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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「明日から先のこと」

2025年01月31日 05時30分14秒 | ヨハネ福音書より

ヨハネ21章15節からの続きです。
ガリラヤ湖畔で朝食を共にした弟子たちでしたが、
復活のイエスはその中のひとり、
ペテロにだけ声をかけて、
ふたりで話をしておられます。

「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。

とペテロに聞いておられます。
このイエスの聞き方についてどう思いますか。
なぜ、このような聞き方をされたのでしょうか。
ここから何か思うことがありますか。

わたしはあります。
以前、ペテロが言っていた言い方に、
ここでイエスは合わせておられるようです。
復活のイエスは、
以前のペテロのことを覚えておられたのです。

マタイ26:33
するとペテロはイエスに答えて言った、
「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、
わたしは決してつまずきません」。(口語訳)

「みんなの者」とは他の弟子たちのことですね。
 ペテロは他の弟子たちと自分を比べているのです。
それで、イエスは「この人たちが愛する以上に・・・」と言われたのではないでしょうか。
復活後のイエスは、墓の中から復活された後、
以前のことをすべて忘れてしまわれた
のではないようです。

ここでイエスは、弟子たち皆に向かって
「あなたがたはわたしを愛しているか」
とは聞かれませんでした。
なぜでしょうか。
大漁の奇跡を体験したのは
ここにいる弟子たち皆でした。
イエスが用意していた朝の朝食を食べているのも、
ここにいる弟子たち皆でした。
 しかし、「わたしを愛しているか」という、

この言葉は他の弟子たちには言われず、
ペテロにだけ個人的に言っておられます。
これはご自分の気に入った人とそうでない人を
差別しておられるのでしょうか。
他の弟子たちのことは無視しておられるかのように、ペテロと一対一で向き合っておられます。
その中で、
自分との愛と信頼の関係を大切なこととして確認し、ご自分の羊のことを託しておられます。

これはわたしの想像です。
これは差別ではありません。
イエスは、ペテロが弟子たちの中でリーダーシップをもっていることを知っておられたようです。
ペテロが「わたしは漁に行く」と
ひとりで行こうとした時、
他の6人の弟子たちも「わたしたちも一緒に行こう」と言ってついてきました。
イエスはこのようなペテロと他の弟子たちの関係を
知っておられたようです。
ペテロが率先してやっていくなら、
他の弟子たちも後についてくるという、
ペテロのリーダーシップの賜物を
イエスはよく知っておられたのです。
ですから、ひとりペテロの心が動かされるなら、
他の弟子たちもペテロに影響され、
ついて行くことをイエスは
よくわかっておられたのです。

この後の時代の使徒行伝を読んでみると、
確かにペテロは大勢の弟子たちの中で
リーダーシップを発揮しているのが分かります。

ここでイエスとはどういう方だと言えますか。
ペテロや弟子たちの過去のことには触れず、
明日から先のことについて話しておられます。
わたしはその反対の傾向があります。
明日から先のことはまったく分からず、
過ぎ去ったことに心を奪われやすいわたしとは
大違いです。
あなたはどうですか。

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「この人たち以上に」

2025年01月28日 05時30分37秒 | ヨハネ福音書より
今の時代は、過ちや失敗の責任が、
場合によっては厳しく追及される時代です。
このような時代の中で、
わたしたちは人生に挫折した人たちに
どう接していけばよいのでしょうか。

主イエスの十字架を目前に、挫折し、
イエスを裏切った弟子たち。
その弟子たちに対して、
復活のイエスはどのように対応されたでしょうか。
 もう一度彼らが再出発するために、
どのように導かれていったでしょうか。

これは、人生の挫折を経験した人たちに対して、
わたしたちがどう接していけばよいか
の模範でもあります。

ヨハネ福音書21章の続きです。
夜どおしガリラヤ湖で漁をして
疲れていた弟子たちは、
イエスが用意しておられた朝食を食べました。
早朝の湖畔でのことです。
 その後、話はどうなったでしょうか。

