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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「何の罪も見いだせない」

2024年12月31日 05時30分06秒 | ヨハネ福音書より

今年も、今日が最後の日となりました。
始めがあれば、終わりがあります。
しかし、これがあなたやわたしの人生のすべてではありません。
イエス・キリストを信じているわたしたちには
永遠のいのちが与えられているからです。

ヨハネ19章の続きです。
ここに、
イエスを十字架にまで追い込んできた
ユダヤ人たちを、
何とか説得し、イエスを赦そうとしている
ピラトがいます。
このピラトは良い人だと思いますか、
悪い人だと思いますか。

 19:4 するとピラトは、
また出て行ってユダヤ人たちに言った、
「見よ、
わたしはこの人をあなたがたの前に引き出すが、
それはこの人になんの罪も見いだせないことを、
あなたがたに知ってもらうためである」。
 19:5 イエスはいばらの冠をかぶり、
紫の上着を着たままで外へ出られると、
ピラトは彼らに言った、
「見よ、この人だ」。
 19:6 祭司長たちや下役どもはイエスを見ると、
叫んで
「十字架につけよ、十字架につけよ」と言った。
ピラトは彼らに言った、
「あなたがたが、この人を引き取って
十字架につけるがよい。
わたしは、彼にはなんの罪も見いだせない」。
 19:7 ユダヤ人たちは彼に答えた、
「わたしたちには律法があります。
その律法によれば、彼は自分を神の子とした
のだから、死罪に当る者です」。
19:8 ピラトがこの言葉を聞いたとき、
ますますおそれ、
 19:9 もう一度官邸にはいってイエスに言った、
「あなたは、もともと、どこからきたのか」。
しかし、イエスはなんの答もなさらなかった。

ここで、ピラトはイエスに何の罪も見いだせない、と何度言っていますか。
そうです。
ユダヤ人たちに対して2度も言っています。
罪を見出せないのであれば、
ピラトはローマ政府を代表する総督という立場で、
その権威によってイエスを赦し、
釈放すことも出来たはずです。
ピラトはなぜそうしなかったのでしょうか。

彼は良い人でしょうか、悪い人でしょうか。
ピラトはここで何かを恐れたようです。
何を恐れたのでしょうか。
ユダヤ人たちの間で、騒ぎが大きくなり、
暴動が起こることも恐れていたかもしれません。
さらに、ユダヤ人がイエスのことを、
自分を神の子としたと言ったことで
ますます恐れたようです。
ユダヤ教のことはよく分からないとしても、
自分が神の子を十字架につけることについて
恐れたようです。
それで、イエスが何者なのかを、
もう一度、本人から聞きだそうとしています。
けれども、それもうまくいきませんでした。

イエスを赦そうとしていた総督ピラトが、
最終的にイエスを十字架につける決断を下した、
その決定的な理由はどういうことでしたか。
ただ、ユダヤ人たちを恐れ、
その訴えの声に負けて、そうしたのでしょうか。

19章10節以下をもう少し読んで
判断してみてください。

わたしもこの1年を振り返って、
恐れによって判断し、
行動したことがなかったとは言えません。
 主に聞き、み言葉を信じて、
聖霊の導きに従って判断し行動する者
となりたいと思っています。

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「罪人らの反抗を耐え忍んだ方」

2024年12月24日 07時24分41秒 | ヨハネ福音書より

ユダのこと、ペテロのことを見てきた後、
今年もクリスマスのストーリーに向き合ってきました。
ここからヨハネ福音書に帰って、
19章に進みます。

イエスはゲッセマネの園で逮捕され、
大祭司の屋敷に連れていかれました。
そこで宗教裁判にかけられ尋問されました。
その後、
ローマの総督ピラトの官邸に連れていかれ、
ピラトの取り調べを受けることになります。
 「お前の同胞たちがお前を訴えているのだ。
お前はいったい何をしたのか」
と問いながらも、
ピラトはイエスを釈放しようと努めていたのですが、ユダヤ人たちの激しい叫びによって、
結局は十字架につけることになりました。
十字架につけられて息を引き取られる直前に
イエスの口から出た言葉がいくつかあります。
どれも短い言葉ですが、
とても意味のある言葉です。
そこにも目をとめたいと思います。

ヨハネ19:1-3
 19:1 そこでピラトは、イエスを捕え、むちで打たせた。
 19:2 兵卒たちは、いばらで冠をあんで、イエスの頭にかぶらせ、紫の上着を着せ、
 19:3 それから、その前に進み出て、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。そして平手でイエスを打ちつづけた。(口語訳)
 
人に無視されるような貧しい飼い葉おけの中に
生まれ、ご自身を低くし、
この世に生を受けられたイエスは、死ぬ時、
どのような死に方をされたのか、
聖書はその所を詳しく記しています。

