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浜崎英一ブログ「聖書との対話」

わたしは今も、70年近く読んできた聖書を心の支え、人生の指針として親しみ、感動を覚えている。

「どちらが本当のペテロか」

2024年11月29日 05時30分51秒 | ヨハネ福音書より

前にも話したことです。
ゲッセマネの園で、
イエスを捕らえに来た人たちに対して
剣を振るったのはペテロでした。
しかし、ここには、
大祭司の中庭に入って行って、
門番の女性に「あなたもあの人の弟子ではないか」
と聞かれて時、
即座に「いや、そうではない」
と答えているペテロがいます。

一方は大胆なペテロです。
もう一方は
自分を守るために嘘を言っているペテロです。
全く別人のようですね。
どちらが本当のペテロなのでしょうか。

それにしてもペテロは
大胆にもイエスが捕らえられている大祭司の屋敷の
中庭に入り込んだのです。
ここまでは大胆なペテロです。

あたりは夜で、街灯があるわけでもなく、
真っ暗だったでしょう。
炭火が炊いてあって、
人々がその周りを囲んでいました。
ペテロも何気ない様子で、
その人たちの中に入って
一緒に炭火にあたっていたのです。
あたかも自分も同じ仲間であるかのようにです。
彼はどんな思いでそこにいたのでしょうか。

その炭火の明かりがわずかに
人の顔を照らしていたと思われます。
暗い夜です。
人の中に紛れ込んでいれば、
誰にも分からないはずだと彼は思ったのでしょうか。

ペテロの方は自分も仲間と思われるように、
そこにいたのですが、
他の人たちから見ると見知らぬ男が入ってきた、
と分かったようです。

人々が彼に言いました。
「あなたも、あの人の弟子のひとりではないか」。
ペテロはそれをうち消して、
「いや、そうではない」と言いました。
最初に言った嘘が嘘だとばれないために、
もう一度、「そうではない」と通しました。

ああ、ペテロ、あなたはどうしたのですか。
場所が変われば、
人もそのように変わるのでしょうか。

そして、更に決めつけは、
あの時、ペテロが剣を抜いた現場にいた人が何と、
目の前にいたのです。

「『あなたが園であの人と一緒にいるのを、
わたしは見たではないか。』
ペテロはまたそれを打ち消した。
するとすぐに、鶏が鳴いた。」(18:26、27)

他の福音書では、鶏が鳴いた時、
ペテロも泣いたとあります。

イエスの一番弟子とも思っていた、
このペテロとはどういう人だと思いますか。
なぜ、聖書にペテロにとって不名誉限りない、
こんな話が記されているのでしょうか。
どう思いますか。

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「もうひとりの弟子」

2024年11月25日 05時10分34秒 | ヨハネ福音書より

ヨハネ福音書に帰ります。
ユダの話の後は、もうひとりの弟子ペテロの話です。
ユダの話の結末は悲惨な結果でしたが、ペテロの場合はどうだったのでしょうか。
このペテロの話から、主はあなたに何を語っておられるでしょうか。
聖霊に期待して、耳を傾け、聞いていきましょう。

この話の少し前に、
ゲッセマネの園でイエスを捕らえに来た人たちに
対して剣を振りかざして立ち向かった人がいました。
誰でしたか。
ペテロでした。
ここでもイエスが捕らえられ、
連行されていった時、
その後をつけて、
大胆にも大祭司の中庭にまで
入って行った男がいました。
ペテロでした。