「皆さん、お腹いっぱい食べましたか。
それでは話したいことがあります。
あなたがたはこれからもわたしの弟子としてやっていってくれますか。」
とは聞かれませんでした。

ヨハネ21章15節
21:15 彼らが食事をすませると、
イエスはシモン・ペテロに言われた、
「ヨハネの子シモンよ、
あなたはこの人たちが愛する以上に、
わたしを愛するか」。
ペテロは言った、
「主よ、そうです。
わたしがあなたを愛することは、
あなたがご存じです」。
イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」
と言われた。(口語訳)

食事の途中ではなかったのです。
食事が終わるのを待って、
イエスの口から出た最初の言葉は
弟子たち皆に対してではなく、
ひとりペテロに対して言われた言葉でした。
「ヨハネの子シモンよ」
とイエスはペテロ個人に語りかけておられます。
あたかもそばに他の弟子たちはいないかのように、
です。

イエスは皆に対して話しておられる場合があります。しかし、他の弟子たちがそばにいるのに、
個人的に誰かひとりに声をかけておられることも
少なくありません。

大勢の群衆がいて、
他の弟子たちもそばにいたのですが、
イエスはひとりの弟子、
ピリポにだけ声をかけて、
「どこからパンを買って来て、
この人たちに食べさせようか」
と聞かれましたね。

この場合も、他に6人の弟子たちがいたのですが、
その人たちには関係ないかのように、
ひとりペテロにだけ声をかけておられます。
ペテロ本人も他の人たちもいるのに、
なぜ自分ひとりに声をかけられたのだろうか、
と思ったはずです。
「あなたはこの人たちが愛する以上に、
わたしを愛するか」
 ここでイエスの聞いておられることは、
この人たち以上にと言っておられますので、
他の弟子たちのことも意識しておられたようです。
しかし、ここで、なぜ、人と比較するような、
このような言い方をされたのでしょうか。
どう思いますか。

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「再出発」

2025年01月24日 05時30分13秒 | ヨハネ福音書より

復活のイエスがガリラヤ湖畔に現れた、
その時の話を見てきました。
大漁の奇跡を体験した後、
弟子たちはイエスが用意されたと思われる
朝食を食べていました。

ここでもう一つ、思い起こしたいことがあります。
夜明けのガリラヤ湖の岸に
立っておられた復活のイエスの言葉、
「舟の右の方に網をおろして見なさい。
そうすれば、何かとれるだろう」
との指示に従って弟子たちが網を下ろした時、
大漁の魚が取れました。
これに似た話を思い出しませんか。
そうです。
ずっと前の話です。
弟子たちがイエスの招きに応じて
弟子として従っていった、あの時も
同じことが起こっています。
覚えておられますね。

ルカによる福音書5:4-7
4 話がすむと、シモンに
「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみなさい」
と言われた。
5 シモンは答えて言った、
「先生、わたしたちは夜通し働きましたが、
何も取れませんでした。
 しかし、お言葉ですから、
網をおろしてみましょう」。
6 そしてそのとおりにしたところ、
 おびただしい魚の群れがはいって、
網が破れそうになった。
7 そこで、もう一そうの舟にいた仲間に、
加勢に来るよう合図をしたので、
彼らがきて魚を両方の舟いっぱいに入れた。
 そのために、舟が沈みそうになった。(口語訳)

実は、弟子たちはイエスと出会った初期の段階で、
同じこのガリラヤ湖で
同じような大漁の奇跡を経験しています。
その時、イエスは彼らに
「今からあなたは人間をとる漁師になるのだ」
と言われました。

そういう意味で、このガリラヤ湖は、
イエスに従っていく弟子たちの
スタート・ラインとなったところでした。
それから3年半ほどの月日が経ち、
またここで弟子たちは同じような大漁の奇跡を
経験したのです。
しかし、今回は、状況が大きく違っていました。
弟子たちがイエスを裏切って逃げてしまった
という苦い経験の後のことでした。