ユダヤ人指導者たちによって捕らえられたイエスは、当時のローマの権威である総督ピラトのところへ
連れて行かれました。
その時、イエスのことを全く知らず、
ただ普通の犯罪人と見て、
何もわかっていないローマの兵士たちが
イエスに対して酷いことをしています。
いばらの冠を作り、それをイエスの頭にかぶせ、
イエスを侮辱し、辱めています。
その上、イエスに暴力を振るい、
平手で殴り続けています。

わたしはイエスのそのような姿ではなく、栄光に輝くイエスの姿を見たいと思います。
あなたやわたしがその場にいたとすれば、
とてもその酷い光景を見ておらなかったでしょう。
しかし、聖書のみ言葉は、あなたやわたしがその光景を目で見えるように記しています。
なぜでしょうか。
理由があるからです。

ヘブル12:3 
「あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだ方のことを、思いみるべきである。」(口語訳)

「あなたがたは、罪人たちの、ご自分に対するこのような反抗を耐え忍ばれた方のことを考えなさい。
あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないようにするためです。」(新改訳2017)

次回に続きます。

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「ヨセフの決断」

2024年12月24日 05時30分51秒 | クリスマス・ストーリー

マリアとの婚約関係を破棄しようとしていたヨセフは、夢から覚めた後、
マリアを妻として迎えました。
夢でしたが、主から語られたと信じての決断でした。

ここにヨセフのすばらしい決断がありました。
誰かに説得されたのではなく、
これは青年ヨセフの信仰の決断ですね。
マリアのお腹から生まれてくる子どもを自分の子どもとして受け入れる決断でした。

マタイ1:24,25
1:24 ヨセフは眠りからさめた後に、主の使が命じたとおりに、マリヤを妻に迎えた。
1:25 しかし、子どもが生れるまでは、彼女を知ることはなかった。
 そして、その子をイエスと名づけた。(口語訳)

主からのチャレンジに
ヨセフは勇気をもって応えたのです。
ヨセフは責任感のある人でした。
 常識的には理解できないことであり、

人に分かってもらえることでもなかったのですが、
マリヤのことを受け入れました。

ところで、この話から神とはどういう方でしょうか。
神がどういう方かを見ていくことは、
わたしやあなたの信仰にも関係してきます。

神の御計画が実現していくためには、
それに協力する誰かが必要とされます。
その協力とは特別に何かをすることではなく、
主の言われたみ言葉に従うことでした。
主はそのような人として、

青年ヨセフに目を留められたのです。
ここで、神はヨセフの信仰による決断を

大事に考えておられます。
 また、学歴もなくお金もないヨセフに

ご自分の御計画のすべてを賭けておられます。
スゴイ神さまだと思いませんか。

一方で、神はイエスの人生の目的を生まれる前から
決めておられました。

 わたしやあなたのこの人生は

自分で手に入れたものなのか。
それとも与えられたものか。
与えられたものであるとするなら、
それは何のために与えられたのだろうか。
与えた側に何かの考えや目的があるはずです。
 それは宿命や単なる運命ではなく、

わたしの願いや意志や信仰による決断も
必要となります。
神はそのように人をそれぞれ違った方法で
導いておられます。

わたしも今まで生きてきた自分の人生の歩みを
振り返ってみる時、
神の御計画の中にあったのだと受け取ると、
そこに感動があり、
人と比べる必要がないことが分かってきます。

わたしの人生の目的が神から与えられている
とするなら、
その目的に向かって生きていくことが
わたしに課せられています。
神からの目的が与えられていても、
その目的に向かって生きることをしないで
終わってしまう生き方はしたくないと思っています。

ヨセフにとってのクリスマスは
大変な決断の時でしたが、
わたしのとっての今年のクリスマスは
自分の人生を振り返る時となりました。
あなたの場合はどうですか。

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「インマヌエル」

2024年12月20日 05時30分59秒 | クリスマス・ストーリー

マリアからイエスの処女降誕の知らせを聞き、
離縁を考えていたヨセフは、
今度は夢という不思議な方法で知らされています。

しかし、わたしたちにはヨセフと同じように夢で
知らされることはありません。
主は、わたしたちにはどういう方法で
知らせておられるのでしょうか。
そうですね。
夢ではなく、
前もって聖書のみ言葉によって知らせておられます。
主は夢という方法でも語られますが、
誰にでも分かるように預言者によっても語られます。
それは旧約聖書の預言を通してです。

マタイ1:22-23
1:22 すべてこれらのことが起ったのは、
主が預言者によって言われたことが
実現するためである。すなわち、
1:23 「見よ、おとめ(若い娘)がみごもって男の子を産むであろう。
 その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。
これは、
「神われらと共にいます」という意味である。