ヨハネ18:15-22
 18:15 シモン・ペテロともうひとりの弟子とが、
イエスについて行った。
この弟子は大祭司の知り合いであったので、
イエスと一緒に大祭司の中庭にはいった。
 18:16 しかし、ペテロは外で戸口に立っていた。
すると大祭司の知り合いであるその弟子が、
外に出て行って門番の女に話し、
ペテロを内に入れてやった。
 18:17 すると、
この門番の女がペテロに言った、
「あなたも、
あの人の弟子のひとりではありませんか」。
ペテロは
「いや、そうではない」と答えた。
 18:18 僕や下役どもは、
寒い時であったので、
炭火をおこし、そこに立ってあたっていた。
ペテロもまた彼らに交じり、
立ってあたっていた。
 18:19 大祭司はイエスに、
弟子たちのことやイエスの教のことを尋ねた。
 18:20 イエスは答えられた、
「わたしはこの世に対して公然と語ってきた。
すべてのユダヤ人が集まる会堂や宮で、
いつも教えていた。
何事も隠れて語ったことはない。
18:21 なぜ、わたしに尋ねるのか。
わたしが彼らに語ったことは、
それを聞いた人々に尋ねるがよい。
わたしの言ったことは、
彼らが知っているのだから」。
 18:22 イエスがこう言われると、
そこに立っていた下役のひとりが、
「大祭司にむかって、そのような答をするのか」
と言って、平手でイエスを打った。
 18:23 イエスは答えられた、
「もしわたしが何か悪いことを言ったのなら、
その悪い理由を言いなさい。
しかし、正しいことを言ったのなら、
なぜわたしを打つのか」。
 18:24 それからアンナスは、
イエスを縛ったまま大祭司カヤパのところへ送った。
 18:25 シモン・ペテロは、
立って火にあたっていた。
すると人々が彼に言った、
「あなたも、あの人の弟子のひとりではないか」。
彼はそれをうち消して、
「いや、そうではない」と言った。
 18:26 大祭司の僕のひとりで、
ペテロに耳を切りおとされた人の親族の者が言った、
「あなたが園であの人と一緒にいるのを、
わたしは見たではないか」。
 18:27 ペテロはまたそれを打ち消した。
するとすぐに、鶏が鳴いた。

この話から主はあなたやわたしに
何を語っておられるでしょうか。
次回に続きます。

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「悲惨な結末」

2024年11月22日 05時30分06秒 | ヨハネ福音書より

ユダについて見ています。
今日のところは、ユダのことについて、
さらに分からなくなるようなところです。
ユダの最後はどうなったのでしょうか。

何とユダは自分のやったことを後悔したのです。
彼は最後まで極悪な悪人ではなかったと言えます。
何がきっかけで後悔したのでしょうか。
不思議なことですが、
宗教会議においてイエスが有罪判決を受けたことを
耳にしたことで、彼は後悔したのです。
なぜ、ユダはこうなることを
予想していなかったのでしょうか。
彼はただ、イエスを売った代金、
銀30枚の報酬が欲しかったのでしょうか。
彼はただお金、お金という貪欲な人生を
生きていたのでしょうか。
そうでもなさそうです。
彼はそのお金を返しに行っています。
そして
「わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました」と悔い改めています。
この時の宗教的な権威ある偉い人たちの前で
ユダは悔い改めています。
ユダはこの時、
イエスのことを「罪のない人の血を」
と言っています。
しかし、祭司長たちは、
もう既にこのイエスを「罪に定めていた」のです。
時遅しです。
これも何とも不思議な話ですね。

ユダはイエスのことを罪のない人と
言っていますが、
祭司長たちはイエスのことを罪に定めていたのです。
その人たちに向かって、
ユダは悔い改めています。
この悔い改めは受け入れられるはずはないですね。
結果どうなりましたか。

マタイ27:3-8
27:3 そのとき、イエスを裏切ったユダは、イエスが罪に定められたのを見て後悔し、銀貨三十枚を祭司長、長老たちに返して
 27:4 言った、「わたしは罪のない人の血を売るようなことをして、罪を犯しました」。
しかし彼らは言った、「それは、われわれの知ったことか。自分で始末するがよい」。
 27:5 そこで、彼は銀貨を聖所に投げ込んで出て行き、首をつって死んだ。
 27:6 祭司長たちは、その銀貨を拾いあげて言った、「これは血の代価だから、宮の金庫に入れるのはよくない」。
 27:7 そこで彼らは協議の上、外国人の墓地にするために、その金で陶器師の畑を買った。
 27:8 そのために、この畑は今日まで血の畑と呼ばれている。(口語訳)