ペテロを始め弟子たちは、
湖畔で朝食を食べながら、
前にもこんなことがあったなー
と思い出したに違いありません。
復活のイエスは、
弟子たちがご自分につまずいたという
過去のことについて、
敢えてそれを話題にしていませんが、しかし、
彼らが最初の頃に経験した大漁の奇跡のことを
思い出させています。

あの時は、宣教開始間もない時のイエスでした。
この時は、十字架の後、復活されたイエスでした。
この両方のイエスは別々の方ではなく、
つながっている同じ方でした。
復活の後の、同じガリラヤ湖での大漁の奇跡は
そのことを示しています。
3年間もご自分のそばで、
弟子訓練をされたその弟子たちが
簡単につまずいたことで、
彼らはもう弟子としての資格はない
と思われても仕方のない状況でした。

ということから判断できるのは、
復活のイエスは、
挫折したこの弟子たちに
もう一度やり直す再出発の機会を与えておられます。
二度にわたる大漁の奇跡には、
このようなイエスからの
無言のメッセージが発信されているようです。

イエスとはどういう方だと思いますか。

「神の賜物と召命は、取り消されることがないからです」(ローマ11:29新改訳2017)

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「過去のことは」

2025年01月21日 05時30分41秒 | ヨハネ福音書より

前回の続きです。
復活されたイエスが3度目に弟子たちに
ご自身を現わされたところです。
それはガリラヤ湖畔でのことでした。
その復活のイエスが、
一晩中漁をして朝を迎えた弟子たちと
朝食を共にしておられるところです。

ヨハネによる福音書21章11~14節
10イエスは彼らに言われた、
「今とった魚を少し持ってきなさい」。
11シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると、
百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた。
そんなに多かったが、網はさけないでいた。
12イエスは彼らに言われた、
「さあ、朝の食事をしなさい」。
弟子たちは、主であることが分かっていたので、
だれも「あなたはどなたですか」と
進んで尋ねる者がなかった。
13イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、
また魚も同じようにされた。
14イエスが死人の中からよみがえったのち、
弟子たちにあらわれたのは、
これで既に三度目である。(口語訳)

復活のイエスは7人の弟子たちに
「さあ、朝の食事をしなさい」と言っておられます。
一晩中、暗い海で働き続けていた弟子たちに、
です。
イエスはここでまだ、
自己紹介をしておられません。
弟子たちもこの方が誰であるかを確認していません。
進んで「あなたはどなたですか」と
尋ねる者はいなかったのです。
ということは、自己紹介をしていなくても、
その方が主イエスであることがわかっていた
というのです。
イエスの方もまた、
弟子たちに何かを聞いていません。
たとえば、
「あなたがたはどうして
また元の漁師にもどったのですか」
とは聞いておられません。
どうぞ遠慮なく食べてください、
とも言われず、
「イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、
また魚も同じようにされた」(13節)のです。

ここでもイエスは率先して弟子たちに仕えておられる感じです。
ここでイエスは、「食事の前に、
ひと言お聞きしたいが、
わたしが十字架にかけられていた時、
あなたがたはどこにいたのですか」
などとは聞いていません。

過去と言っても、つい先日のことですが、
大変な出来事があった、
その後であるにもかかわらず、
何もなかったかのように振舞っておられます。

わたしの場合は、
過去にあった出来事が大きなことであればあるほど、それが頭の中にあって忘れることは
出来ないところがあります。

ここに出て来る弟子たちも
きっと心には前の出来事、
つまりイエスの十字架の死という出来事が
まだ忘れられない時であったはずです。

しかし、このガリラヤ湖畔でのイエスは、
弟子たちが逃げたり、裏切ったりした過去のことを
何もなかったかのように振舞っておられます。

ここでもう一つ気づくことがあります。
夜明けの岸に立っておられた復活のイエスは、
その時から、
ずっと主導権を取って弟子たちに接しておられます。
「何か食べるものがありますか」
「舟の右に網を下ろしてみなさい」
「今とった魚を少し持ってきなさい」。
「さあ、朝の食事をしなさい」。
短い言葉ですが、
最初の質問以外は、
すべて弟子たちに対して指図をして主導権を
とっておられます。
そのイエスは弟子たちが過去に
どういうことをしたかについては、
もう忘れたかのように一切触れていません。