イエス降誕のはるか以前に、
主なる神は旧約聖書をとおして
その降誕のことを語っておられました。
預言者の口を通してです。
ここでイエスの名は、
インマヌエル(「神われらと共にいます」の意味)と呼ばれています。
「われら」ですから、
イエスの誕生は「われら」と無関係ではなく、
神がわたしたちと共におられるという意味です。
今日も主は、
イエス・キリストの生涯を通して、
わたしたちに語っておられます。
それは、わたしたちにも関係のないことではなく、
神がわたしたちとも共におられる
というメッセージです。
神があなたやわたしと共におられる、
これはクリスマスのメッセージでもあります。

マタイ 28:20 
あなたがたに命じておいたいっさいのことを
守るように教えよ。
見よ、わたしは世の終りまで、
いつもあなたがたと共にいるのである」。(口語訳)

今日も聖霊によって、
主はわたしたちと共におられます。
ダビデはそのことを預言的にあかししています。

詩篇139:1-7を読んでみてください。
139:2 あなたは私の座るのも立つのも知っておられ、遠くから私の思いを読み取られます。
139:3 あなたは私が歩くのも伏すのも見守り、
私の道のすべてを知り抜いておられます。
139:4 ことばが私の舌にのぼる前になんと【主】よ、あなたはそのすべてを知っておられます。
139:5 あなたは前からうしろから私を取り囲み、
御手を私の上に置かれました。
139:6 そのような知識は私にとって
あまりにも不思議、
あまりにも高くて及びもつきません。
139:7 私はどこへ行けるでしょう。
あなたの御霊から離れて。
どこへ逃れられるでしょう。
あなたの御前を離れて。・・・(新改訳2017)

次回に続きます。

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「主の介入」

2024年12月17日 05時30分34秒 | クリスマス・ストーリー

イエスの処女降誕の知らせを聞いて、
信じられなかった最初の人は
マリアの婚約者のヨセフでした。
そのヨセフのことを、
あなたは頑固で不信仰な人間だと思いますか。

このヨセフは多くの普通の人の代表である
と言えます。
そのような人が、神の人類救済という
大きなご計画のために選ばれています。

マタイ1:19-21
1:19 夫ヨセフは正しい人であったので、
マリヤのことを表ざたにするのを望まず、
ひそかに離縁しようと決心した。
1:20 ヨセフがこのことを思いめぐらしていたとき、
主の使が夢に現れて言った、
「ダビデの子ヨセフよ、
心配しないでマリヤを妻として迎えるがよい。
 その胎内に宿っているものは聖霊によるのである。
 1:21 マリヤは男の子を産むであろう。
その名をイエスと名づけなさい。
 この方は、
ご自分の民をそのもろもろの罪から救う者と
なるからである」。

マリアと離縁しようとしていたヨセフに
主が介入されました。
主の御使いが夢でヨセフに現れました。
聖霊によるイエス降誕の出来事に直面して、
思い悩んでいたヨセフを主は、
不信仰な人間だと見放しておられません。
「心配しないで、マリアを妻として迎えなさい」
と言っておられます。

右にも左にも行けない、
前にも進めないと思い詰めていたヨセフにとって、
御使いのこの短い一言は何と希望にあふれた
言葉だったでしょうか。

それだけで終わりではありません。
夢に現れた御使いは、
ヨセフに対して、生まれてくる子どものことについて4つの情報を伝えています。
 ひとつは、
「その胎内に宿っているものは聖霊によるのです」
2つ目は、マリアは男の子を産みます。
3つ目は、
「この方こそ、ご自分の民をそのもろもろの罪から
救う者となる方です」
 あとひとつは、どういうことでしたか。

 ヨセフはマリアの口から
聖霊によって身ごもったことを聞かされていた
と思いますが、
信じられませんでした。
その後、もう一度、御使いの口から同じことを
聞かされています。
御使いはそのことが信じられるように
詳しい説明をしていません。

あなたやわたしも最初、
イエス・キリストのことを誰か人から聞かされ、
その時は信じられなくても、
その後、聖書のみ言葉などから同じように聞かされて信じるようになったという体験はありませんか。

ここで御使いの言葉によれば、
生まれる前からその子が男の子か女の子かが
ハッキリされています。
現代医学では、胎児が2,3か月にもなれば、
男か女かが分かるようです。
更に驚くことは、まだ胎児としての形もない時に、
その子が何のために生まれてくるのか、
その人生の目的についてハッキリ言われています。
4つ目の、
もうひとつ言われていることは何でしたか。
そうです。
生まれてくるその子の名前が
前もって決められていたのです。

子どもの名前は、普通は誰が決めますか。
これも驚きです。
思い悩んで別れることを考えていた青年ヨセフは、
この後どうしたでしょうか。

次回に続きます。

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