今年も、今日が最後の日となりました。
始めがあれば、終わりがあります。
しかし、これがあなたやわたしの人生のすべてではありません。
イエス・キリストを信じているわたしたちには
永遠のいのちが与えられているからです。
ヨハネ19章の続きです。
ここに、
イエスを十字架にまで追い込んできた
ユダヤ人たちを、
何とか説得し、イエスを赦そうとしている
ピラトがいます。
このピラトは良い人だと思いますか、
悪い人だと思いますか。
19:4 するとピラトは、
また出て行ってユダヤ人たちに言った、
「見よ、
わたしはこの人をあなたがたの前に引き出すが、
それはこの人になんの罪も見いだせないことを、
あなたがたに知ってもらうためである」。
19:5 イエスはいばらの冠をかぶり、
紫の上着を着たままで外へ出られると、
ピラトは彼らに言った、
「見よ、この人だ」。
19:6 祭司長たちや下役どもはイエスを見ると、
叫んで
「十字架につけよ、十字架につけよ」と言った。
ピラトは彼らに言った、
「あなたがたが、この人を引き取って
十字架につけるがよい。
わたしは、彼にはなんの罪も見いだせない」。
19:7 ユダヤ人たちは彼に答えた、
「わたしたちには律法があります。
その律法によれば、彼は自分を神の子とした
のだから、死罪に当る者です」。
19:8 ピラトがこの言葉を聞いたとき、
ますますおそれ、
19:9 もう一度官邸にはいってイエスに言った、
「あなたは、もともと、どこからきたのか」。
しかし、イエスはなんの答もなさらなかった。
ここで、ピラトはイエスに何の罪も見いだせない、と何度言っていますか。
そうです。
ユダヤ人たちに対して2度も言っています。
罪を見出せないのであれば、
ピラトはローマ政府を代表する総督という立場で、
その権威によってイエスを赦し、
釈放すことも出来たはずです。
ピラトはなぜそうしなかったのでしょうか。
彼は良い人でしょうか、悪い人でしょうか。
ピラトはここで何かを恐れたようです。
何を恐れたのでしょうか。
ユダヤ人たちの間で、騒ぎが大きくなり、
暴動が起こることも恐れていたかもしれません。
さらに、ユダヤ人がイエスのことを、
自分を神の子としたと言ったことで
ますます恐れたようです。
ユダヤ教のことはよく分からないとしても、
自分が神の子を十字架につけることについて
恐れたようです。
それで、イエスが何者なのかを、
もう一度、本人から聞きだそうとしています。
けれども、それもうまくいきませんでした。
イエスを赦そうとしていた総督ピラトが、
最終的にイエスを十字架につける決断を下した、
その決定的な理由はどういうことでしたか。
ただ、ユダヤ人たちを恐れ、
その訴えの声に負けて、そうしたのでしょうか。
19章10節以下をもう少し読んで
判断してみてください。
わたしもこの1年を振り返って、
恐れによって判断し、
行動したことがなかったとは言えません。
主に聞き、み言葉を信じて、
主に聞き、み言葉を信じて、
聖霊の導きに従って判断し行動する者
となりたいと思っています。





