:17 しかし、彼は我に返って言った。
『父のところには、
パンのあり余っている雇い人が、
なんと大勢いることか。
それなのに、
私はここで飢え死にしようとしている。
15:18 立って、父のところに行こう。
そしてこう言おう。
「お父さん。私は天に対して罪を犯し、
あなたの前に罪ある者です。
15:19 もう、息子と呼ばれる資格はありません。
雇い人の一人にしてください。」』(新改訳2017)

おわかりですね。
彼は父親から受け取った財産を
湯水のように使ってしまい、
また食べていくことも出来ないような
生活環境に置かれました。
その上で、本人が失った、
と思っているものがありました。
上記の聖書の個所から判断して、
その失ったものとは何だと思いますか。

次回に続きます。
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