何とも悲惨な結果となりました。
ユダはそこまで思い詰めて、
自分のやったことについて自分を
責めていたのですね。
なぜ、もっと早く気がつかなかったのでしょうか。
ユダには誰か相談する仲間、
友だちはいなかったのでしょうか。
いや彼はその仲間の弟子たちをもだましていたので、相談することも出来ませんでした。
イエスは彼を友と呼んでいたのですが、
彼はひとりで考え、ひとりで行動していたのです。
そして、悲惨な結果を迎えました。

わたしは少し前のところで、
ユダの一連の行動のその動機は、
自己保身だったと言いました。
 しかし、この見解はわたしの個人的なものであって、これが正解だとは思わないでください。

ユダは金銭的に貪欲な人間だったからだ
という見方もあります。
確かに彼は会計係をしていて
お金をごまかしていたようです。
そしてある個所では、香油を注いだ女性に対して、
何ともったいないことを・・・
などと言っていますから、
物に対して結構、貪欲なところもあったと言えます。
そして、また、
自分の師であるイエスを銀30枚で売ったのです。
やはり、お金目当てだったのでしょうか。
お金欲しさからの浅はかな行動だったのでしょうか。
それでも彼はそのお金を返しに行っていますよ。
分からなくなりました。
ユダとはどういう人だったのでしょうか。
あなたはどう思いますか。



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「イエスに敵対する側」

2024年11月19日 05時30分34秒 | ヨハネ福音書より

ユダについて見ています。
以下は、前にも見た個所です。

イエスがゲッセマネの園で苦悩の祈りをされた後に
何が起こったでしょうか。
その場所にぞろぞろと大勢の人たちが
やって来ました。
その先頭にユダが立っていました。
何とそのユダがイエスに近寄り、
接吻したのです。
これは誰がイエスであるかを、
捕らえに来た人たちに知らせるための合図でした。

イエスの弟子であったはずのユダが、
今や公然とイエスに敵対する側にいることを
現しています。
この時、他の弟子たちは、
初めてユダのこのような姿を見て、
唖然としたのではないでしょうか。
ユダは自分の立場をハッキリしました。
自分はもうそちら側の人間ではない、
と言う立場です。
これはゲームではありません。
巨人ファンの人が阪神ファンに変わった
という程度のことではありません。
なぜ、ユダはこのような大胆な決断を
したのでしょうか。
彼はどこまで事の重大さを
分かっていたのでしょうか。

さて、この状況でイエスは
ユダに何と言われましたか。
「友よ、なんのためにきたのか」
と言われました。

これも不思議な言葉だと思いませんか。
まさに自分を逮捕するためにやって来た人たちの
先頭に立っていたユダに対して言われた言葉でした。
このイエスの言葉に何を感じますか。

イエスはこの状況で、
一番身の危険を感じる立場にいるにも関わらず、
恐れていません。
イエスはむしろ権威ある言葉で接しています。
神の国の王としての権威を失っておられません。
上記のことを聖書から確認してください。

マタイ26:46-50
26:46 立て、さあ行こう。
見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた」。
 26:47 そして、イエスがまだ話しておられるうちに、そこに、十二弟子のひとりのユダがきた。
 26:48 イエスを裏切った者が、
あらかじめ彼らに、「わたしの接吻する者が、
その人だ。その人をつかまえろ」
と合図をしておいた。
 26:49 彼はすぐイエスに近寄り、
「先生、いかがですか」と言って、
イエスに接吻した。
 26:50 しかし、イエスは彼に言われた、
「友よ、なんのためにきたのか」。
このとき、人々は進み寄って、
イエスに手をかけてつかまえた。

この緊迫した状況の中で、
イエスはユダのことを「友よ」と呼んでいます。
英訳では「フレンド」です。
ユダから見れば、
彼はイエスの敵の側についたのです。
もう友ではないはずです。
むしろ、「裏切者よ」とも
呼ぶべきではないでしょうか。
ということは、どういうことでしょうか。