あなたはこのイエスのことをどう思いますか。

過ぎ去った辛く悲しい出来事は、
なかなか忘れられず、
くよくよと考えてしまう自分と比較して、
わたしはこのイエスのことがとても不思議に思えます。
弟子たちはこの時、
パンと魚を食べながら、
どんな思いで空腹のお腹を満たしていたのでしょうか。
どう思いますか。

 
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「朝食の準備は」

2025年01月17日 04時32分47秒 | ヨハネ福音書より

復活されたイエスが、
ガリラヤで弟子たちと会っておられます。
とてもドラマチックな出会いでした。
人は誰も考えつかないような出会いでした。

大漁の奇跡、そして「あれは主だ」と聞いて、
水に飛び込んだペテロ。
その後、この話はどうなったのでしょうか。

ヨハネ福音書21:7-10
7イエスの愛しておられた弟子が、
ペテロに「あれは主だ」と言った。
シモン・ペテロは主であると聞いて、
裸になっていたため、
上着をまとって海にとびこんだ。
8しかし、ほかの弟子たちは舟に乗ったまま、
魚のはいっている網を引きながら帰って行った。
陸からはあまり遠くない五十間(約90メートル)
ほどの所にいたからである。
9彼らが陸に上って見ると、
炭火がおこしてあって、
その上に魚がのせてあり、
またそこにパンがあった。
10イエスは彼らに言われた、
「今とった魚を少し持ってきなさい」。(口語訳)

岸には、炭火をおこしてあり、
パンと魚が用意されていました。
7人の弟子たちのためだったようです。

こんなに早い時間に、
誰がこのような朝食を用意していたのでしょうか。
夜が明ける前にイエスは岸に立っておられた、
と言われていますのが、それ以前に、
この朝食は準備されていたようです。

早朝にこれを用意するのに、どれくらいの時間がかかったと思いますか。

あなたは朝食の準備にどのくらい時間がかかっていますか。
わたしは家内にやってもらっていますので、
自分ではわかりませんが、
30分から1時間近くはかかっているでしょうか。

それにしても、
誰がこのガリラヤ湖畔で夜明け前から
朝食の準備していたのでしょうか。
ここでは復活のイエス以外には考えられませんね。
とすれば、イエスは
どのようにして炭火をおこされたのでしょうか。
フッフッと火をおこしている
イエスの様子が想像できますか。
それとも魔法のようにさっと火を
おこされたのでしょうか。
パンは前もってどこかから手に入れていたとしても、魚はどのように確保したのでしょうか。
これはイエスひとりではなく、
誰か手伝ってくれた人がいたのでしょうか。

福音書の著者のヨハネはこのことについて
何も書いていません。
わたしたちが自由に想像するように
と思ったのでしょうか。
わたしたちはこの話は神話でも、
作り話でもなく、
本当にあった話だと思っていますので、
このように想像することは
無駄ではないと思います。

復活のイエスが時間をかけて、
まだ夜が明けないうちから弟子たちのために
炭火をおこして朝食の準備をしておられた
という事実を確認したいのです。
十字架上でわたしやあなたのために
ご自身のいのちを犠牲とされた同じイエスが、です。

あなたも今日、朝食の準備をされたでしょうか。
毎日毎日、平凡な生活の一部となっている
朝食の準備をするとき、
あなたもこのガリラヤ湖畔で弟子たちのために、
炭火をおこし、
その上に魚をのせ、
パンも用意しておられた復活のイエスのことを
思い起こしませんか。
その時、イエスについて
どういう思いが起こされるでしょうか。
次回に続きます。
 
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