ヨハネ21章15節からの続きです。
ガリラヤ湖畔で朝食を共にした弟子たちでしたが、
復活のイエスはその中のひとり、
ペテロにだけ声をかけて、
ふたりで話をしておられます。
復活のイエスはその中のひとり、
ペテロにだけ声をかけて、
ふたりで話をしておられます。
「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。
とペテロに聞いておられます。
このイエスの聞き方についてどう思いますか。
なぜ、このような聞き方をされたのでしょうか。
なぜ、このような聞き方をされたのでしょうか。
ここから何か思うことがありますか。
わたしはあります。
以前、ペテロが言っていた言い方に、
ここでイエスは合わせておられるようです。
ここでイエスは合わせておられるようです。
復活のイエスは、
以前のペテロのことを覚えておられたのです。
以前のペテロのことを覚えておられたのです。
マタイ26:33
するとペテロはイエスに答えて言った、
「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、
わたしは決してつまずきません」。(口語訳)
「たとい、みんなの者があなたにつまずいても、
わたしは決してつまずきません」。(口語訳)
「みんなの者」とは他の弟子たちのことですね。
ペテロは他の弟子たちと自分を比べているのです。
ペテロは他の弟子たちと自分を比べているのです。
それで、イエスは「この人たちが愛する以上に・・・」と言われたのではないでしょうか。
復活後のイエスは、墓の中から復活された後、
以前のことをすべて忘れてしまわれた
のではないようです。
以前のことをすべて忘れてしまわれた
のではないようです。
ここでイエスは、弟子たち皆に向かって
「あなたがたはわたしを愛しているか」
とは聞かれませんでした。
なぜでしょうか。
「あなたがたはわたしを愛しているか」
とは聞かれませんでした。
なぜでしょうか。
大漁の奇跡を体験したのは
ここにいる弟子たち皆でした。
ここにいる弟子たち皆でした。
イエスが用意していた朝の朝食を食べているのも、
ここにいる弟子たち皆でした。
しかし、「わたしを愛しているか」という、
この言葉は他の弟子たちには言われず、
ペテロにだけ個人的に言っておられます。
ここにいる弟子たち皆でした。
しかし、「わたしを愛しているか」という、
この言葉は他の弟子たちには言われず、
ペテロにだけ個人的に言っておられます。
これはご自分の気に入った人とそうでない人を
差別しておられるのでしょうか。
差別しておられるのでしょうか。
他の弟子たちのことは無視しておられるかのように、ペテロと一対一で向き合っておられます。
その中で、
自分との愛と信頼の関係を大切なこととして確認し、ご自分の羊のことを託しておられます。
自分との愛と信頼の関係を大切なこととして確認し、ご自分の羊のことを託しておられます。
これはわたしの想像です。
これは差別ではありません。
イエスは、ペテロが弟子たちの中でリーダーシップをもっていることを知っておられたようです。
ペテロが「わたしは漁に行く」と
ひとりで行こうとした時、
他の6人の弟子たちも「わたしたちも一緒に行こう」と言ってついてきました。
ひとりで行こうとした時、
他の6人の弟子たちも「わたしたちも一緒に行こう」と言ってついてきました。
イエスはこのようなペテロと他の弟子たちの関係を
知っておられたようです。
ペテロが率先してやっていくなら、
他の弟子たちも後についてくるという、
ペテロのリーダーシップの賜物を
イエスはよく知っておられたのです。
ですから、ひとりペテロの心が動かされるなら、
他の弟子たちもペテロに影響され、
ついて行くことをイエスは
よくわかっておられたのです。
知っておられたようです。
ペテロが率先してやっていくなら、
他の弟子たちも後についてくるという、
ペテロのリーダーシップの賜物を
イエスはよく知っておられたのです。
ですから、ひとりペテロの心が動かされるなら、
他の弟子たちもペテロに影響され、
ついて行くことをイエスは
よくわかっておられたのです。
この後の時代の使徒行伝を読んでみると、
確かにペテロは大勢の弟子たちの中で
リーダーシップを発揮しているのが分かります。
確かにペテロは大勢の弟子たちの中で
リーダーシップを発揮しているのが分かります。
ここでイエスとはどういう方だと言えますか。
ペテロや弟子たちの過去のことには触れず、
明日から先のことについて話しておられます。
明日から先のことについて話しておられます。
わたしはその反対の傾向があります。
明日から先のことはまったく分からず、
過ぎ去ったことに心を奪われやすいわたしとは
大違いです。
明日から先のことはまったく分からず、
過ぎ去ったことに心を奪われやすいわたしとは
大違いです。
あなたはどうですか。