ユダの方は、
イエスとの今までの関係を切ったのです。
しかし、イエスの方は関係を切っていない
ことになります。
当のユダは、
イエスの「友よ」と言った言葉を聞いたはずです。
彼は何と思ったでしょうか。
「えっ」と思ったかもしれませんが、
そのことを無視して、
前もって打ち合わせをしていた行動に出ています。
ここまで来たのですから、
もう後戻りはできないと思ったのでしょうか。

その「友よ」の後は、
「何のために来たのか」というイエスの問いでした。
明かに分かっていることを
イエスは問うておられます。
ということは、
イエスは分からないから聞いたのではありません。
 これは本人に、
自分のやっていることを
はっきり自覚させるための
権威ある問いでもあります。

自分が罪人として逮捕される、
このような状況にあっても、
イエスはご自分が神の国の王であることの
権威を失っておられません。
どう思いますか。
次回に続きます。

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「いや、あなただ」

2024年11月15日 05時30分49秒 | マタイ福音書より

イエスの12弟子のひとりでもあったユダ、
その人がなぜイエスを裏切るようなことを
してしまったのか。
この理由を簡単には言い切れないことが
分かってきました。

ヨハネ福音書に限ってと思っていたのですが、
やはりユダについての話は
マタイに一番詳しく書かれていますので、
マタイから見ていきます。

いわゆる最後の晩餐の時に、
イエスは突然、
弟子たちの中に自分を裏切る者がいる
ということを話題にされました。
すると、弟子たちは非常に心配して、
つぎつぎに
「主よ、まさか、わたしではないでしょう」
と言い出したのです。
これは「わたしではないですね」と
イエスに質問している言葉です。

変な言い方だと思いませんか。
なぜ、ハッキリ「主よ、わたしではありません」
と言わなかったのでしょうか。

その時、ユダも他の弟子たちと同じように、
イエスに向かって
「まさか、わたしではないでしょう」
と言ったのです。
よくこんなことが言えたものです。

ご存じですね。
実は、この少し前に、
ユダは宗教指導者である祭司長たちのところへ
行っています。
そして、イエスを引き渡す交渉をし、
そのことでお金をもらっていたのです。

そんなことは誰も知られていないと思ったのか、
他の弟子たちと同じように
「まさか、わたしではないでしょう」言ったのです。

それに対して、
イエスはユダに何と言われましたか。
「いや、あなただ」と言われました。
その後、
「お前は、なぜ、そんなことをするのか」
とは言われませんでした。

イエスはそれ以上のことは言われず、
食事が進められていきました。
何とも不思議な光景ですね。
では、聖書の本文を確認しましょう。

マタイ26:14-16
 26:14 時に、十二弟子のひとりイスカリオテのユダ
という者が、祭司長たちのところに行って
 26:15 言った、
「彼をあなたがたに引き渡せば、
いくらくださいますか」。
すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。
 26:16 その時から、
ユダはイエスを引きわたそうと、
機会をねらっていた。

マタイ26:20-25
26:20 夕方になって、
イエスは十二弟子と一緒に食事の席につかれた。
 26:21 そして、一同が食事をしているとき言われた、「特にあなたがたに言っておくが、
あなたがたのうちのひとりが、
わたしを裏切ろうとしている」。
 26:22 弟子たちは非常に心配して、
つぎつぎに「主よ、まさか、わたしではないでしょう」と言い出した。
 26:23 イエスは答えて言われた、
「わたしと一緒に同じ鉢に手を入れている者が、
わたしを裏切ろうとしている。
 26:24 たしかに人の子は、
自分について書いてあるとおりに去って行く。
しかし、人の子を裏切るその人は、
わざわいである。
その人は生れなかった方が、
彼のためによかったであろう」。
 26:25 イエスを裏切ったユダが答えて言った、
「先生、まさか、わたしではないでしょう」。
イエスは言われた、「いや、あなただ」。(口語訳)

ここから、イエスとはどういう方だと思いますか。
次回は、
更にユダがとった不思議な行動を見ていきたい
と思います。
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